中川 貴之インタビュー

アジア進出

#15   中川 貴之 

VISIONARY STORY
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Prologue -失敗することより、やらずに終わることの恐怖。

年間120万人以上が亡くなっている現代。少子高齢化などにより、これから私たちが「死」と向き合うことは否が応でも増えていくだろう。生きている以上、切っても切り離せない「死」という存在。その死とどう向き合うのか、そして死を迎えた故人をどのように見送るのか――。


しきたり通りに粛々と行うのが当然だった葬儀業界に、「サプライズ」という新しい文化を取り入れ、「感動葬儀」を始めたが株式会社アーバンフューネスコーポレーションの代表取締役社長兼CEOの中川貴之だ。T&G(株式会社テイクアンドギヴ・ニーズ)の創業メンバーとしてウェディング業界で培ったノウハウを活かし、「生きてきたときのことをきちんと伝えるお葬式。それを文化にしたい」という信念のもと未知の世界であった葬儀業界で独立。「ハイ・サービス300選」に葬儀業界で初めて選出され、2011年には業界No.1の成長率を記録している。


彼の人生という名のストーリーには、キーワードが2つある。それは、「ヒト」と「行動」。彼のターニングポイントには「ヒト」との出会いがあり、そしてそのチャンスを見極めて「行動」に移している。頭で考えるだけなら、誰にでもできる。しかし、それにチャレンジするかが大きなカギとなる。「失敗することよりも、何もやらないで時間が過ぎてしまうことのほうが恐怖」と語る彼の生き方から、あなたも"やるかやらないかは大きな差"という言葉の意味を感じ取るはずだ。

interview / Masashi Yamada,Kazuhisa Fujita
text /  Mikiko Utsunomiy
photo / Kazuhisa Fujita

Chapter 1 - 人生を変える、師との再会。

中川 貴之が語る「人生を変える、師との再会。」

― 野尻さん(T&G 代表取締役会長)との再会が、人生のターニングポイントとなったそうですね。
中学・高校のラグビー部の先輩だったんだけど、大学生になってからはずっと会わなかったんだよね。それが、社会人3年目のときかな。営業先に直行するのに普段は使わない電車に乗ったら、野尻さんと偶然再会して。そこからの展開が笑えるほど早くて、「お前、今何の仕事やってるの?」から始まって、「結婚式の会社立ち上げるから、一緒にやろうぜ」という突然の誘い。日本の先輩・後輩の上下関係って見事だよね。「はい!」としか言えなかったね(笑)。
― すごいですね(笑)。不安は感じなかったのですか?
まったく。他の人からの誘いなら、ウェディング業界への興味も知識もなかったし、断っていたんじゃないかな。でも、野尻さんが面白そうに話す姿を見て、「これはきっと面白いはず」とピンと感じちゃったんだよね。細かいことも聞かなかったし、言われるままに「はい、面白そうですね」って。
― 結果、T&Gは3年で上場しています。中川さんの「ヒト」を見極める力のすごさですよね。
だいぶ無茶も言われたけどね。最初は年明けに起業するっていう話だったのに、夏ごろに「もう動くから、すぐに会社辞めて来て」って(笑)。ボーナスも有給も捨てて、会社を辞めましたよ。でも、あの運命的な再会がなかったら、「一旗揚げてやる」と言いながら、何もできないままの人生だったんじゃないかなって思う。

Chapter 2 - 「感じ取る」というサービス業の本質。

中川 貴之が語る「「感じ取る」というサービス業の本質。」

― T&Gでサービス業の本質に気づいたとお聞きしました。
経営の三要素と言われる「ヒト・モノ・カネ」の中で、僕は「ヒト」の担当。現場でウェディングプランナーのマネジメントをやっていたんだけど、あるプランナーの子が「お客様にサプライズをやってあげたい」と言ってきて。でも当時、結婚式で打ち合わせにないサプライズをやるなんてご法度。もちろん、初めは反対して。でも、何度も真剣に訴える彼女を信頼して、「責任は取るから、ちゃんと喜んでもらえることをやりなさい」と任せてみたら、結果は大成功。これはすごいと感動して、衝撃が走ったね。それまで、サービス業は言われことに対して、ただ気をまわして行うことだと思っていて。それが、相手が口にしていないことも感じ取って、形にしてあげることがサービス業なのだと初めて気づかされたんだ。この文化は結婚式だけじゃなくて、いろんなところで活かすべきだと思ったときに「お葬式」が頭に浮かんだんだよね。
― もともと葬儀業界に興味があったのですか?
お葬式って、だいたいお焼香をやって終わり。例えば、友人の親の葬儀に行って、そのときに初めて故人と出会う。だけど、その人のことが何も分からないのが淋しいなと感じて。昔のことを思い出して、ゲラゲラ笑ったっていい。生きていたときのことをきちんと伝えるほうが大切で、故人の人生や家族の想いを組み込んだ心で送る葬儀をやりたい、そういう文化を作りたいという気持ちがずっとあったんだ。

