ツイッターのトレンドに「睡眠障害」という単語が上がっていたのを見た。何があったのかと思ってクリックしてみれば、違法献金疑惑のあった議員の甘利氏が睡眠障害で1ヶ月の休養とのこと。そのニュースへのリンクとともに「睡眠障害で1ヶ月も休むとはいいご身分ですなぁ」というコメントが入ったツイートが最上位に表示されていて、そのツイートを見た瞬間に電光石火の如く、疾風迅雷の如くブラウザを閉じた。
睡眠障害で休むとは…というのは、多分睡眠障害=甘えとかそういう意味なんだろうなぁと思う。ツイッターのトレンドに入るくらい呟かれてるんであれば、同じように睡眠障害=甘え、そんなんで休むなんてけしからん、死ね、とかそういう感じのことをつぶやいてる人も多くいるだろうし、睡眠障害を隠れ蓑にして雲隠れしようとするのはけしからんという睡眠障害がどうこうというよりも、それを理由にして雲隠れしようとしてるのにけしからんと呟いてる人もいるだろう。どっちが多いのか、また別の意見のが多いのかは分からない。その1つのつぶやきを見た時点で反射的に見るのを辞めたので分からない。検索欄に「睡眠障害」って打ち込んで調べればある程度分かるだろうが、今夜もまた寝れなくなるだろうからやらない。見たくない。
今よりも数倍の薬を飲んでいた頃、その頃通っていた医者の予約時間よりも早く医者についてしまったので、その近くの喫茶店でボーッとしていたときがある。で、そこに声のデカイおじさんが居た。聞き耳を立てると、そのおじさんは何かの社長で、そこの社員がメンタルの調子を崩して何処かへ行ってしまったらしい。そのことに対して怒りをその上司か誰かにでかい声でぶつけていた。「鬱とかパニック障害とかそういうものは全部甘えなんだよ、そんなもんありゃしない!」と言っていたのを覚えている。はっきりと覚えているし、多分ずっと忘れない。聞きたくなくてもその声は耳に入ってくるし、体が強張って全く動けない。コーヒーカップに手も伸ばせず、半泣きで、おじさんの言葉が耳に入ってくるのを拒むことも出来ず何も出来ずそこで呆然としていた。おじさんたちが店を出て、1時間位ずっとそこで呆然としていた。じゃあ自分は何なんだ。甘えの塊かなんかなのか。甘えで不正にズル休みをし続ける最低の生き物なんだろうか。もちろん反論したい気持ちも多少はあった。自分がならないからそれは存在しないなんて詭弁じゃないか。そういう反論と共に別の自己嫌悪というか罪悪感もあった。鬱とかパニック障害とかがあったとして、果たして今の自分は本当にそういう状態なんだろうか。入院措置が必要なくらいに自分より重症な人もいる中で、それに比べたら自分はそこまでのレベルではない。じゃあ自分は鬱とかそういうものを装って、それに乗じて諸々を免除してもらっている甘えた身ではないのか。つまりはちょっとダルいくらいで熱があると言いはるような感じで、ちょっと落ち込んだくらいで鬱だと言いはるような仮病を使っているような身なんだろうか。結局おじさんのその言葉に対する自分のスタンスは未だに分からない。その言葉を反芻する度に色々な気持ちが湧いてきて混乱する。
まぁとにかく、その睡眠障害=甘えと言っているようなツイートを見て、その時と同じような気持ちになった。睡眠障害なんぞは存在しなくてそれを何らかの理由とすることは甘えだけしからんとか、睡眠障害というもの自体はあるけどお前どうせそんな酷いレベルじゃねえだろ仮病代わりに使うなけしからんとか何か色々言われてるんだろうか。誰だって寝れない時くらいあるだろう。1日2日よく寝れない経験くらい誰だってある。でもそれが睡眠障害と言われることはないだろう。小さいころから寝付きが悪くて、どんなに日中体を動かしてても、布団に入って寝付くのに2,3時間かかるのはいつものことという人もいるはずだ。そういう人からすれば数週間そういう状況になったところで、別に大したことないじゃんと判断されるだろう。医学的な定義はともかくとして、それらの状態は、一般的に、社会的に、どう捉えられるんだろうか。睡眠障害という言葉がどういう捉えられ方をするんだろうか、と思うと不安になる。もうその言葉を引き合いに出した時点で、そいつは甘えてるだけだと判断されるのだろうか。