春の嵐みたいなヤツ
この小説は企画小説「春」小説です。
春小説 で検索すると、ほかの作家様の作品を見ることができます。
沈む夕日は大きく見える。今日のは特別そう感じた。
空は茜色から紺色に冷めていく。
校舎も黄金に染まっていたが、今は薄暗いコンクリートの地肌。
飛び立つコウモリの下、グランドで二人っきりで気を張り詰めて構えていた。
時計が電子音で刻々と秒を刻み、五つ鳴った瞬間に俺たちは走り出した。
「卒業かぁ」
すっかりよぼよぼになっている現役の茶色いスパイクを箱にしまうと「早いよね」と背後で呟かれた。
「そうだよな」と俺。そいつが居たのかは気付かなかったけど、特別驚くこともなく、あっさりと。
「淋しい?」
気高いような香りを漂わせながら、俺の隣りにしゃがんだ。上げて短いスカートから、白くてひき締まった足がちらり。俺の目もちらり。冷たい視線がぎらり。
「いや、別にぃ!」
俺はブラウンの瞳を覗き込むように顔を近付け、いたずらっぽく語尾を間延びさせる。
ぎょっと目を見開き、驚いた顔。そして赤い怒り顔に変わると、衝撃とともに視界が歪んだ。
「ば、バカ! 顔が近いわ!」
ひゅっと頭から熱が下がり始、め?―――
「ごめんなさい……」
「本当に勘弁してよ。あと俺、一応先輩だから」
俺を殴った張本人は申し訳なさそうに小さくなって、帰り道、隣りを歩いている。
若干意識とサヨナラしていた俺。だけど、そりゃあバッグが顔面を強打とは思わなかったし。当たり前だろう。
「なんで靴取りに来ただけでノックダウンされかけなきゃいけないんだ」
「あ、あんたが顔近付けるのも悪いし……」
「たかがそれくらいだろ?」
「たかが!? 乙女にそんなことしていい人は恋人だけだよ普通!」
ぎゃーぎゃーぎゃー。
男女、それも先輩後輩の関係でこんな光景はめったにないかも。
俺が二年になって、こいつが同じ陸上部に来たとき「すげぇ強気な女」なんて真っ先に思った。
簡単に言えば、会った最初からこんな態度だ。
「だいたいいつまでも生意気なんだよお前は!」
「あーあーあー言ったな! あんたこそいつまでもエロいんだよチラ見しやがって! このむっつり!」
「うるせぇガサツ女!」
「なんだと、この、スケベヤロー!」
ばき……
「いててて……」
家に帰ってまず先にしたことは顔を冷やすことだった。
あの乱暴者……木春にバッグでやられたところが変に痛む。
「後輩に殴られるなんて空手部くらいだっつーの」
口では悪く言いあってても、結局は向こうからメール若しくは電話で謝ってくる。
そして俺がちょっとした憎まれ口叩いて、次の言い争いが始まる。謝る。
考えてみると、うまいことサークルしてるもんだな……
でも、これももう終わりか。卒業したら大学行くし……あいつは三年だし……
さびしいもんだなぁ。
位置に着いてェ、よーい―――
鶴の一声……ピストルの火薬が爆ぜた渇いた銃声。その「パン!」と共に、スタートラインの選手は弾丸のように一斉に走り出した。
たかだか100メートル。その短距離に全力を尽くしタイムを競う。
俺も木春も短距離走者だ。
「おー速い速い」
俺は陸上の推薦で大学に行けるから、自由登校になってから退屈でしかたなく、いつも部活に現れていた。と言っても、地方の大学だから、もうすぐここともお別れ。
荷物はしばらく面倒見てくれる叔母のもとに既に送ってある。
昨日持ち帰ったスパイクもだから、もう見学しかできない。
そんな俺を、木春は……
「はぁ? なにそれ! 最後の勝負してないじゃんバカ!」
見事なくらい怒鳴り散らした。
「しょうがないだろ? 時間がなかったんだから!」
俺と木春は種目が同じだっただから、暇さえあればタイムを競い合っていた。
毎日いがみ合うように、競技も優劣を付け合っていた。自分から見て、お前はここがダメだ、と、軽口でも叩きながら。
今までやる気で練習したことなんてない。やがて追い抜かれてしまった。
悔しいから……努力した。
必死こいて、泥まみれになって、夜まで居残ってまで練習した。暗くなって気が付けば、二人だけ。なんてこともあった。
本当は、木春は凄い奴なんだ。
本当は、木春に感謝してる。
木春がいなかったら、毎日たるそうに部活に参加して、まだ明るいのに解散して……そんな、気の抜けた日々になってたと思う。
本当に感謝してるんだ。
「嘘つき! あと一回だけ私と勝負するなんて言ったくせに!」
「だからそれについては悪かったよ!」
「うるさい! もうお前なんか知るもんか……」
でも、そんなことも言えずにいた―――
一日一日が穏やかに、そして早々に去っていく。
部活に顔出して、後輩からかって、アドバイスもして……そして木春と相変わらず口喧嘩。
