生憎の天気で、那須高原付近は豪雨。目的地で土砂降りにならなければいいなと思いつつ、いつもの東北道を北上。
放射線量の測定値も、ずいぶん低くなりましたが、それでも郡山付近でピークの150cpm。
一関ICで下道に降り、山道を走ること2時間、16時ころ、陸前高田市の中心部に入るところで、警察官の指示で一般車両は迂回させられてました。こちらは支援物資を運ぶ緊急車両として通してもらえました。
市役所にナビの目的地を合わせて向かってましたが、道のりで6キロ手前からすでに津波の被害が、、、
まだ海は見えません。
間もなく市役所に近づいてきましたが、、唖然、、、これほどの高さまで津波の痕跡と建物、、いや街全体の崩壊は、今まで何箇所も被災地を見てきた自分も、、言葉を失います。
まだ車が通れる道も限られ、橋が流されているので川向こうにも行けない。
世界的に大変話題になっているという、津波に負けずに残った「一本松」。
周辺の道路の崩壊も激しく、車両は進入禁止となっており、数百メートル歩いて行きました。
まずは、最初の目的地、避難所になっている広田小学校へ。海沿いの道は瓦礫も多く、危険な箇所でした。パンクなどの恐れもあるので、小高い山沿いにできた新しい道を通るのが良いでしょう。
広田小学校には、お米と缶詰、レトルトなど食品と水用ポリタンクをお届けしました。物資は十分にあるとのことでしたが、食料品は近隣の避難所などにも配布するため、すぐに失くなってしまうそうです。
その後一旦戻り、陸前高田市の支援物資集配所である給食センターを訪れました。支援の状況を聞きますと、すでに余るほどの物資で、受け入れを休止しているとのこと。
陸前高田市の南部地域の避難所も回る予定でしたが、日も暮れてしまい、その方面へ行ける道路を見つけることができず、急遽、気仙沼市へ行くことにしました。
19時、気仙沼市の災害ボランティアセンター本吉支所に到着。佐賀県から支援で来られているという、この日の担当の方を通じて、食品、下着・肌着類、衣類をお届けしました。

暗くなっていたのでよく見なかったのですが、この支所から眼と鼻の先は建物の崩壊も激しいようでした。
時間も遅くなってきたので、その後はまっすぐ帰ることに。
東北自動車道までは、なかなか距離があります。道路は特に問題もなく、スムーズに走れました。
午前5時、神奈川事務所到着。
次は、4月30日に再び石巻市を訪れます。
支援物資はもう十分に集まっておりますが、運搬のための費用の捻出が大変困難な状況になっております。
毎度のお願いですが、支援金(カンパ)をお願いいたします。
【お振込先】三菱東京UFJ銀行 青山通支店
普通預金 0095663
一般社団法人 日本国際芸術文化協会
【シヤ)ニホンコクサイゲイジュツブンカキョウカイ】