この世には触れてはならぬモノがある。触れたら最後、貴兄らには厳しい罰が下されよう。その罰とは、「船乗りは貴重なモノを捨てない」というもったいない精神!
目次
『白鯨との闘い』感想とイラスト 神か悪魔か怪獣かスポンサーリンク
簡単な作品データ
『白鯨との闘い』In the Heart of the Sea
2015年/アメリカ/122分
監督:ロン・ハワード
原作:ナサニエル・フィルブリック
脚本:チャールズ・リーヴィット
撮影:アンソニー・ドッド・マントル
音楽:ロケ・バニョス
出演:クリス・ヘムズワース/ベンジャミン・ウォーカー/キリアン・マーフィ/トム・ホランド/ベン・ウィショー/ブレンダン・グリーソン
予告編動画
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適当な解説
一線を越えてしまった船乗りにはさらなる「もったいない」試練が課されるという海洋アドベンチャー・ドラマです。原作は『白鯨』の元ネタとなった海洋事故を描いたナサニエル・フィルブリックによる『復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇』。監督は『ラッシュ/プライドと友情』のロン・ハワード。主演は『ブラックハット』のクリス・ヘムズワース。共演に『リンカーン/秘密の書』のベンジャミン・ウォーカー、『28日後…』のキリアン・マーフィとブレンダン・グリーソン、『パディントン』のベン・ウィショーなど。
あらすじ
1850年。アメリカの新進作家ハーマン・メルヴィル(ベン・ウィショー)は、次回作の取材のために30年前に起きた捕鯨船事故の唯一の生き残り、トーマス・二カーソン(ブレンダン・グリーソン)のもとを訪ねていた。最初は証言を渋っていた二カーソンだったが、やがてその重い口を開いて衝撃の事実を語り始める。1819年。当時14歳の新米船員二カーソンを乗せた捕鯨船“エセックス号”は、鯨油を求めてナンタケット島を出港する。しかし、家柄によって選ばれた船長のジョージ・ポラード(ベンジャミン・ウォーカー)と、ベテラン一等航海士のオーウェン・チェイス(クリス・ヘムズワース)との仲は一触即発の状態にあった。
そんな彼らの航海はトラブル続きで、クジラはほとんど発見できず、一縷の望みをかけて未知の海域へと船を進める。そこで彼らはマッコウクジラの大群と遭遇し色めき立つが、その大軍を率いているのはおそろしく巨大な白鯨だった……。
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勝手な感想と評価/ネタバレ有
ハーマン・メルヴィルの『白鯨』の元ネタとして知られる、19世紀に起きた捕鯨船エセックス号の悲劇。その衝撃の実話をメルヴィルが唯一の生き残りから聞き出しているというていで進行するこの映画。興味津々でありました。「これは怪獣映画だ!」と信頼のおけるレビュー記事を目にし、一刻も早く馳せ参じたかったものの、結局タイミングが合わず公開終了間際の鑑賞と相成ってしまいました。というわけでさっそく怪獣映画、『白鯨との闘い』の感想です。
怪獣映画と隙だらけのドラマ
はて?メルヴィルの『白鯨』は読んだことがあったようななかったような?おそらく忘却の彼方に読んだ事実は確かだとおぼろげな記憶をまさぐるものの、覚えてないのであれば読んでいないも同然。ある意味まっさらな気持ちで観れるのはそれはそれで良きことかと。ほんでまあ、そんなまっさらな気持ちで鑑賞したこの映画がどんな映画だったかと申しましたら、やはり「怪獣映画」以外の何ものでもないというか、そういう楽しみ方ができるお人にとっては十二分に満足できる怪獣映画だったというこの事実。
ではそういう楽しみ方ができないお人にとってはどうだったかと申しましたら、一人称の語り手が都合によって三人称に変化し、見てないであろう事実まで雄弁に物語ってしまうという視点の散漫さと、焦点のズレがあり、難癖つけようと思えばいくらでもつけられる隙だらけのドラマ運びでありました。
血湧き肉踊る快進撃
しかし、怪獣映画としての衝撃はけっこう半端ではありません。モビィ・ディック、ではない名無しの白鯨の圧倒的スケール感と破壊力。これを神と見るか?悪魔と見るか?はたまた怪獣と見るか?いやいや、これはただのでっかいクジラだよ。なんて冷めた豪傑もおられるでしょうが、神も悪魔も怪獣も、誤解を恐れずに要約してしまえばつまりは「怪物」。人知を超えた未知なる畏怖すべき存在。そんな怪物へと一線を踏み越えてしまった人間がどうなるか?