高校が終わっても、変わらない。これからも陸上は続けるし、友情が消えるわけでもない。花道ははるか後ろで、俺たちを支えるかのように燦々(さんさん)と輝いて見えた。
本日、卒業式。
明日の朝には新幹線に乗って叔母の元へ向かわなきゃいけない。
なんだか拍子抜けだった。木春は怒ってるのか、すねてたみたいだったし。
すっきりしない。
「……木春がいない?」
知らないうちに体育館から出てくる二年生の波を眺めて、木春のクラスを探していた。
やはり、いない。見当たらない。どこへ行ったんだ。
「な、なぁ。木春知らないか?」
近くにいた陸上部の後輩を咄嗟に掴まえると、なんともすがりつくような声が出た。
落ち着かない。不機嫌でもいい。せめて姿を見せてくれ。
コハル……
「南っスカ? 三年生が退場したあと、走ってどっか行っちゃったんスョ」
内心ドキドキしながらただ走った。
木春がどこにいるのかなんて、思い当たる場所なんかあるはずもない。
いつも一緒、焼けた砂だけの熱いグランドの上だったから。
「グランド……」
ローファーが高らかに踵を鳴らしてもうるさくない、皮ずれもなんのその。
向かうべくして向かったその場所に、木春はいた。
「コハル!」
練習でよく使ってた日陰のベンチにぽつり、一人座っていた。
顔は見えない。俺が呼ぶとびくっとこちらを向き、髪で隠れていた表情があらわになった。
眉をハの字にした、なんとも―――
「情けない顔だな」
泣き腫らした赤い目、紅潮した頬。すぐに目付きは鋭くなり、俺に噛み付いた。
「うるさいバカ、好きな人がいなくなるんだからしょうがないでしょ!」
「そうそう、お前に泣き顔は似合わ……好きな……?」
いや、俺は木春が好きなわけじゃない。たぶん。
でもドキッとした。太鼓のバチで叩かれたくらい心臓が驚いた。
……好きなのか?
「なにその情けない顔」
「アホか。って違う。お前好きな奴いたんだ」
「当たり前じゃん。私だって女だし」
「誰?」
「言わない」
あ。なんだこのやろう。
「教えろよ」
気が付いたらいつものテンション。こうあってこそ、俺らな気がする。
「なんであんたなんかに言わなきゃなんないの?」
「いいだろ、俺たちの仲だし……っていうかお前が!? って思っただけ」
「私はいつも恋してきたわバカ! あ、そうだ」
いつもなら散々言い合いながらそのまま帰るのに、今日は木春が話を切った。
「これあげるよ。卒業記念」
うまいこと切り換えられて反応に困ってると、木春は鞄をあさり始めた。
「はい」
出てきたのは、俺と同じくらい使い古されたスパイク。言えるのは、これは明らかに木春が使ってた物だ。
「あのー、木春さん?」
意味がわからん。形見にしろでも言うのか?
ためらいながらも、とりあえず受け取ろうと手を伸ばそうとしたら、スパイクは鞄に戻っていった。
かわりに、新品のスパイク。
「……こっちを」
哀しみの赤から怒りの赤。今じゃ恥ずかしくて赤くなってる。真っ白のスパイクも染まって見えそうだ。
「ありがとーうコハルちゃん!」
俺はすぐさま手に取り、木春の隣りに座ってローファーと替えた。
スパイクの紐をぎゅっと締める。いい感じだ。しっくりくる。
「ぴったりだ」
「お礼は?」
「やっぱり? ……そうだな、愛でもやるよ」
木春は俺を見たまま固まった。しくったか? 引いてないかこいつ?
「な、なんちゃって……」
「じ、じゃあさ……」
やばい、後悔した。かなり恥ずかしい。こんな自殺モンのギャグかますんじゃなかった……
「は、は、は、春……」
「春?」
「まではつ、つぅ……付き合って……あげる」
「あ、ありがとう」
木春はかなり上がりながらも気負って答えた!
俺はとまどいながら答えた!
「え? お前、好きな奴は?」
「い、い、今更言わせるの?」
そうかそうか。そう言うことか。
俺は木春が好きだったんだ。木春はずっと待っててくれたんだ。
「愛しいぜこのヤロー!」
俺は何も考えずに、木春の肩に腕を回し抱き寄せた。
ふわっと髪が香ると、体は覚えていた感覚が寒気を呼び起こす。
「セクハラすんなアホ! バカ!」
案の定、拳が飛んできた。うまいこと横腹に当たり、笑顔のままのたうち回る。
紅になった木春はそのまま一瞬笑うと、走って去って行った。
起き上がって砂を払い、鞄を持つ。
「俺から逃げられると思うなよ?」
俺は今一度、木春に貰ったスパイクの紐を締め、勢いよく地面を蹴った。
新たな足で、木春を追いかける。
俺に訪れた春へ向けて、一歩、一歩……
ハッピーエンド。慣れないことするんじゃなかった(泣
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。