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【スポーツ】<創刊60周年カウントダウン企画>2004年ナビスコ杯2016年2月19日 紙面から
2004年から東京を代表するクラブとして、本紙は「365日FC東京」(現在はVamos!! FC東京)で密着取材をしてきました。その04年、ナビスコ・カップ優勝でクラブ史上初タイトルを獲得。目の前で優勝を見届けた高橋正和記者が当時を振り返ります。また、当時の優勝監督の日本サッカー協会の原博実専務理事、インテル・ミラノの長友佑都選手からのメッセージもあわせてお届けします。 FC東京がナビスコ杯を制し、クラブ初タイトルを奪った2004年は、チームに密着する「365日FC東京」をスタートさせた、まさにその年だった。 毎日毎日、監督や選手、スタッフの行くところ、どこにだって足を運んだ1年。そのごほうびをもらえたようで、今振り返っても担当記者冥利に尽きるラッキーなシーズンだったなと思う。 ナビスコ杯決勝の浦和戦ではDFジャーンが早々と退場し、1人少ない戦いに追い込まれながら、延長戦を含む120分間を耐え抜き、PK戦の末に栄冠をつかみ取った。この試合はもちろんだが、それに負けず劣らず強く記憶に残っているのが準決勝の東京ヴェルディ戦だ。 台風の影響で延期となり、ナイターとなった一戦。ジャーンの先制点とFWルーカスの2発で前半で3点をリードした。さらに相手には退場者が出て10人に。普通ならひっくり返りようのない楽勝ペースだった。 いつもは苦労する早版記事も、さっさと書き終わった。あとは後半の展開を見届け、試合終了と同時に会社に送信するはずだったが…。 ところが、後半開始2分で1点を返されると急失速してしまう。その後も危ういシーンの連続。嫌な雰囲気が漂っていたが、後半33、34分に立て続けに失点を許し、ついに3点差を追いつかれてしまった。 記事の中身も失点のたびに慌てて書き換えた。「3発完勝で決勝へ」が「完封勝利はならず」となり「ヴェルディに競り勝ち」に変わり、ついには「まさかの同点」に。さらに防戦一方となった後半終了間際、相手FW平本選手のシュートがポストを直撃した瞬間はまさに頭を抱えた。原稿を書きながら、あれほどパニックになった試合はなかった。 冷や汗をかき、青ざめた試合だが、延長開始直後にあっさり終わりを告げる。ルーカスがハットトリックとなる3点目を奪って決着。「何だよ、この展開は…」と、しばし放心状態に陥った。 この激勝が、実はしっかりと決勝への伏線となっていた。浦和戦のハーフタイム。原博実監督は「ヴェルディだって、あれから3点差をはね返してきたんだから、われわれだって、10人でも必ずいける」と選手に語りかけていた。サッカーの怖さ、そして面白さを実感した大会だった。 ところで、12年前の話を書こうと、いろいろ探していたら、こんなモノを見つけた。「FC東京初優勝」。2004年の開幕特別版で作製した「夢新聞」だ。予想と願望を込めた記事には「念願のリーグ初優勝に輝いた」「歓喜のVにスタジアムが沸騰した」と記してある。そろそろ、この記事が現実になってもいいんじゃないかなと思っている。 PR情報
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