|
>男女共同参画に関する方策はどれであれ必ず相当数の女性を苦しめる事になるのですから、誰>も傷つけてはいけないのであれば「何もするな」という事になってしまいますから。
>細かい事はあまり気にせずに率直な意見を述べればよいと思います。
アルサッカさんの発言を読んで思ったことがあります。理大の同級生で友達だったチェラさん(イニシャルの代わり)という女子のことです。彼女は理系の才能と情熱の両方を持っていました。それでいて女子に対しても男子に対しても面倒見がよく、俺もずいぶんと世話になりました。しかしチェラさんは大学3年生の頃から将来のことで悩み始め、迷っている様子になっていきました。今思えばその時彼女は「女子の私が理系に打ち込んでいいのか」と思っていたのですがその時なにもしてあげられなかったのが今思い出すとくやしいです。チェラさんには彼氏がいましただ、それでも指輪でも買ってあげたらよかったかとさえ思います。そしてチェラさんは理系への情熱を完全に失って卒業していきました。なぜそうなってしまったのか、今でもよく考えます。
以前ある男性の政治家が「女性は産む機械だ」と発言して猛烈なバッシングを浴びた記憶があります。多くの人々が「女性が子供を産むことを機会に例えるとは何たること」と怒りました。確かに私が子供の頃、人を機械に例えるのは否定的な意味合いが強かったように思います。「人間味がない」「ゆうずうがきかない」「感情がない」「自分の考えがない」等の意味合いです。しかし機械やコンピューターの技術が進むにつれて「あの人は機械のようだ」と言うのはほめ言葉に変わっていたように思います。「離れ業」「ミスしない」「文句を言わない」「疲れ知らず」等です。そう考えるとあの政治家の「女性は産む機械だ」は本当に差別や否定の意味で言ったのだろうかと思います。
つまりあの発言に怒るのは本当に正しかったのかということです。実はこの発言に対する怒り自体が、「女性に機械はそぐわない」という価値判断、ジェンダーバイアスに由来しているように思えてならないのです。そして大学の機械工学科は女子の比率はおそらく最も低い学科の一つです。
「女性は産む機械だ」という発言に猛烈に抗議することで守られる女性もいるのでしょうが、機械工学や電子工学を学ぶ女子学生や機械やコンピューターの仕事をする女性にとっては猛烈な抗議のほうが発言自体よりも逆風なように思います。
女性解放もこちらを立てればあちらが立たずなのでしょうか。
|
|