• time 2016.02.17

丹羽良徳が京都市芸の展示会場にデリヘルを呼ぼうとして炎上、自分の考え

丹羽良徳君が京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAでやろうとした「デリバリーヘルスのサービスを会場に呼ぶ」がネット上で相当たたかれて炎上していましたが(※1) 、丹羽君がこれまでやってきたことは、彼同様に実験的な現代美術を実践してきたアーティストとしての自分には共感することが多々あり、この件を通して自分の立ち位置も再認識させられました。いろいろ考えたことを文章にしてみました。

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パフォーマンス・アーティストとして世界を飛び回る
学生アーティストの中では突出した存在だった丹羽良徳


 丹羽良徳君のことを知ったのは10年程前、彼はその当時まだ多摩美の学生だったと思いますが、パフォーマンス・アーティストとして世界を飛び回ったり、アメリカの学生との国際交流展を企画したり精力的に活動していて、当時の学生アーティストの中では突出した存在として自分の目には映っていました。

 日本にSNSのmixiができた2004年、アーティスト・イン・レジデンスや助成金の情報は今程多くはネットでは紹介されていませんでした。成功しているアーティスト達の間でのみ口コミで情報が共有さている状況を見て、自分はフェアではないなと思っていました。そこで、経験豊富なアーティストがたくさん参加しているmixiを利用し、レシデンスや助成金の体験を皆でシェアし合うプラットフォームのようなものを立ち上げたらどうだろうと思い、アーティスト・イン・レジデンス/AIRのコミュティ※2をmixi内に立ち上げました。コミュニティの主旨には多くの美術関係者が共感してくれ、体験談をもとにしたレジデンスや助成金の情報サイトとしてはすぐに日本最大の情報量を誇るサイトとなりました。丹羽君のことを知ったのは、そのmixiのコミュニティを通してです。

 丹羽君の活動に個人的に興味を持ち出したのは、「ルーマニアで社会主義者を胴上げする」(2010)「モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す」(2012)他一連の共産主義について言及したシリーズや、資本主義の意味について考えさせられる「自分の所有物を街で購入する」(2011)「イスタンブールで手持ちのお金が無くなるまで、トルコリラとユーロの外貨両替をする」(2011)等一連のシリーズを彼がやり出した頃です。案の定、彼はそれらの活動を通して日本のアートシーンで頭角を表し、「六本木クロッシング2013」や自分も公募枠で参加した「あいちトリエンナーレ2013」などにも招待されました。



「ルーマニアで社会主義者を胴上げする」 (2010)


「自分の所有物を街で購入する」(2011)



展示会場にデリバリーヘルスのサービスを呼ぼうとして炎上
何がアートで何がアートじゃないかを考える機会に


 そんな丹羽良徳君ですが、今年1月30日に京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで開催された「88の提案の実現に向けて」のなかで、「デリバリーヘルスのサービスを会場に呼ぶ」をやろうとして、ネット上でたたかれて炎上していました。


 丹羽君は日本のアートのメインストリームで評価を受け、注目が集まっているアーティストであるがゆえ、やることが倫理的な壁を超えてしまった時に、今回のような炎上を招いたのだと思います。その行為がアートと呼べるかというかどうか以前に、倫理的、且つ人権侵害的な立場から生理的に受け付けられないといった拒絶反応が多いように感じました。自分はそれでも彼が才能のある素晴らしいアーティストだと考えています。フットワークが軽く、若いながら既に多作で、柔軟で振り幅が広い作家だと思っています。自分も常日頃からフットワークが軽く振り幅が広い作家になりたいと、活動の幅も多岐に渡ります。丹羽君の弁護になるかはわかりませんが、そういった作家のあり方として、思いついたことを取りあえずやってみてから考えるという、ひとつの作品制作の仕方があると思います。そうした制作の仕方をしていると、降って湧く多くのアイデアを取りあえずやってみたけどボツになり人の目に触れない、というものもたくさんあると思います。
 今回のケースは、とりわけ京都市立芸術大学の付属ギャラリーというアカデミックな教育現場のコンテクスト上で、丹羽君がいつものようにボツになるかもしれないたくさんのアイデアをできる限り提示して、禅問答のように何がアートで何がアートじゃないかを、学生を始め皆に考えてもらう場を形成するということをやろうとしたのではないかと思います。それが今回、道徳的な立場からの多くの批判による炎上を招いたことは皆さんが知る所ですが、何がアートで何がアートじゃないか、日本の多くの美術関係者に考えるきっかけをもたらしたという点、それがしかも美術を教える教育現場のギャラリーでおこったという点では、多くの人が指摘したセックスワーカーへの人権侵害等倫理的な議論を省けば、自分はある意味結果的に丹羽君の意図は成功しているのかなと思いました。


