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ポジ熊の人生記

ブログ継続の秘訣や記事作り・人生哲学・健康情報などを雑多に書くブログです。北海道民の知識を活かした地方情報も発信しております。

UOの大規模ギルド代表を務めてひたすら消耗した思い出とか語るわ

ゲーム

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UOとか懐かしいなぁ

ちょいちょい話題にしているけど、過去、某MMOでギルドマスター(グループの代表みたいなもん)を数年間に渡り務めたことがある。これについての思い出や所感を述べる。詳細に記すので当時の僕を特定できる読者がいるかもしれないけど、それはそれで一向に構わない。

ウルティマオンライン(UO) 

ウルティマ オンライン(Ultima Online 通称UO)は多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲーム。ネットワークRPGの始祖の一つと言われる。(中略)初期の段階で様々に試みられた商用MMORPGにおいて、最初の成功例であり、またゲームシステムとしての完成度を示した作品でもあった。その後のオンラインRPGの発展に与えた影響には計り知れない物がある

ウルティマオンライン - Wikipedia

 

僕が出会ったのは15年前。当時はトランメルとフェルッカという2つの世界に分離して間もない頃であり、前者は犯罪を犯せない世界、後者は割と何でもありの世界であった。

初期の頃はフェルッカ(何でもあり)オンリーで、初心者などは町の外に出ようものならたちどころにPK(プレイヤーキラー)に殺されてしまう殺伐とした世界だったとか。しかし僕がjoinした頃はそのような世界と綺麗な世界が分離されてしまっており、古参の殺伐を好む多くのユーザーが離れたようである。

「フェルッカには行かないほうが良い」なんてベテランが言うものだから、それを信じてずっとトランメルの平和な世界に住んでいた僕。プレイヤーキラーを始め、スリなどの犯罪者とは無縁の無菌プレイヤーとしてホノボノと育つ。いわゆるトラメラーといわれる平和ボケプレイヤーがここに誕生していたのだ。

 

時は戦国

原点回帰なのか何なのか知らないけど、ハードコアルールのシャード『mugen』というのが誕生した。ここはトランメルやフェルッカに関係なくPKや窃盗が行える国であり、ここにキャラを作ったものは否応なしに戦国時代へ突入したかのような動乱に巻き込まれる。

興味本位でその世界にキャラを作った僕は、興奮した。自分の荷物をかすめ取っていく犯罪者を始め、目の前で繰り広げられる殺人者とそれを駆る者同士の熱い戦い。構図としてはPK vs PKK(プレイヤーキラキラー)だ。その中には多数のスター選手がいて、羨望の対象となっていた。

そんなハードコアな世界に没頭した僕は、あまりにもそれにのめり込み過ぎて、ついには専門学校を中退してしまった。UO廃人の誕生である。1日のプレイ時間は平均で12時間を超え、酷い時には18時間プレイしていたこともある。

 

PKKギルドの立ち上げ

無辜の民を不意打ちで屠るような真似はできない。だが、対人戦には興味がある。ということで僕もPKKになる道を目指した。しかし、既存のコミュニティに入るにはどうも気が引ける。というわけでブリテイン(UOの首都みたいなもん)の銀行前で「PKKギルドを一緒に作りませんか~」と、ギルドを一緒に立ち上げるメンバーを募った。

ほどなくして2人のプレイヤーが僕のもとに集う。二人とも性格は全然違うけど、基本的に大人でとても付き合いやすかった。意気投合したぼくら3人は、とりあえずギルドハウスを建てようと息巻いて、3人で資金を溜め始める。

...とはいっても、最初に声を上げた僕がほとんどの資金を工面し、某町の郊外に念願のギルドハウスを建てることに成功したのである。(ここでの資金繰りはかなりグレーな手法も使ったが、当時はなりふり構ってられずw)

 

ギルドメンバーがどんどん増える

ありがたいことに、メンバーが雪だるま式に増えていった。公式BBSでの呼びかけを始め、ユーザーからユーザーへの勧誘、口コミにより僕の立ち上げたPKKギルドには多くのユーザーが集った。気が付けば、いつのまにやら50人、所属だけでいえば100人を超える大御所ギルドとなった。対人戦の腕前は、ギルド全体でいえば素人に毛の生えたもので大したことはなかったけどw

