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【スポーツ】<創刊60周年カウントダウン企画> 2007年朝青龍サッカー騒動2016年2月17日 紙面から
連日のように満員御礼の垂れ幕がかかり、ここ数年で人気が回復してきた大相撲。6年前には、横綱朝青龍が暴行問題をきっかけに引退、その1年後には八百長事件と、角界を揺るがす衝撃的なニュースが相次ぎました。相撲担当歴20年を超える岸本隆記者の印象に強く残ったのは、その元横綱の故郷、モンゴルまで緊急出張することになった2007年「サッカー騒動」でした。 2007年名古屋場所千秋楽から2日後の7月24日。21回目の優勝を飾った朝青龍が場所中に腰の骨を骨折していたという情報が入った。関係者の話を集め、(手前みそではありますが)独自ダネとして翌25日の本紙に掲載した。師匠・高砂親方(元大関朝潮)は、記事が掲載された日に「腰の疲労骨折のため全治6週間。夏巡業も休む」と発表。重傷だった。 こりゃあ横綱も大変だ。そう思っていたのもつかの間。25日夕方のニュースで、重傷であるはずの朝青龍がなぜかモンゴルにいて、元日本代表の中田英寿さんらと、ヘディングまでしてサッカーに興じる映像が流れた。 大変だったのは朝青龍ではなく、われわれの方だった。これはいかがなものかと、相撲協会のみならず世間も大騒ぎ。朝青龍は30日にモンゴルから呼び戻されると、その2日後の8月1日に開かれた協会の緊急理事会で、2場所出場停止などの厳罰をくだされた。 その日から朝青龍は錦糸町駅近くの自宅マンションから一歩も出なくなった。われわれのやることといえば、午前中は高砂部屋に姿を見せないか確認し、午後から自宅マンション前に移動。夜中までひたすら待ち続けることだけだった。 日中は暑さが敵となるが、涼しくなった夜中にも敵はいた。どこからともなくゴキブリの大群が現れる。連日の監視で疲れ切った他社の記者が地べたに座り込んで寝ていると、それを取り囲むようにゴキブリたちがはい回った。今思い出してもゾッとする。 自宅マンションには精神科医や国会議員など著名人が続々とお見舞いにきた。多くの登場人物のおかげで記事に困ることはなかったが、そんな日々が1カ月近く続いたころ、相撲診療所で「解離性障害」と診断された朝青龍がモンゴルで治療することが決まる。 当然ながら「モンゴルへ行け!」という会社からの指令。無精ひげをはやし無表情の朝青龍と同じ飛行機に乗り込み、8月29日に日本を飛び立った。空港では何度か顔を見ることができたが「解離性障害」を患う朝青龍の視線はおぼつかなかった。 モンゴル到着後に向かったのは「ドリームランド」という、ウランバートルから450キロ離れた古都ハラホリンに、朝青龍が作ったリゾート地。そこに入れてもらえない私は近くでゲル(移動式住居)を借り生活。その後は、視察に来た高砂親方が「ツルツルになった」と帰国後に名言を吐いたホジルトの泥温泉へ移動した。高砂親方はツルツルになったが、私がモンゴル滞在中の2週間でおふろに入れたのは、到着した日と帰国の前日だけだった。 滞在中に朝青龍の姿を遠まきに見ることはできても、会えずじまいで秋場所前に帰国。再会したのは、朝青龍が再来日して国技館で記者会見した11月30日だった。 会見前、通路ですれ違った朝青龍から「あのときは話せなかった。ごめん」とささやかれた。うん? あのときっていつ? 「解離性障害」だったはず…。こっちは日本へ「帰りたい障害」にかかっていたというのになあ、まったく。(岸本隆) PR情報
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