慶應義塾體育會剣道部の歴史
慶應義塾體育會剣道部は、慶應義塾の創設と共に始まった塾生有志の稽古を土台として明治11年に剣道会という名で正式に発足した。 当時はまだ戦乱が相次いでいたため、塾生も勉学の合間に剣道で士気を養っていた。慶應義塾創設者である福沢諭吉も剣道を推奨し、自らも日常的に居合をしていた。
明治25年に體育會が創設され、「剣道部」という名称になった時には既に部員は60名を超え、規則、部員幹事、指南役、部長を持った完全な組織として活動を行っていた。創部と共に始まった剣道部大会に、明治32年には当時の東京府下にある各学校、警察署より参加者を募って相互交流を深めるなど、剣道界の主導的な役割を果たしてきた。大正14年になると、以前より親交の深かった早稲田大学と正式な定期戦「早慶対抗剣道試合」を毎年秋に開催するようになった。
昭和10年には日吉に道場が新設され、同年全日本大学高専剣道優勝大会で小林大二郎が個人優勝、昭和13年、14年には同団体戦で高等部が優勝、15年には大学予科が優勝した。
関東学生剣道連盟には、その結成と同時に加盟した。高名な師範にご指導を頂き、日吉道場・綱町道場が相次いで改築されるなど恵まれた環境の下で、各部員が高い意識を持って毎日の稽古に励み、数多くの成績を残すことができた。
慶早戦の歴史
前述した早慶対抗剣道試合は戦中戦後の11年間のブランクを挟みながらも現在まで受け継がれ、本年で第80回を迎える歴史ある大会となっている。更に女子部員の増加とその熱意によって、昭和58年より早慶対抗女子剣道試合も開催され、本年で33回を迎えるまでになっている。
戦績は現在、男子は35勝41敗3引き分け、女子は12勝19敗、不戦1と一進一退の攻防が続いている。この対抗試合にはインカレや他校との試合にはない独特の雰囲気と盛り上がりがあり、それにかける意気込みは他のどの試合、大会にも比べることができない程である。現役部員のみならず、先生方・先輩方も含めて総力戦で毎年この試合に臨んでいる。
我々の目標は関東学生団体、全日本団体、慶早戦という三大会全てで勝利を収めることであり、目標に向かって部員全員が一丸となって日々精進している。また、我々が日々の稽古で求めることは試合における勝利だけでなく、部員の和を通しての人間形成である。