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ルーク・スカイウォーカー問題
最近、会社の若いゲームデザイナーに説明することがあったので、ついでと言っては何だが、ルーク・スカイウォーカー問題と呼んでいる古くて新しくて難しいゲームデザイン上の問題について、メモ書き代わりに残しておきたい。
尊敬するクリス・クロフォードがElectric GamingやCGDCの講演でスゴく語っていたゲームの持つ宿命的な問題だ。

「映画のヒーローのようになりたい」という、誰でも一度が持ちそうな夢を叶えるのは、テレビゲームのストーリー的な側面、シミュレータ的な側面、そしてインタラクティブメディアであることが組み合わさった、素晴らしい能力だ。

ところが映画のヒーローが立ちむかわなければならない、クライマックスのような状況を本当にゲームで設定すると、ほとんどクリア不可能なうえに、クリア出来るようにすると、別の問題が起こる、というのがこの問題のそもそも。
例えば(問題の名前に準じて)スターウォーズ EP4のラストバトルの条件を考えてみよう。

・ターゲット直径2メートル。正確に当てないと終了。
・コンピュータで狙ってもターゲットに当たらないことは、前回の攻撃で証明済み
・残り数分で反乱軍の基地は吹っ飛ぶ。勝負はただ一度。
・ターゲットを攻撃するためにはクソ狭い溝の中を飛んでいかなければならない。
・後ろからはベイダー卿ご一行がビーム撃ちまくってくる
・前からはバリバリ対空砲火
・頼りにしていたナブロボットも吹っ飛んでる。
・味方は自分だけ。

どう見ても殺しにかかっている難易度で、こんな最終面があったら、僕なら「クソゲーだ!」とほぼ間違いなく叫ぶ。
ではどういうバランスを取ればいいのか、何がゲームデザインとして正しいのか? というのが、ルーク・スカイウォーカー問題。


この問題を解決するために、通常のゲームでは、大別して3つの方法が提案されてきた。

■その1
はるか遠い昔のゲームでは普通だったやり方。
「クリア出来ない奴が悪いんだ。ゲームオーバー? また最初からやれよ。ハハッ」
終わり。
ルークと同じ能力がないヤツ以外はエンディングは見られないって方法だ。全くなんの矛盾もない。実に素晴らしい。
問題なのはルークになれない99.999%の人間にとってはクソゲーだってことだ。
どう考えても作品的にはいただけない評価を受けそうだし(クリア出来ません、★1…目に浮かぶようだ)、売り上げ的にも問題があるのは火を見るより明らかだろう。今は35年前のコンピュータゲームを遊んでいる人間がマイナーでゲームをゲームデザイナーからの挑戦と受け取るマゾゲーマーばかりの時代ではないのだ。

■その2
「溝の中で死んでも、溝の中で何度も蘇る」
今のTPSやFPSでは当たり前のチェックポイント方式。一昔前ならコンティニュー可能と表現するところだ。イマドキなゲームはさらに必要ならオプションで自由に難易度を変えられる仕掛けを入れて、クリア出来るようにするのは一つの主流だ。
「うわお、1発で死ぬなんてありえないよ。very easyに設定して…これなら10発食らっても死なないぜ!…クソ死んじゃったよ。でもチェックポイントは通過したから…」

■その3
RPGメカニクスと組み合わせる。これはその2と組み合わせにすることも出来る。
「デススター上空でtie fighterを25機ほど撃墜して、レベルアップしてHPを強化して、ついでにターゲット狙い撃ちスキルを入れて、挑戦だ!」
「おおルーク きちを はかいされるとは なさけない…」
「外しちゃったよ、またデススター上空で経験値稼ぐかあ…」

この3つ主なやり口だけど、(1)はともかく、(2)と(3)については一つの前提がある。
それは何度でも繰り返して、同じシチュエーションにチャレンジ出来る、すなわちプレイヤーが勝利しない限り、次には進まない構造だ。

ここでクロフォードが言っていた第二の問題が出てくる。

ドンパチやってる⇒死ぬ⇒舌打ち⇒途中からコンティニュー⇒今度は倒す

パズルとしては全く正しいが、途中からコンティニューは体験としておかしいじゃないかという指摘だ。
体験とは本質的には時系列順に並んでいる一回性のもののはずなのに、それが(一本道の)ストーリーやパズルメカニクスと組み合わさった結果、学習することで先に進む構造になっている。これはパズルとして見れば問題ないが、ゲームを体験とみなした時、本来あるべき体験の一回性や連続性が壊れているではないか、根本的なゲームと(ストーリー)体験の関係性が破綻しているではないかという指摘だった。

全くごもっとも。
スゴいよ、クロフォード。
クロフォードはこの問題を1993年に指摘して、解決するために、全NPCをAIにしてプレイヤーがどんな行動を取っても、それなりに納得の行くストーリーに着地する動的なストーリー構造なんてものすごいことを考え始めるのだけど、それはともかく、この問題は他の問題も引き起こす。

それは一番最初のEP4のシチュエーションと解決法2/3では、ズレがあることだ。
残り数分で反乱軍の基地は吹っ飛ぶ。勝負はただ一度 のはずなのに「ちょっくらレベルアップするか」、「このチェックから先に進めないから難易度下げてやろう。何回かやればクリア出来るだろう」では緊張感もへったくれもなくなってしまう(厳密には残機があると1もズレるのだけど、1は残機=0、すなわち一度でも死んだらゲームオーバーにすれば問題は解決する) 。

これはプレイヤーが勝利しない限り、ストーリーは進行しないから起こる問題で、およそほとんどの強い(一本道に近い)ストーリーのあるゲームがほとんど宿命的に抱えている問題だ。
だから、一刻を争う世界の命運を決する戦いに行かないといけないはずなのに、世界漫遊の旅に出てやりこみ要素をプレイするとか、世界を滅ぼす魔王の目の前でアイテムの配分をするといった、世界観や整合性の観点からするとどうにもいただけないことが起こってしまう。

そしてもちろんこれは体験の一回性とも実に関係がよろしくない。

では現代ゲームデザインではこの問題にどうアプローチしているのか?
「ここにエネルギー突っ込んでも、動的なストーリーとか難易度高すぎるし、プレイヤーの行動を抑制するとか好かれないし、解決できねーから、やんぺ」が解答になっている。
コストとベネフィットを考えれば理解はできるが「オープニングには金をかけるがエンディングにはあまりかけない」って発想と同じ匂いを感じ、どうにもモニョるのである。

なお、この問題を解決するゲームデザインももちろんある。
例えば風來のシレン・トルネコのような「なんだかわからないけれど、ダンジョンで殺されても最初の村に戻されるだけ」の謎の地形だとか、マズいことになったらタイムトラベルして過去に戻るとか、体験の一回性を維持しつつ、整合性を取れるゲームは存在している。
ただ、極端に世界設定に依存することが多く、万能の解決策とは言いがたいやり方なのは間違いない。
|| 21:05 | comments (0) | trackback (0) | ||

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