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センテンススプリングス

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昨日の記事で、皆さんが「ジョジョ」について、色々な思い入れを語って下さって嬉しかった。2部が好きとか、やっぱり3部だとか、5部がいいとか、アブドゥルは生きているとか、花京院の服装が…とか、「なるほど~」と感心させられ、とってもほっこりした。

そんなほのぼのとした空気を、ある意味台無しにしちゃうような「毒」を今から吐くことをお詫びする(;´Д`)

 

最近、良く目にするネットスラング、「センテンススプリングス」…

「トレビの泉とかの、どこかの地名なのかな?」と思ったけど、「週刊文春」のことなのね。

週刊文春の取材方法には賛否両論あるが、少なくとも、この文春の記事により、「元少年A」が自分を「表現者」であるとして、サイトを立ち上げ、色々な記事をブログで発信していることを知った。

 

彼が本を出版した時に、彼の親が本を出版した時と同じく、何とも言えない嫌な気持ちを味わった。

そして「元少年A」というサイトまで開設して、自己を「表現者」とのたまわっているのを知るにつけ、例えようも無い違和感を禁じ得なかった。

2月12日、そんな「少年A」に文春は直撃取材を敢行したのだが、このことを捉えて、彼(少年A)は、ブログで、「永山則夫」と称する相談者に対して、「理不尽な事態に直面した」と書き、そこでブログの更新は止まっている。

 

しかし、彼の言うところの「直面した」「事態」の、一体どこが理不尽なんだろう。

「理不尽な事態に直面した」のは、何の理由もなく、いきなり我が子を「少年A」に奪われた親御さんだろう。

更には、他でもない何よりも、「少年A」に命を奪われた少年や少女自身だろう。

 

その行為を反省もせず、挙句の果てに本にまでして金儲けをし、あまつさえ、サイトまで開設して「表現者」を名乗るなんて、正気の沙汰とは思えない。キチガイだとしか言いようが無い。

そんなキチガイを、週刊誌が直撃したことの一体どこが、「理不尽」なのか。

 

小さい子供を持つ親御さんにとって、彼の存在は恐怖以外の何物でもない。あんなキチガイが近所とか同じフロアとかに住んでたら恐いだろう。

そんな親御さんを含めた一般人に、彼のようなキチガイの情報について、自分の身を守る意味でも、知る機会を与えるようとする週刊誌の行動のどこが理不尽なのだろう。

 

「サムの息子法(犯罪加害者が、自らの犯罪手記を出版することで収入を得ることを規制する法律)」の無い日本の現状について、我が子を奪われた親御さん、さぞや理不尽な思いをされただろう。

是非分別能力もあり、行動統制能力もある人間が、人格形成途上にあることを理由に「政策的」に設けられた「刑事未成年者」というただそれだけで免責されることについて、我が子を奪われた親御さん、さぞや理不尽な思いをされただろう。

 

自己の行為を反省せず、顧みず、本を書き、サイトも開設し、「表現者」として活動するこのキチガイが、何をしても、犯罪行為と同じく、免責され、晒されることもないし攻撃されることもない事態があるとしたなら、そっちの方がずっと理不尽だ。

 

「執筆活動をするな」、「ブログをするな」といっているんじゃない。

「元少年A」として本を出版したり、ブログで意見を発信していることが、

「どれだけ遺族の想いを踏みにじっているか」、

「元少年Aの名で発信したり執筆する都度、呼び起こされる悪夢の記憶に、遺族はどれだけ苦しみ、苛まれているのか」、

「それこそ「理不尽」にも命を奪われた死者をどれだけ冒涜しているか」、

どうしてそれらが判らないのだ。

一般名で行うのなら、それは構わない。「自分がしでかした事件を利用するな」っていうことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の続きを書く。

当日の夕方、家に戻った。

弟は俺を見て、泣き出した。

親はただ「よく戻ってきたね。お疲れさん」と言ってくれた。

思いっ切り、叱られて、ディスられた方がずっと気持ちが楽だったのに。

自責の念に苛まれた。

 

家に戻り、リスタート、それはいいが、じゃあ、これからどうするのか。

やっぱり高校は出ておかなければダメだと思った(当時は「大検」の存在を知らなかった)。

中学の時の担任だった先生に連絡をした。

「ご迷惑、ご心配をかけてスイマセン。進路のことで相談があるんですが」

「いや、過ぎたことだよ。今はこれからのことを考えよう。今から帰るので丁度よかった、ゆうの家に寄るよ」

3月中旬って、年度末だもん。先生にとっては忙しいよな…と思いながら、「スイマセン。迷惑ばっかりかけて」と応答した。

程なく、先生が訪問してくれた。

「先生、やっぱり俺、高校に行きたいと思うんですが、今からでも入れる高校ありますか?」

先生は、眉間にしわを寄せて、「あることにはあるが…」と言いながら、とある高校のパンフレットを俺の目の前に差し出した。

「〇〇高校」

その高校は有名だった。無論、「悪名高い」という意味でだ。先生は言った。

「この高校が、定員割れで3次募集をしている。ここなら来月から通うことができる」

俺は、「すいません。この高校だけはちょっと…。あの、定時制でもいいので、他の高校、ありませんか?」と訊くと、

「いや、もっと早く帰ってきてたならいくらでもあったが、今はこの高校しかない」

と先生は呻くように言った。

「ゆうも知っているとおり、この高校の生徒は悪さばっかりしているし、新聞沙汰になるのはここの生徒ばっかりだ」

「(;´Д`)!」傍で話を聴いている母が、眉をひそめた。

「でも、ゆうの意思がどんなに強くても、二年遅れで高校に行くなら、挫折する。しかし、一年遅れならどうにかなる。だから、この高校に進学するしかないと思う」

先生は俺や親の動揺を察知したのか、務めて冷静に話をしてくれた。

「判りました。この高校しかないんじゃ仕方ありませんね。この高校に行くことにします」

 

この男子高は県内名うてのバカ高校、不良高校、ツッパリ高校であり、中学時代から、「この高校だけは行きたくないよな」と、友達と言い合ってた高校だった。

そんなバカ高校に、俺は一浪までして入学することになるなんて…

佐藤さんが諭してくれた時に、家に帰ってたら、他の高校に行けたのに…

佐藤さんの言葉を無視してしまったことが、悔やまれたが、後の祭りだった。