ある日隕石が降り注ぎ、某所に謎の地帯が出現した。その場所を国はゾーンと呼び軍隊を派遣した。ところが派遣した
軍隊は戻ってこなかった。ある場所にストーカーという男がおり、彼は妻が止めるのも聞かずにゾーンの探索へと乗り
出してゆく。ストーカーは、教授と呼ばれる細身の男や酔っ払いの作家と合流する。自称作家は教授にたいして考古学
の話を持ち出し、昔残飯入れに使われた壺が現代では逸品としてもてはやされ、その上さらに偽物と判定荒れた場合ど
うするのか? 人は皆しらけてしまい価値を失うのではないか、と述べた。教授はそれに対して小説も百年持たないの
であればそれは無意味だ、とやりかえす。
そんなやりとりの後ストーカーはたちはトラックに乗ると監視の目をくぐり抜け、ゾーンの監視にゆく。そして彼らは
列車の動きに乗じてトラックで張り付きゾーンに潜入した。彼らはエンジン付きのトロッコに乗ると警察をまき、廃墟
と自然あふれる風景が見える場所へと到着する。作家はそこで、ジカブラスと呼ばれる人物のことを話し始めた。彼は
先生と呼ばれており、ゾーンのことをよく知っていたという。しかし作家は彼が罰を受けたことを境にして、それ以上
の記憶はないと言った。そのうちストーカーは奥地へと一人で分け入り、教授は彼しかゾーンと語ることはできない、
と作家へと解説した。それからヤマアラシと呼ばれる男は、金持ちになった後に首をつったのだと語った。教授はさら
に、二十年前の隕石自己が隕石によるものではなかったと述べた。うわさは飛び火し、宝が埋まっているのではないか
とも言われたし、結果的に一帯は立ち入り禁止となりもした。そこまで語り合った後にストーカーは戻ってきたが、三
人そろった時点で謎の声が聞こえてきた。教授と作家はここに残留したハイカーではないのか、と話し合ったものの、
ストーカーは誰もいなかったと笑いながら述べた。
ストーカーは帰りのトロッコを警察の目を欺くために無人で返してしまうと、自分についてくるように指示する。彼が
案内した先は、戦車のがれき群だった。ストーカーはナットのついた布きれをスリングのように投擲しながら進み、聖
域だから草一本もむしってはならないと二人に忠告する。しかし作家はその忠告を聞かず、一人奥地へと分け入って
いってしまう。ところが彼は何者かの声を聞き、急に立ち止まる。作家は声が聞こえたと訴えたが、ストーカーも教授
もその声は聞こえなかったと言った。ストーカーは急にナーバスになり、ゾーンは生きる罠で人が入ってくると罠を生
成するのだという。さらに彼はゾーンが自分たちの心象風景を写し取ってその姿を生成するといった。(1:06:52)
井戸のシーンから急に哲学的な問いがもたらされる。曰く、情熱は心の活力ではなく周囲との葛藤であり、それは硬直
を意味し、柔軟ではない。柔軟ではないものは死んでゆく、という。ここでようやく坑道のような場所で、ストーカー
は来た道を戻ってはならないこと、望みの叶う部屋に向かっていることを明かす(1:09:34、ここで作家が聖ペテロで
すらおぼれかけた、という)。一行はずいぶんと湿気た「乾燥室」にたどり着くが、そこで教授を見失ってしまう。し
かし教授はただ単にリュックを取りに戻っただけで、ストーカーたちを追い越してすらいた(1:13:48、ここに冒頭で
登場した注射器が落ちている)。ストーカーはこれを罠だといった。同時にヤマアラシのナットを見つけたものの、そ
れからは離れてくれと言う。三人は野営に入るが、その中で教授と作家は自分というものを証明する意味について再び
議論する。ここで旧約聖書一文をストーカーが読み上げ、その間に説教をうつろに聞いていた二人は目を覚ます
彼らは長いトンネルを通って一つのドアへとたどり着くが、そこで何を思ったか作家は銃を取り出し、その所作をス
トーカーにとがめられる。彼はストーカーの言うとおり銃を捨てたが、開いた扉の向こう側は汚水のたまる貯水槽だっ
た。作家は先に扉の出口へと向かい、銃を水に沈める。しかし作家はやはり言うことを聞かず、先へ先へと進んでゆく。
作家は行き着いた先で、自分が作り出したものを知ろうとはせず、ただ貪欲に食らい尽くす人種に対しての怒りをあら
わにする。彼らは作家の「魂」も「心」も食らい尽くすのだといい、その直後ストーカーによりここでは百年は生きら
れる、と告げられる。ストーカーは彼がゾーンから選ばれたと言うが、一方の教授はストーカーが止めるのも聞かず、
旧診療所にあった電話で自分が所属していた診療所へと電話を掛けてしまう。彼はこの世の何かを救うために研究所へ
とかけたのだが、研究所の方では彼を当局へと通報するらしい。そして作家までもが人類愛など矮小な個々人の願いで
あり、何も救いはしない、と吐き捨てるように言う。そのとき元診療所のランプが急に点灯し、女の声が響き渡る。す
るとそこには見慣れない、茨の冠にも似た棘状の冠が置かれていたのだった(2:00:00)。三人はついに中枢の入り口
へとたどり着く。しかしそこで教授は隠し持っていた爆弾を取り出し、かつての同僚たちとこれを作ったと述べ、あま
つさえこの爆弾をもってこのゾーンを破壊しようというのである。ストーカーはそれを見て教授へと飛びかかり爆弾を
取り上げようとしたが、なぜかそれを作家が止めに入るという事態になった。作家は爆弾を取り上げようとするストー
カーに、富を独り占めして他人を苦しめようとしている、といった。しかしストーカーは利得を旨として我々は生きて
