現実にもネットにも賢い人はいっぱい居ますよね。ブロガーに限っても文章が面白かったり、難しいことをかみ砕いて書いていたりと参考になりますし、すごい憧れでもあります。
しかし、偏差値40だと言い張ってる人は...現実にもネットにも居ないようですね。
なぜ敢えて偏差値40だと言い張り、それについて一生懸命語るのか私なりの理由を書いてみます。
学生の現実を書こう
情報発信をしたり、はたまた起業をしたりという学生は一気に注目を集めていますが、どうも学生らしさがないのです。
もうなんというか別世界に居る人たちのようです。世間に居る学生ってそういう人たちに比べたらもっと普通でどうってことない日常を楽しんでいたり、傍から見たらくだらない問題に悩んだりしているわけです。
実際のところ、テレビで取り上げられるような中高生より取り上げられない中高生のほうがもっとリアルで生々しい部分がいくつもあります。
そういう人って、でも情報発信をしないんですよね。私は珍しいことにそういう環境に身を置きながらブログをやっているわけです。だからこそ、ブログを通して発信する意味があるのかなと思います。
それと同時に偏差値が低くなればなるほど、顕著になる意識の低さについて語る必要があるからです。
先日書いた、この記事ではフレキシブルスクールという制度を持った学校についてと、偏差値の低い学校に居る生徒の意識の低さについて書きました。あまり、学校教育の現状がネットに出回ることはありません。
何でもそうですが、学生の輝かしい部分だけ切り取られて取り上げられたり、教育にしても賢い人だけをどんどん伸ばそうとして、こういう現状は無視されてしまうのです。いつまで経っても置いてけぼりのままです。
大人にとってはどうでにでもなれ状態で、一向に改善されません。だから、少しでも誰かしらに知っていただければと思って書いています。
敷居を下げておきたい
何でも情報発信やら、色々なことが学生にとっては非常に難しいことに感じられてしまうようです。ですので、ここは何としてでも敷居を下げたいわけです。そこで、私の登場です。私でもこういうことが出来ているから、誰にだって出来るということを知ってほしいのです。
そうしたら、もっと色々な人が色々なことを書いてくれるようになると思います。上記で上げた教育の問題や現状をもっと突っ込んだ形で。
そういう話が広がってくれたほうが考えるきっかけになるかと。
低偏差値は考えさせられる
とにかく偏差値という数値で人を見る人が多いのです。以前このような経験をしたのですが、その場に居た人がやたらと高学歴自慢をしてきたのです。
偏差値という数値で自分を語る人は少なくありません。
高学歴自慢は耳に障りますし、もっとすごい人ならいくらでもいるのでもう十分かと。だったら、逆に偏差値の低い人の話をしてあげようではないかと。
賢い発言や鋭い指摘はどこにもないけど、考えさせられるような視点や見方というのを持ち合わせているのも彼らの面白い魅力だという風に考えています。
この記事では偏差値の低さが見事に伝わる授業を紹介したのですが、勉強なんかどうでもいい、バイト疲れで寝てしまうということも考えさせられます。なんというか論じるのではなく、体感で感じられる現実というものがあります。
で、こういう記事が案外見られていたりします。
色々な世界があるんだ
情報発信を始めて思ったことは、色々な世界があるということです。賢い人もいる、サラリーマンの人もいる、フリーランスの人もいる。
色々な世界を知ることが出来ます。私もその色々な世界の一つをお伝えできればいいなと思い、こういう話をしています。
ツイキャスで進学校の人たちと話をして、同じ学生でも「こんなこと知らなかった」と言ってもらえたことでより伝えたい気持ちが高まりました。
これからも「偏差値ふぉーてぃー」なりにがんばりますのでよろしくお願いします。
追記
偏差値なんて過去の話だと思うのでとらわれる必要がないんじゃないかな?自分と他者の差別化のために使っているのだとしたら「偏差値という数値で人を見る人」の一人になっているという自覚は持っておいてほしい。
特に他者との差別化のために使いませんし、差別化したところで特に意味ないです。ただ、そういう現状があるということを知って欲しいだけです。
そして「偏差値なんて過去の~」という意見についてはよくわかりますが、現実に偏差値の差は感じるものです。私の通っているフレキシブルスクールはそういうものに捉われず個性を重視するというコンセプトですが、実際のところは綺麗ごとで無気力の塊でしかないく、やはり分断を感じるものです。