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『ちたろまん』とのご縁
もともと記憶力の弱い私であるが、それに75才という、人生を逆算できる年齢になった現在、その力は日々低下し、極限状況を更新している。それを補うために、以前から辞書や資料とりわけ年表の類は手放せない。手軽に身近において活用できる年表として学生諸君に推奨してきたものに、『年表 昭和史1926−2003』(岩波ブックレット 580円)がある。こゝに、自分や家族・知人の誕生日や必要事項を記入し、「自分史的年表」を作ってみることも提案してきた。自分を社会的歴史的に認識する視点や関心を、育てるようにとの思惑もあってのことである。私もその例外ではない。 |
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◆ ◆ ◆ ◆ ◆ この全国一斉学力テストの洗礼をうけた中学2・3年生は今や60才・61才になっている。言い換えれば、教育基本法の規定する人間教育ではなく、経済発展のための人材として開発・選別されてきた「人材」が、60才・61才にまで、今日累積されてきている、ということになる。 人間にあるまじき行為を、「非行」というのなら、今や非行は、子ども・青年に止まらず、国や地域の指導者であるべき政・官・財界、教育界、家庭の親にまで、現実多様に表れてきている。人間として大切に育てられてこなかった結果である。この教育体制の改革なしには、「教育・人間の再生」は、ありえないと確信し、今日に至っている。 そんな中、原稿執筆をお受けした動機は、発行者の赤井さんが「新聞を販売するだけでなく、自分も知多の地から文化を発信したい」という人間的願いの持ち主であることを知ったからであり、いたく共感したからである。私も「人間と教育再生」への思いを込めて、その気になって歳時記風に一年間書き綴った。 人間は、共感すること、その気になることで生き生きし、充実した生活が送れることを実感させて頂いたご縁であった。この十二篇の記事は、大切に保存し今も時々読み返している。 『バリ島』とのご縁 私がはじめてバリ島を訪れたのは、1992年還暦を迎えた年である。当時バリ島は、「神々の島」「地上最後の楽園」などと観光業者が日本にも華々しく紹介し、大量の日本人が老若男女を問わず訪れていた。日本ではすでに失われた自然と、それと共に生きるバリの人々の暮らしと文化を求めてのことだったのだろう。私の妻も80年代半ばから、すでに毎年、縁を結んではグループで訪れていた。音楽・舞踊を求め、染色・織物を求め、絵画・彫刻を求めてのバリ島ツアーを楽しんでいた。 |
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