藤本久格
2016年2月19日20時07分
兵庫県豊岡市日高町の但馬(たじま)国分寺跡(国史跡)で、金堂などの主要な建物を結んだ回廊とは別の、新たな回廊跡が見つかった。市教育委員会が19日発表した。全国にある国分寺跡で主要伽藍(がらん)以外の回廊跡が確認されたのは初めて。何らかの重要施設があった可能性が高いとみて、回廊跡内を今後調べる。
国分寺は、仏教の力で国を治める鎮護国家実現のため、奈良時代に聖武(しょうむ)天皇の命令で全国68カ国に造られた。但馬国分寺の主要伽藍は765~66年ごろに完成したとされ、これまでの調査で金堂や七重塔、金堂と中門を結ぶ回廊の跡などが見つかっている。
今回、一辺約160メートルの寺域の東端付近で、柱を支える礎石を置いた跡が2列にわたって6カ所で見つかった。礎石は引き抜かれていたが、礎石の下に敷いた直径数十センチの根石が残り、周辺で瓦の破片が出土した。今回の調査地の南側では以前、南北方向に根石が16カ所で確認されており、回廊の長さは南北52メートルに及ぶという。出土した土器などから9世紀中ごろに建てられ、主要伽藍と並び立っていたとみている。
市教委などによると、寺域の端から僧侶が生活する僧坊や台所などに使った建物跡が見つかった例はあるが、回廊は例がないという。大手前大史学研究所の櫃本(ひつもと)誠一・客員研究員(日本考古学)は「わざわざ回廊で囲うということは、主要伽藍に準じる重要な施設が内側にあった可能性が高い」とみる。奈良文化財研究所の箱崎和久・遺構研究室長(建築史)は「聖徳太子をしのんで建立された法隆寺の東院(とういん)伽藍のように、立派な人物をまつる別院のような格式の高い建物があった可能性が考えられる。他の国分寺跡でも主要伽藍周辺の調査を重視する必要が出てきた」と話す。
現地説明会は21日午後1時半~2時半。JR江原(えばら)駅の西北に徒歩約5分。荒天時は近くの歴史博物館「但馬国府・国分寺館」(0796・42・6111)で報告会を開く。(藤本久格)
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