Chapter 3 - 今しかないチャンスを見極める力。

中川 貴之が語る「 今しかないチャンスを見極める力。  」

― 西葛西セレモニーホールのビルオーナーとの出会いが独立するきっかけの一つだと聞きました。
元は結婚式場で、最初は集客の相談を受けて。でも、立地も外観も良くなくて、結婚式場としては正直厳しい。だけど、住宅地だし、駅からも近い。葬儀場にしたほうがうまくいくと提案したら、「私にはできないから、中川さんやってくださいよ」と言われてね。 サービス業の本質を葬儀に取り入れたいと考えていたし、運よく物件も見つかった。野尻さんと僕のように、「結婚式より、一緒にお葬式やろうぜ」と連れていける後輩もいる(笑)。少子高齢化も進んでいて、まだ同じことをやっている人もいなかったし、今しかないチャンス。ここまで条件がそろって、火が付いたら止まらないでしょ。「会社をやめたいんじゃないけど、どうしても今やりたいんです!」と話して。野尻さんもやりたいことをやってきて、その気持ちが分かるから引き止められないと思ったんでしょうね。
― 独立への気持ちは前からあったのですか?
実家も自営業だし、下町育ちだから町工場やお店を経営しているおじさんがまわりにたくさんいて。働く=会社に勤めるという感覚がなかったんだよね。大学卒業のときにはやりたいことが見つからず電子部品メーカーに就職したけど、長くても5年と決めていて。僕にとっては失敗することよりも、何もやらないで時間が過ぎてしまうことのほうが恐怖。やりたいことが見つかったら、チャレンジしたいという気持ちはずっとあったね。

Chapter 4 - 失敗なんていつでも挽回できる。

中川 貴之が語る「 失敗なんていつでも挽回できる。  」

― 今、失敗を怖がって行動できない若者が多いと言われていますが、中川さんはどう思われますか?
聖人君子が称えられるような風潮があるけど、あんまりいい子にならなくていいと思う。成功者の美談ばかり聞かされるから、草食系になっちゃうんだよ。松下幸之助さんだって、もちろん素晴らしい人だけど、ハチャメチャやってきたしね。法に触れたりするのはいけないけど、多少の迷惑ならどんどんかければいい。遠慮しなくていいんだよ。特に若いうちなんて、「あのころは若かったね」で済むんだから。葬儀業界にいて思うけど、晩年が良ければだいたいOK(笑)。生きてさえいれば、いつだって挽回できる。
― 挽回がいつでもできると思えば、行動もしやすくなりますよね。
そう。不景気とは言っても、我々の世代って豊かだと思う。そして、こんなに豊かな国なんてない。その中で平和に暮らしているという幸せに感謝しなさいってよく言うけど、大切なのは感謝をした後にどうするかということだよね。「いい時代に生まれて良かったな」で終わるんじゃなくて、だからこそやるべきことがあるということに目を向けてほしい。 考えるくらいの頭があるんだったら、行動しながら考えていったほうがいいよね。僕が葬儀業界で何が勝っているかというと、行動していること。他の人たちは言い訳をしてやらない。その差だけ。世の中で成功している人は、みんな行動してチャレンジし続けているからね。若者にもどんどんチャレンジしてほしいな。

Chapter 5 - 「ヒト」と「ヒト」の触れ合いから得る信頼。

中川 貴之が語る「「ヒト」と「ヒト」の触れ合いから得る信頼。  」

― 葬儀業界に新しい文化を取り入れるというチャレンジをされましたが、常識を覆すときには周囲の反発を受けやすいと思うのですが…。
「お葬式をイベントみたいにやるな」といった批判を受けることは想像していたけど、人に文句を言われるのは嫌いじゃないんで(笑)。結婚式場を葬儀場に変えることで、近所の人からの反発も受けたしね。「初めは葬儀場だと言わずに、徐々に説明したほうがいい」と助言してくれた人もいたけど、それだけはできなかったよね。住民の人たちに使ってほしいのに、騙すようなことだけは絶対にしたくないと思ったんだ。
― 今では地域に根付いた企業というイメージがありますが、どうやって信頼関係を築いたのでしょう?
当時、町内の餅つき大会があると聞きつけて。もちろん僕は呼ばれていないし、知り合いもいない。「何しに来た?」って顔をされるけど、平気な顔して手伝って(笑)。そのうち後輩とかも連れて、何かあるごとに手伝っているうちに、「若いのが来てくれて助かるよ」とおじさんたちが言ってくれるようになったんだ。そして、段々と信頼してくれて、「あそこに任せれば大丈夫」とお客さんもどんどん紹介してくれて。僕はそんなに感動するほうじゃないけど、本当にうれしかったよね。よくお祭りとかで、地元企業が寄付金を出すってあるでしょう。でも、お金も出すけど、人も出さなきゃダメ。触れ合って、顔を覚えてもらって、信頼を得ていく。「ヒト」と「ヒト」って、そういうものだよね。