倫理的な面でのアートに関しての炎上や物議というのは
常に美術史の中であったのではないか


 ドクメンタ12において最大の制作費を費やし中国人1001人をドイツに招いたプロジェクトの一貫でつくったアイ・ウェイウェイの「Temple」(2007)は会期中に嵐で倒壊。同じくアイ・ウェイウェイのテイトモダンでのコミッションワーク、陶磁器でできた「ひまわりの種」(2011)のインスタレーションは、当初観客が上を歩ける筈でしたが巻き起こる粉塵がすごく歩行禁止になったとのニュースを見ました。共に最初の意図としては失敗でも、皮肉なことに、その作品の意味を「世界的には知られる中国製品の悪い品質をほうふつさせるもの(失礼)」と考えてみると、コンセプチュアルアートとしてはより強い作品になったと自分には感じられました。そして失敗しても尚且つ強烈な印象を与えるアイ・ウェイウェイの存在感に敬服せざるをえませんでした。



 おそらく今回のような、倫理的な面でのアートに関しての炎上や物議というのは常に美術史の中であったのではないかと思います。マルセルデュシャンの自作自演による「泉」(1917)、マンゾーニのうんこの缶詰作品「芸術家の糞」(1961)しかり、ジェフ・クーンズのその後彼の妻ともなったポルノ女優チッチョリーナとのセックスを作品にした悪名高い「Made in Heaven」(1989)しかり。


実験的で先鋭的な作品をつくるアーティストが、
アウトサイダーではなくメインストリームで評価されるオーストリアの美術


 丹羽君は2月から一年文化庁の在外研修を取ったというのを本人に聞きました。本人はそこまでウィーンのアートシーンのことを知らなかったようですが、自分自身のウィーンでの展示経験や世界各地のアートシーンを見てきた経験などから、ウィーンは丹羽君のような作家にとっては実は西欧ではベストチョイスの地だと心底思います。


  • 増山士郎「合法駐車」ギャラリー現、及び、路上パーキング、2000

 自分の話になりますが、自分は明治大学大学院の建築学科出身で学生時代に行ったストリートアートがルーツにあり、ハイレッドセンター等60年代の日本のネオダダ・ムーブメント等のハプニングやカッティングエッジなものに憧れつつ、ロウ・アート的な作品制作に傾倒していました。そんなキャリア初期の自分は若気の至りでハイ・アート的なものを毛嫌いするような生意気なところがありました。当時の尖った考えを形にした初個展にして、画廊とストリート両方を使った実験的展覧会「合法駐車」(2000)で業界デビューをし、幸いある程度の脚光を浴びました。その後、再び自分本来のストリートアートによるロウ・アート路線を押していましたが、日本のアート業界ではいまひとつ受け入られず、どちらかと言えばアウトサイダー的なアーティストとなったのです。初の個展から2年後の2002年ニューヨークのISCP(International Studio & Curatorial Program)にレジデンス滞在するための年間助成をポーラから取得したのを機に、自分の活動への反応のいい欧米に拠点を移しました。

