あなたは人生最後の日に悔いなく逝くことが出来ますか?ぼくの「夢」の続き。
こんにちは。ミニマゾク(ミニマリスト家族)のパパスです。
先日、ぼくの「夢」のために賃貸で暮らす理由は書きました。(『ミニマリスト家族のぼくが、ずっと賃貸で暮らすのは「夢」があるから。』参照。)
しかし「一生購入しない」と決めている訳ではありません。
今日はぼくの「夢」の続きを書きたいと思います。
「夢」の続き
ぼくの「夢」は子どもが巣立った後にママスと世界中、日本中、旅をする事です。
観光をするというよりも、数ヶ月住んでみて現地の文化を学びたいと思っています。
もちろんママスと旅に出る「夢」の為に、「夢のマイホーム」を購入する予定はありません。旅に出るには、いつでも簡単に飛び出せると思える家である必要があるためです。しかし、全く家を買わないと決めている訳ではありません。
ぼくの「夢」の旅はママスの「終の住処」を探す旅でもあるのです。
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ママスのこと
正直な話をすると、ママスはミニマリスト反対派でした。
レジェンドミニマリストの佐々木さんや肘さんが我が家に来てくれた時に、
「旦那さんであるパパスさんがミニマリストになり、どんどんモノを捨てていってどう思いましたか?」
とママスに聞きました。すると
「自分が納得出来ないことには同意しないので」
と、レジェンドミニマリストの佐々木さんや肘さんにもハッキリ言っていたくらい芯の強い女性です。
そんなママスは当然のようにマイホームを購入する事で老後は安泰であると想像していました。
ぼくが「ずっと賃貸で住む」と言った時も、「老後にずっと家賃は払えないから家は買いたい。」とマンションのチラシを渡してきた事もあります。
このブログを始めたきっかけは、そんなミニマリスト反対派のママスを説得するために書き始めました。
『ミニマリスト家族のぼくが、ずっと賃貸で暮らすのは「夢」があるから。』はまさにママスに書きました。
他にも、ミニマリストになると「素晴らしい事がたくさんあるし、子育てにも集中できる」とか、「モノを減らすのは目的じゃなく家族みんなが幸せになるためだよ」とか、ブログ『ミニマゾクの生活』はママスに向けて書いていたのです。
今ではたくさんの方々に読んで頂けるようになりましたが、1番にママスにミニマリストの素晴らしさを知ってもらいたかったから始めたブログです。
今ではかなりミニマリスト思考に傾いたママスから「ゴミ箱はいらないんじゃない」って提案してもらい『ミニマリスト家族の部屋にはゴミ箱はいらない』記事は生まれました。
ぼくの「ミニマリスト生活」にここまで付き合ってくれているママスのために、「終の住処」は購入する予定です。
人生の終末期を考えて
ママスには本当に感謝しています。
ブログで世界中に発信する事を許してくれたり、家族でテレビ出演までしました。(『ミニマゾクにテレビ出演』カテゴリ参照)
たくさんのネットで知り合った(ネット上での知り合いは怖いイメージ)ミニマリストとも会ってくれました。
ママスは今でも本当は「夢のマイホーム」が欲しいと思っているはずです。
ぼくがずっと賃貸で暮らすのは、ぼくの「夢」があるから。その夢の先には人生の終末期への思いがあります。
ぼくはママスよりも少し年下です。
将来はぼくがママスを看取る予定です。本当はぼくもママスに看取って欲しいところですが、どちらかが残らないといけません。
ママスの人生の終末期には「夢の旅」も終焉を迎えます。
その時にママスと世界中、日本中旅したなかで「終の住処」を決めて購入する予定です。
小さくて古くて安いかも知れませんが、シンプルなママスにとって居心地の良い部屋を選びます。
ドミニック・ローホーさんのように小さな屋根裏部屋かも知れませんし、その頃には好みもグッと変わって近代的なオシャレなマンションかも知れません。
ママスにとって安心して暮らせる「夢のマイホーム」をさがします。
ぼくの本当の「夢」はママスとの旅ではありません。
ママスの人生最後の日にママスから
「あなたと一緒になれて本当に幸せでした。」
と心から言ってもらう事です。
まとめ
3組に1組は離婚する時代です。ぼくの夢はただの夢物語になる可能性だってあります。
ブログ記事では、言葉を選びに選んでカッコつけたり、綺麗事を並べて書いていますが、ブログには書けない悪い事だってたくさんあります。ぼくたち夫婦もたくさんケンカもするし、ママスを泣かしてしまった事だって一度ではありません。
しかし、ママスのいなくなった後の人生はまだ想像出来ません。
もしかしたら、ママスとの思い出のモノを全部とっておいたらよかったと後悔するかも知れません。
それでもママスから
「あなたと一緒になれて本当に幸せでした。」
と言ってもらえるように、これからもママスと3人の子どもたちとポッキーと「ミニマリズムの生活がもたらす幸福」を感じながら暮らしていくつもりです。
ぼくは人生最後の日に後悔を残さずに逝きたい。