Chapter 6 - 完成させることではなく、尽くすという姿勢。

中川 貴之が語る「完成させることではなく、尽くすという姿勢。  」

― 「感動葬儀」のプロデュースを通して、「感動」への考え方が少し変わったとお聞きしました。
「どんなお葬式がいいですか?」と遺族の方に聞いても、みんなきょとんとするんだよね。お葬式はお焼香をして…というのが当たり前で希望なんてない。だけど、絶対に潜在的にはこうしてあげたいというものがある。T&G時代に気づいた「サービス業の本質」を活かして、打ち合わせでとにかく会話をして、こうしてあげたら絶対に喜んでもらえるというのを見つけて葬儀をプロデュースするのが、うちの「感動葬儀」の始まり。そして、葬儀が終わると遺族の方もすごく喜んでくれる。だから、気持ちを汲み取って形にしたもの=感動葬儀に対して感動してもらえていると思っていて。

でも、面白いことに1週間後にお線香をあげに行くじゃないですか。すると、すごく喜んでくれているけど、ほとんど葬儀の内容は覚えていない。確かに、お葬式のときはそれどころじゃないですよね。じゃあ、何に感動してくれているかというと、赤の他人である僕たちが故人や遺族のために一生懸命に尽くしていることに感動してくれていて。僕たちはどちらかというと創り上げたものに感動を求めていたけど、そうではなかったんですよね。葬儀を派手にやるとか、完成させるとかではなくて、とにかく相手のために一生懸命に尽くすという姿勢があるからきちんと伝わるし、心を動かすことができて感動を呼ぶ。それが僕の中の「感動」というキーワードの意味になったんだよね。

Chapter 7 - 葬儀を通して、日本の誇れる文化を世界へ。

中川 貴之が語る「葬儀を通して、日本の誇れる文化を世界へ。  」

― 仕事をする上で、どのような信念をお持ちですか?
僕にとってビジネスでもあるけれど、きちんとした理念や使命を持ってやらないといけないよね。お葬式は故人の供養が始まる入口なんだから。でも今、葬儀が多様化して、いろんなスタイルが出てきていて。一歩間違ったら、ただのイベントになって違う方向にも行きかねない。歴史的・宗教的な意味も踏まえて、そこをきちんと立て直して、葬儀が何のためにあるのかを浸透させる一役を担っていかないとね。
― 中川さんが今、次に目指すチャレンジを教えてください。
結婚式、お葬式と携わってきて思うのが、儀式・儀礼はその国の民度だということ。儀式・儀礼がしっかりしている国は絶対に強い。しっかりした文化がある国って、一目置かれるじゃないですか。一般の人がやるお葬式がビシッとしていたら、世界の人たちはビックリすると思う。葬儀業界から民度を高めていくことに本気で取り組みたいね。
そしてもう一つ、日本の国力は何かというと「ヒト」なんだよね。人口は減っていても、質を上げていくことが大事。だから、人材育成も僕のテーマの一つ。そうやって日本の民度と国力を上げて、日本の文化やホスピタリティのレベルの高さを世界に広めていきたいんだ。日本ってすごい国なんだよと。例えば今、台湾にも日本の葬儀スタイルを少しずつ提供していて花祭壇が当たり前になってきている。まず目指しているのは、アジアへの進出。僕たちが活躍できる場は、もっとたくさんあると思うんだよ。

arrangement / osica MAGAZINE

【プロフィール】
name /中川 貴之
birth / 1973年
career /
100人いれば、100通りのお葬式。「感動葬儀」という新しい文化を葬儀業界に創り出した、中川貴之。株式会社テイクアンドギヴ・ニーズの創業メンバーとしてウェディング業界で学んだサービス業の本質を活かし、未知の世界であった葬儀業界で独立。そして今、葬儀業界から日本の文化の素晴らしさを世界に広げようとしている彼の想いとは?
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