当時はとにかく人数さえいればなんでも実現できる、これはアドバンテージであると疑わなかったため、とにかくどんどん規模を拡張していった。

 

プレイスタイルや実力の差で亀裂

UOには大きく分けて2種類のスタイルがある。1つは戦闘スキルを上げてモンスターやプレイヤーと戦うスタイル、もう1つは生産系で裁縫や鍛冶など戦う人たちの装備などを陰で支えるスタイルである。

僕の立ち上げたギルドはPKKという基本スタイルはあったが、来るものは拒まずだった。なので、対人戦をしたくてギラギラした人間もいれば、裁縫や鍛冶などでのんびりと暮らしたい人もいる。

ギルド活動を行う上ではやはりPKKがメインであるため、ギルドメンバー同士での模擬戦などが主となる。そうなると生産メンバーが暇を持て余す。かといって生産メンバーでもできるようなのほほんイベント系のギルド活動を行うと、ギラギラメンバーが不満を溜める。もう完全に挟まれていた気がする。何をやっても、どこからか文句が飛んでくる。それを処理するのはギルドマスターの僕なのである。

戦闘や生産で割れるだけではない。戦闘に関しても個々人でプレイヤースキルに差がついてしまい、そこでもスタンスが割れたりして、もうわやくちゃだった。僕を始めとするトッププレイヤー、いわゆる精鋭というのがギルド内でもふるいにかけられて自然発生的に浮き上がる。それで同じ模擬戦をしていてもLVが違い過ぎて愛想を尽かすメンバーも出てくるのである。もうどうしようもなかった。

 

日夜、紛争仲裁会議

もう毎日、会議会議。あいつがこんなことをした。こいつはギルドにいると危ないからなんとかしろ。などなど...もう毎日、ギルドハウスの一角で数時間にわたる会議。ログはすべて残してギルドの掲示板に「昨夜の会議内容はこのようになりました。確認したメンバーは足跡を・・・」こんなんばっかり。

僕の振舞いも最悪だった。皆に好かれようとするものだから、自分の中でこれは良くないと思うことでも、断じることができない。「ギルドマスターの僕がこう決めたのだから、これに従えないのであればギルドを脱退すればいい」これくらいの気持ちでちょうどよかった。むしろそれくらいの度量というか、自分勝手さがないとギルドマスターなんて務まらない。

 

別シャードが誕生して移住し、そのままうやむやに

日本に新たなサーバーが誕生したため、対人戦が本当に好きな一部のメンバーでそちらに移住し、落ち目だった大規模ギルドについてはGMの肩書とともに捨ててきた。役割を満了することはとてもできていなかったけど、もう何かの団体を代表することは懲り懲りで、凄くすっきりした記憶がある。

その頃には廃人を脱し、社会人として真っ当に歩み始めた時期でもあった。度重なる仕様変更でUO自体に陰りを見ていたこと、リネ2という新たなMMOに出会ったことなどから、思い出のUOとはついに縁を切ることとなる。

人生においてこれほどハマったゲームはなく、間違いなくその世界で僕は「生きた」のだと思う。それは健全なことではなかったけど、それでもその思い出は褪せることなく僕の中で生き続けているし、昨日のことのように思い出す。日夜PKと血で血を洗う戦いに明け暮れていたあの頃の情熱は本物だった。

 

リーダーは自分勝手な人が良い(あとがき)

カリスマ性だけではギルドの代表は務まらない。「俺のやりたいようにやるから、嫌なら辞めろ」って素で言えるくらいじゃないと、大規模な団体の代表なんて務まらないのだろうなって経験談。少なくとも僕には務まらない。

今でこそ他人の目をそこまで気にしなくなったし、自分の選択には責任を持つようにしてるけど、それでもやっぱり誰かから文句を言われたり責任を投げかけられるのはどうも苦手。もう二度とあんな役職には就きたくないないなぁと思う。凄く楽しかったし、鮮明な思い出なんだけどさ。すんごい消耗したのも事実。

時々ふと考えることがあって、仲の良いブロガーで同じMMOとかやったら楽しいんだろうなぁとか想像。今はもう打ち込めるMMOなんぞ存在しないのだろうけどもさ。ほんと、あのころは黎明期だったんだね・・・。

 

終わり