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「小数」残した中世のビッグデータ 現代は何を生む
「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクター 新井紀子

2016/2/4付
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 先日、科学史家の山本義隆先生をお訪ねした。ある雑誌に「小数と対数の発見」と題した連載への寄稿をお願いしていて、原稿を受け取りに行ったのである。山本先生の原稿を拝読していて「おや?」と思う箇所があった。「十進小数」。つまり小数点のつく数が芽生えたのが15世紀のオーストリアのウィーンだったと書いてあったからだ。

あらい・のりこ 一橋大学法学部卒、米イリノイ大学大学院数学科修了。理学博士。2006年より国立情報学研究所教授。「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクターを兼務。
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あらい・のりこ 一橋大学法学部卒、米イリノイ大学大学院数学科修了。理学博士。2006年より国立情報学研究所教授。「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクターを兼務。

 「なぜフランスでもイタリアでもなくウィーンなのですか。当時のオーストリアは数学では決して先進国ではなかったはずです」

 こう問いかけた私に先生はこう答えた。

 「(オーストリアを治めていた)ハプスブルク家です。ハプスブルク家が占星術に熱を上げていたからです」

 14世紀後半にローマ法王の選出を巡る争いが起き、同時に2人の法王が並び立つ事態が起きた。いわゆる「教会大分裂(シスマ)」である。この状況は15世紀前半まで続いた。

 数学の研究が盛んだったフランスのパリ大学の教員たちは、どちらの法王を支持するのか選択を迫られた。このとき、少数派だったドイツ系の教員たちがパリ大学を去り、ドイツに新設された大学に職を求めた。

 ドイツに向かった教員たちの中に少なくない数の天文学者がいた。ただし、当時は天文学者を雇ってくれるような大学はほとんどなかった。彼らの大半は占星学者に転じるより他に道はなかった。占星学には一定の需要があったからである。

 ドイツに近いウィーンに移り住んだ彼らを待っていたのが、天文観測の「ビッグデータ」と格闘する日々だった。

 当時の人々は太陽も星も月も雲もみな同じレイヤー(層)に属すると考えていた。無理もない。どれも私たちの頭上にあるのだから。

 ならば、太陽や月、星の観測データを収集・分析することで、今年の天気や農作物の作柄が予測できるはずだ――。大気圏と宇宙空間の区別がない彼らにとっては、これは極めて「科学的」な仮説だっただろう。

 第1次産業の比重が高かった当時、天候や農作物の作柄が国勢を左右するのは明らかだった。ハプスブルク家にとって占星は一大関心事になっていた。こうして政治と学問が手を結び、中世のウィーンで占星術が花開いたのである。

 そこで必要になったのが、膨大な観測データを解析する計算手法だ。

 当時の欧州では、インドで生まれた十進法がアラビアを経由して導入され始めていた。計算速度は向上しつつあった。だが、小さい数の計算はまだ六十進法の分数を使っていた。

 それではあまりに効率が悪い。小さい数も十進法で計算すれば速いという気づきは、このような経緯で生まれた。

 事実上の十進小数まで開発して計算にいそしんだ彼らには気の毒な話だが、年間降雨量を予測するのに、はるかかなたの星を観測するのは、宝くじの番号から当たり外れを予想するのと同じくらい無駄である。オーストリアは20世紀初頭まで欧州の強国の1つとして存在感を示すが、占星学者がそれに貢献したとの話は聞いたことはない。

 占星学者たちによる中世の「ビッグデータ科学」の成果は、近代科学の登場によって完全に上書きされる。だが、そこに十進小数だけは残ったのだから面白い。

 さて、視線を現代に戻してみよう。

 最近、なにやら「ビッグデータ、ビッグデータ」とやかましい。今から百年後の私たちの子孫たちは、この熱狂をなんと評するのだろうか。

 「人類って懲りない生き物だね」と笑うのだろうか。我々も15世紀の占星学者にまけないよう、十進小数と同じくらい役に立つものを残せるようになりたい。

[日経産業新聞2016年2月4日付]

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