【はじめに】
新世紀エヴァンゲリオン (以降 エヴァ) の放送開始から、10年の時が過ぎようとしている。その喧騒はようやく客観的な評価ができるようになったのかもしれない。エヴァで名をあげたクリエーターもいれば、育成期にそれを見て育った若者やクリエーターもいるだろう。
エヴァの解釈は大きなブームとなった。「謎本」はそれ以前にもあったが、エヴァに関するものは多数出版され、売上も大きかったようだ。また、ネット (当時はニフティのフォーラムが一番盛んだった) でも様々な解釈がされ、最終回の時にはすさまじい量の書き込みがあったようだ。 (劇場版ではそのような事象もメタレベルであつかわれている)
いまとなってはエヴァの解釈は意味の薄いものであろうが、筆者が放送時に個人的に持っていた推測を書いてみようと思う。これは、筆者が第24話までを見たうえで考えていたものだ。劇場版とは大きく異なる。また、ニフティのログなどが、現在では入手できなくなっているので不明だが、既に語られている部分も多いと思う。
【エヴァの謎を解く意味があるのか?】
まず根本的な話として、エヴァの謎を解く必要があるのかという事について。
個人的にはエヴァの謎を解くことに、大きな意味はないと思っている。エヴァは映像作品である。エヴァの複雑なプロットは、映像作品としての厚みを出すことが目的であるだろう。逆に言えば、映像として「こういった映像を見せたい」という帰納的なアプローチから入っているのだと思う。そういった意味では、エヴァの持つ映像的なスタイルは、極めて成功しておりいまでも色あせないものだ。
一方、ストーリーに破綻が無いという保障をする必要も無いだろう。古今東西の物語において、登場人物の動機や行動などのにおいて、バランスや筋の通らない名作はいくらでもある。
【諸星大二郎の作品との関連性】
エヴァと諸星大二郎作品の類似性は、ある程度「オタクの教養」のある人は気づいたと思う。 (監督自身も狙ってやっていた部分もあると考える)
具体的には以下のようなものがあげられるだろう。
妖怪ハンター:「生命の木」(生命の実を食べた種族≒使徒)
ティラノサウルス号の生還 (アダム)
【人類と使徒について】
このあたりは、オフィシャルな見解と同じなのであるが。「人類」は「知恵の実」を食べた種族であり、「使徒」は「生命の実」を食べた種族である。使徒はS2機関により永遠に生き続けることができる。人類は「生命の実」を食べれば、神と同じ存在になることができる。逆に使徒は「知恵の実」を食べれば、神と同じ存在になることができる。
また、人類と使徒は排他的な存在である。渚カヲルが言うところの「未来を与えられる生命体は一つしかない」という言葉の通り、どちらかの種が完全 (神) になったときには、一方の種は滅びるしかない。
【人類補完計画とは何か?】
「人類補完計画」は神への道という言及が多い。前述で言うところでは「生命の実」を食べること、つまりは不死の存在になるということになる。
不死の存在になるためのアプローチは、かなりぼやけており。以下の二つになる。
・人類に、使徒の持つS2機関を持たせ不死の存在とする。
・人類を肉体を持たない意識の集合体の単一生物にする。
前者の方法論で言えば、使徒からS2機関を取り入れた、エヴァ初号機はゼーレが言うところの「具象化された神」と言える。
また、後者の方法論で言えば、劇場版で描写された、LCLに全てが飲み込まれた世界であろう。これは前述の諸星の「生物都市」の世界と類似している。
このあたりは、「ゼーレがやろうしていたこと」「碇ユイがやろうしていたこと」「碇ゲンドウやろうとしていたこと」に、次第に齟齬が出てきたのだろう。
(後編に続く)