自身のキャリアで最初の海外展が、まさに丹羽君が研修先に選んだウィーンでした。社会と関わるストリートアート作品をずっと作っていた自分は、キュレーターの長谷川仁美さんに「増山君ももしかしたらアートアクティビストかもね」と、ウィーンのアートアクティビズム(社会介入型アート)の草分け的存在ヴォッヘンクラウズールの代表ウォルフガング・ジンゲルを紹介されました。実際にはアートアクティビズムのことを調べるにつけて、その当時の自分はそれには当てはまらないと認識したのですが、たしかにそれまで実験的で先鋭的なことをやっていると自己満足していた自分が思うアートの概念の、遥か上をいくことを彼らは普通にやっていました。


彼らの作品はたとえば、医療を受けられないホームレスを無料で診察する医者をバンに載せて町を巡回する「ホームレスのための医療バン」(1993)、ベニス・ビエンナーレのオーストリア代表として、教育を受けられないコソボの難民のために言語を教えるプロジェクト「コソボ戦争の語学学校」(1999)等があります。
 彼らに限らず、その後世界各地で自分が出会ったウィーン出身のアーティストはいずれも突き抜けているアーティストが多く、ウィーン出身の一風変わったアーティストに会う毎にアートとは何かを毎回考えさせられてきました。

ウィーンアクショニズムの活動も肉体を傷つけたりするグロテスクなものが多く、人によっては生理的に拒否反応を起こすであろう、すれすれなものが多いのが特徴です。その一人オットー・ミュールは、最盛期には500人が共同生活したというコミューンをつくりました。コミューンに住む子供たちにミュールは自身との初体験を強要して、強姦罪で懲役7年の判決を受け、アート業界のみならず社会で大きな物議をかもしました。


オットー・ミュールが1972年に開いたコミューンのドキュメンタリー映画
「My Fathers, My Mother and Me」(2013)の予告編


 実験的で先鋭的な作品をつくるアーティストは世界中のどこにでもいますが、そういうことをやるアーティストはメインストリームよりもアウトサイダー的になることが多いと思います。しかしながら、ウィーンではそういった実験的なことをやるアーティストが常にメインストリームのアートシーンでのオピニオンリーダーとなり、ベニス・ビエンナーレでもオーストリア代表に選出されています。それが他の国と違うところだと思います。

 自分の旧友であり多くのいい影響与えてくれた東京のシュウゴアーツ所属のアーティスト、ジュン・ヤンはウィーン出身の華僑で、2005年のベニス・ビエンナーレのオーストリア代表です。彼は日本の美術関係者にも知人が多く、震災以降にベニス・ビエンナーレの日本代表となり、特別表彰(2013)を受賞した田中功起さんとも親友だそうです。実は田中さんもウィーンに留学している時期があって、今のような実験的で先端的な「リレーショナル・アート」を実践しているのは非常に納得がいきます。


 おそらく丹羽君本人も予想してなかった規模の物議をかもすこととなり、今現在相当に凹んでいるに違いないですが、そんな今だからこそ「何がアートで、何がアートでないかを改めて考える」ための地として、ウィーンは最適の場所だと思います。今回のことでアーティストとして萎縮してもらいたくないなと思います。文化庁の研修を終えて一皮向けたアーティスト・丹羽良徳を期待しています。

増山士郎拝




※1 : 丹羽良徳がギャラリーにデリヘル呼ぼうとして怒られたことについての反応
http://togetter.com/li/932439

※2 : アーティスト・イン・レジデンス/AIRコミュティ
http://c.mixi.jp/air/


Top Image :
丹羽君の参加したパヴェウ・アルトハメル+アルトゥル・ジミェフスキによるワークショップ
「House of Day, House of Night」(昼の家、夜の家)

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OTONA WRITER

おじんがーM / Ozinger M

紛争地帯として知られる、英国、北アイルランドはベルファスト在住の唯一の日本人アーティストです。2002年より世界中のアーティスト・イン・レジデンスに参加し(キャリア通算17個)、ノマド的に放浪しながら活動を続けています。2004年からは6年間ベルリンを拠点。そして2010年より現在の地に落ち着きました。