その圧倒的な力の前になすすべもない人間の卑小さ。この太刀打ちしようのない絶望感はまさによく出来た怪獣映画。重厚な音楽に乗ってエセックス号を蹂躙するこの怪物の快進撃。血が湧き、肉が踊ります。
おもいっきしネタバレです
ここからタイトルどおりの熾烈な『白鯨との闘い』が展開されるのかと思いきや、やはり神か悪魔か怪獣か、人知を超えた怪物と卑小な人間とでは端から勝負にならず、我ら人類はその圧倒的な力の前にひれ伏すのみなのです。触れてはならぬモノに触れてしまった身の程知らずに対する罰。ここから物語は一変し、絶望的な漂流サバイバルと化します。小さなボートにひしめき合う打ちひしがれた男たち。生と死の相克。生きるために彼らに突きつけられたあまりに苛烈な試練。
『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』でも抽象的に描かれていた、生きるために人が人を喰らうというあまりに苛烈な試練。ネタバレです。ネタバレですがこれを書かなきゃ話が始まらない。
おそらくロン・ハワードが描きたかったテーマはここにこそあるのです。触れてはならぬモノに触れてしまい、犯してはならない行為を犯してしまうように仕向けられた人間。肥大化した欲望への警告。つまりは罪と罰。
捕鯨国に生きる我々
己が欲望を充足させるために他者の領域を土足で侵犯する。この映画を「反捕鯨映画」としてとらえることもできるでしょう。おそらくロン・ハワードの視点もそこへと向けられていると思うのですけど、我々日本人にはまたちょっと違った意味合いが生まれてくると思うのです。生きるために人が人を喰らうという現実。その行為へと踏み切る恐怖もさることながら、それへと踏み切ってしまったあとの想像を絶するであろう罪悪感と後悔。人としてあるべき一線を踏み越えてしまった自分はもう自分ではなく、人ではない何か別のモノに変わってしまったのではないか?
そんな犯した罪に対するあまりに大きな代償。この現実の前ではクジラを獲ろうが獲るまいが、鯨肉を喰らおうが喰らうまいがたいした問題ではない。つまり、人肉食という大事が鯨肉食という小事を打ち消してしまっておるわけですな。
捕鯨国、鯨肉食文化を残す野蛮人の勝手きわまる論理だ!と海のブロンディ(ヒトラーの愛犬の名前)やマメ科の野菜エンドウから「てめえを喰らってやる!」とお叱りを受けそうですが、そう思ってしまったものは仕方がない。
そういう意味ではロン・ハワードの目論みは失敗に終わったと言えるでしょう。あまり芳しくない興行成績と批評もそれを裏打ちしてます。ただしそれと映画の出来が直結するわけではありません。事実ボクにとっては面白い映画でありましたから。
禁忌破りの結果やいかに?
視点の散漫さと焦点のズレによって、芯がビシッと定まっていない不安定さがやや残念ではありますが、怪獣映画としての圧倒的破壊力と、怪獣に蹂躙された人々の絶対的敗北感、そしてそれによる禁忌破りの衝撃にはおおいに観る価値があります。ドラマ的にもやや説得力不足ではありますが、挫折と絶望と禁忌を犯した結果、対立していたふたりの男のあいだに「プライドと友情」が形成されているのも見逃せません。彼らふたりはこの苛烈な試練を糧としたわけですね。
しかし強いなぁ。ボクだったら己の命の重さに負けておののきながら禁忌を犯し、その罪悪感から自分自身を見失い、生涯にわたって秘密を保持したまま人目を避けてゴミのように死んでいくことでしょう。
あるいは怪物との対峙の結果として禁忌を犯し、我も人ならざるモノへと変化し、生涯を「怪物」として闇のなかを這いずり回ることに……。
個人的評価:6/10点
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