おらず何者も幸せにできないが、ゾーンの中だけに自分たちの尊厳があると言った。また、ストーカーは「部屋」には
入れないのだという。
彼らの前に「終わりの雨(ヨエル書一章三節)」が降り注ぎ、三人はゾーンより帰還した。帰還には犬がついてきて、
ストーカーは子供と妻と一緒に帰宅する。そして作家や学者に対する不信感をあらわにするのだった(ペテロの実質的
裏切り)。ところがそれを聞いた妻が、望みはないけど今度は自分を連れて行けばいい、と言い始める。しかしストー
カーはそれを拒否する。妻は独白にてストーカーと結婚すると苦しむことは分かっていたといい、さらには苦しみを味
わいながらの喜びは、きっと平凡な幸せの人生よりもよいものだろう、と自分に言い聞かせてきたと語る。実家の母に
は子供もろくなものが生まれないとも言われたらしい。しかしそうした彼らの事情を背に、ストーカーたちの娘は一人
奇跡を起こす。
序盤にて聖霊や霊のことを語る小説家が登場し、その上で三人は語り合ったあとでゾーンに入ってゆく。画面はカラー
化して別世界へと移行する。この別世界移行までは共産主義・物資的な空気あふれる世界観であり、移行後は急に霊的
な空間へと変化したように描写されている。この内訳は「作家」の最初の霊性に関する話の中で語られているが、奇し
くも作家自身はそれをフィクションの中の話としてとらえてしまう。共産主義と資本主義が肉体と実存的表現であるこ
とは明白である。
しかしここで一挙にゾーンの秘密が明かされることはなく、ストーカーはこの地帯が「生きた罠」であることを告げる。
この概念はちょうどコンピューターゲーム・ローグのようであり、実際このストーカー発表後の一年後にローグは発表
されている。この迷宮の生成過程は自分たちの精神によってなされる、という解説はエヴァ的でもある。
そうした心証的な話の中で、作家と教授は議論する。特に作家は自分自身が生まれてきた意味を教授に問いかけ、実存
主義を批判し続ける。つまりこの話は肉体と心(魂)と意思(聖霊)を三位一体を象徴しているのである。1:06:52に
おける哲学的問いかけはこれらのうち肉体に宿る情熱を明確に否定している。この世界は戻ることが禁止されていると
ストーカーは言うが、話の直後に作家はストーカーに対して聖ペテロの話を持ち出す。このことはゴルゴタにて処刑に
掛けられることを暗喩している。ペテロはキリストにローマへと戻ってはならない、という警句を発する人物だからで
ある。またここより少し進んだ地点で言い合う作家と教授に対してストーカーがヨハネ黙示録第六章を暗唱するが、こ
のときはストーカーが二人の弟子に対して説教をする役割を担っていることに注目したい。
彼らはいよいよゾーンの中枢へと足を踏み入れるが、その際に作家は自分自身の魂である「作品」が他人によって理解
されることなく、ただ食い尽くされるのみだと嘆くシーンが挿入される。そしてストーカーはそれに対して「ここに訪
れた以上、百年は生きられる」と告げる。この意味は作家が常々自分のレゾンデートルとしての作品が自己存在と同一
視されたことに掛かっており、とりも直せばそれは魂の不滅性を意味する出来事となってる。
物語がちょうど2:00:00を経過するとき、彼らが訪れた診療上のランプが急遽点滅して、許しとともに茨の冠が授けら
れる。これは奇跡のことであり、冠はストーカーではなく作家がかぶってしまう。つまりようやくここで作家こそがキ
リストの形象であり、ストーカーは単なる水先案内人ペテロであることが示されるのである。そしてこのときようやく
作家の「作品」が聖書であることを理解できるようになっている。ただし、茨の冠はあくまでもピラト率いるローマ兵
がかぶせたものであり、本来は侮辱の意味が込められていた。これ故ストーカーは終盤作家と教授に対して俗物扱いを
しているのだ。そしてこれは実質キリストを裏切ったペテロとしては正しい行動でもある。見ての通り先だって述べた
キリストの立場は一度ここで入れ替わっており、「三者のなかで」キリストは作家となっている。そして三位一体構造
を有していることから分かるとおり、ストーカーは聖霊になっていることが理解される。
もう一つ重要なポイントとして、終盤になると犬が散見されるようになる。これは元々旧約聖書内で扱われる犬を顕し
ており、ゾーン内においては作家と教授の愚かな繰り返し行為を揶揄し、箴言二十六章十一節「犬が帰って来てその吐
いた物を食べるように、愚かな者はその愚かさをくり返す」という箇所にて彼らの愚かさを指摘する。そしてストー
カーが帰宅した後には、彼自身の愚かしい行為を揶揄し、その身を八つ裂きにする存在として描かれるのである。実際
のところ彼は帰宅後に負傷したわけでもないのに心労にて倒れている。この下りは詩篇二十二篇十六節の「まことに、
犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた」に求められる。
ちなみにこの作品の叙情的解説を以下のURL(キャッシュしか残ってない)がおこなっている。叙情的ではあるものの
これから分かるとおり、終盤に流れる曲ベートーヴェン『歓喜の歌』の詞には、神の口づけに関する記述が見られる。
本作最期の詩文はあからさまに神の口づけを拒否する欲望の主体であり、凝固による死を物語っている。反対に凝固な
き無垢なる魂が奇跡を起こすことも、ここまで読み解けば明白である。言うまでもなくラストシーンの子供は無垢なる
魂に該当する。