その言葉の定義がどうであろうと、どれくらいであれば睡眠障害として医学的に判断されるのであろうと、その言葉を聞いた人がその自称睡眠障害の人がどの程度睡眠に困難を伴っているのかを聞いてこいつは甘えだとかこいつはマジもんだとか判断するのだろうか。お医者さんのお墨付きがあろうと、その言葉を聞いた人が「そんなん大したことないだろ」と言ってしまえば甘えになる場合もあるだろう。自分は自称睡眠障害の甘えた身なんだろうか。ブログでグチグチ言ってねえで早く働くか死ねゴミカス甘え野郎、というような評価を社会的には受けるのだろうか。例え今よりもいい状態になったとしても、就職面接で「以前は睡眠障害でしたが…」なんて言った途端に「こいつはどうしようもねえ甘えたクズだな、雇いたくねえ」と捉えられてしまうんだろうか。よく分からない。
もちろん自己嫌悪や不安や罪悪感もあれば、先のおじさんの話に対してと同じように反論したい気持ちもある。反論というかもう屁理屈と揚げ足取りみたいなもんだけど。例えばインフルエンザだって甘えじゃないのか。原因は置いといたとして、一時的に負荷がかかりまくって睡眠障害になって1ヶ月の休養が必要となった場合と、インフルエンザで1週間~2週間会社にいけなくなった場合。前者は負荷をかけ過ぎるとメンタルがやばくなるんだというリスクを表しているが、後者はインフルエンザの流行予測が出て毎年今くらいの時期になるとインフルエンザが流行するという知識がありながらも予防接種やマスクをしたり手洗いうがいなどの自衛を行わなかったから罹った可能性は高いのだから、それらの自分の身に振りかかる可能性があるリスクを無視して行動するという「リスクを軽視しがち」というリスクを表しているんじゃないのか。 わかりきっているのに遅刻する奴だってそうだ。1ヶ月位前だろうか、沖縄にも雪がふるくらいの大寒波があった。当然沖縄に雪が降るくらいだから、本州でも雪がメチャクチャ降って交通機関にも影響が出まくっていた。人がゴミのようだと言いたくなるくらい駅に押し寄せる人だかりの写真がツイッターとかで出回っていた時だ。その前日、大寒波が来るからヤバイで、雪降って交通機関にもメッチャ影響出るでこりゃ、とどこの局の天気予報でも言っていたのを覚えている。鉄道各社も、だいたいそういう時は天気予報を参考にして、明日はヤバイっぽいからそれなりの対策をしてね、と車内アナウンスを流しているのを何度も聞いたことがあるので、多分その時も流していたのだろう。で、結局アホみたいに駅に人が押し寄せて会社に時間通りにつかない人続出、という結果になっていたわけだ。その大寒波の影響の話題がニュースで取り上げられていたけど、インタビューに「今日は大事な会議があるんですけど、それに間に合いそうも無くて困りますね、どうにかしてほしい」とか抜け抜けと言っていたおじさんがいたのを覚えている。はっきりと覚えている。就活中の学生かと思うくらい地味なスーツでハゲ散らかしたおじさんが、抜け抜けと言っていたのを覚えている。態度も抜け抜けとしてれば頭も抜け抜けなんか。もう明らかにヤバイことが前もってわかっているのに何の対策も施さない上に、電車が動かないから遅れたという責任転嫁。これこそ甘えじゃないのか。これは甘えとしてカウントされないのか。もう明日は行けませんと宣言するなり、大事な会議があるなら会社の近くにホテルとるなりなんなり出来るんじゃないのか。甘えとしてカウントされなかったとしても、あまり睡眠障害になる人間と同じく一種のリスク要因ではないのか。何の対策も施さなかったからこそ、お前の頭はそんなハゲ散らかってんじゃないのか。
何にしても、「睡眠障害=甘え」みたいな捉えられ方をされるんじゃないのかというのは物凄く不安だ。そもそもツイッターでそういう事呟く人がどれだけいるのか、それが社会の代弁というわけでは無いのはわかっているが、ある程度は存在するんだなというのが分かってしまったので不安だ。いま睡眠障害とか不眠症で休職してる人たちが影で「甘利」とかアダ名つけられてるんじゃないかと思って不安だ。この言葉はどういう意味として社会的に捉えられる様になるのだろうか。何もかもが不安だ。