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ポジ熊の人生記

ブログ継続の秘訣や記事作り・人生哲学・健康情報などを雑多に書くブログです。北海道民の知識を活かした地方情報も発信しております。

僕は人生が変わった。ブログを始めてみなよ、世界は広いんだぜ?

ブログ 私信

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世界は広い

『ブログ』というものを一言で形容するなら、意外とポンポン出てくる。生き方を変えたもの、だとか幸せな人生の添え物、だとかね。これにボリュームを持たせ、なおかつ読みやすき作品に仕上げるというのは決して一筋縄ではなかろう。だが、挑戦したい。大好きなブログだからこそ、今を持てるすべての語彙とライティング力をここに注いで、それを捧げたい。参る。

ギルドマスターとして活動期を記すのがきっかけ

当時ハマっていたMMORPG『ウルティマオンライン』内のフレンドから、インターネット上で日記や考え方などを綴る場所を提供される。というのも、当時、僕は大規模なギルドの代表であり。そこではある程度のカリスマ性を求められる。そこで、日々の活動を綴って皆に固辞し、権威を高めろというのである。なんとも大業な話だなぁと引け目を感じつつも、悪い気はしなかった。もともと目立ちたがりが故のギルドマスターであったわけだし。そんなこんなで初めてインターネット上で日記というものを書くことと相成った。現在のような洗練された形ではなく、掲示板に撮影したスクリーンショットを添えて更新するという簡素なもの。しかも閲覧数は数十/日。しかし、当時は「そんなに毎日見られているの?」と驚かれたもの。ここら界隈の日記というのはまぁ、こんなものなのかもしれない。 なんだかんだ癖になってマメに更新する僕。適正はこの頃からチラホラと垣間見えていた可能性もw

 

色々なブログサービスを渡り歩くも...

ウルティマオンラインではギルドマスターを辞してから、それに伴って日記を書くのを止めた。しかし、それにいくばかりかの味を占めた僕は、個人としても日記を書き始める。これが『ブログ』という形との邂逅だったかもしれない。はっきりとは思い出せないけど、ライブドアあたりで始めたような気がする。驚いたのは、掲示板日記時代と比べて更新や画像挿入などが凄く楽ちんだったこと。「こんなに洗練されているのかー」なんて感心したものだけど、現在と比べればまだまだなわけ。だけど、当時としては画期的なものだったんじゃないかなぁ。

2~3日に更新、しかも文字数やSEOなど気にしたことも無い。他愛もない日常(主にゲームのこと)などを書きなぐる。当然、訪問者なんてほとんどいない。アクセスカウンターは1日0とかもザラ。これではモチベーションなんて上がるはずがないよね。で、周りの知り合いに見てもらおうと、リアルで宣伝活動を行う。それで1日3とか4にまで上がったけど、それでも記事をしっかりと書き上げようという気持ちにはならなかった。

ライブドアの日記も長続きせず。FC2やらアメーバやら、色々なところでブログを作っては、直ぐに投げ出す。こんなことをどれくらい続けただろうか。2~3年は続いたかな。元々長続きする人間ではなかったからね。「あー、また今回も3日坊主だったか。ま、そういう性格だから仕方ない」なんて半ばあきらめてた。じゃあなんでブログなんてやるのよwって言われたら窮しちゃう。「始めは長く続けるつもりだったんだよ!」ってのがテンプレ。僅か数日で「つもりだったんだよ」なんて恥ずかしい。せめて1か月は続けてからそれを言うべきだよね。やだやだw

 

リア友にブログの存在を知らせることのデメリットは大きかった

アクセス零細(0に近い)期に、それでもブログをやむにやまれず、打開策として繰り出したのは「リア友への宣伝」である。普段、お付き合いのある4~5人の友人に対して「ブログを書いているからよろしく」ってな具合に宣伝して回ったのである。今思うと、なんてクローズドな世界なのだろうか。たったの4~5人。せっかくのワールドワイドを全くといっていいほど活かしきれていない。アクセス数は微増した。これほど「微」とつけるに相応しい事象もないくらいに微増した。これである程度の溜飲が下がったのだから、いかに当時の僕がブログに対してさほどの情熱を抱いてなかったかが良くわかるというもの。

さて、これでブログ熱が上昇し、その後、邁進していくことになるのか。答えはNOだ。リア友に伝えたがゆえに、従来あった僅かな楽しみすらも消え失せてしまう。「好きなことを書けない」リア友の目を気にするあまり、自分の思想を垂れ流すことができないのである。何か特定のことを書く専門ブログではなく雑記ブログだったので、これは余計に足かせとなった。過去に好き放題書いていた記事を消すほどまでに至る。「こんなのを見られたら嫌われてしまう」他者の顔色を超絶伺って生きていた当時の僕にとって、これは死活問題だった。それ以降、当たり障りなくブログを書く。角を付けずに、穏便に。で、思う。「面白くねええええええええええ!!!」→引退のコンヴォ。

現在、僕はブログの存在をわずかな知人にしか知らせていないし、これから広げるつもりもない。そいつらは僕的に強烈な秘密を共有できるくらいの闇を抱えているし、お互いのことをある程度はわかっているから話せるのである。だから、実質、リアルでこのブログを存在を明かしてないに等しい。だからここまであけすけなことを書けるのである。本来なら誰1人としてここを知ってほしくない。その知人にすら、見られている意識があるから。ちょっと失敗した。これからブログを始める時は、決して誰にもいうことのないようにしなければ。

身の上を離して日記を書くなら、Facebookでキラキラすればいいじゃんて思う。今日行った外食やのコレが美味しかっただの、子供の成育自慢をもう思う存分、後光が差すような写真を添えてキラつけばいい。でも、僕にとってここはそんな場所じゃない。良くも悪くもすべての性格を吐露できる、最高のサードプレイスなのだから。これについては後述したい。

さて、話は戻るがそれ以降は基本的にリア友などにブログの存在をあかすことはしなくなった。この頃から、徐々にリアルとネット上のコミュニケーションは切り離して考えるようになってきたのかもしれない。心の変遷を文章化するのは、ちと難しいのだけどもね。

 

再びMMOで日記を書くようになる

ゲーム名は『リネージュ2』現役プレイヤーも少なからずいるんじゃないかな。ここでも僕は人気を書き始める。NCsoft?だったかな、ゲームのメーカーがブログサービスまで包含しててさ、ゲームのスクリーンショット画面を気軽にエディターに貼りつけて編集できるような柔軟なプラットフォームを用意していたのさ。これがまたしっくりときて!毎日、嬉々としてブログを更新してた。当時はハマりにハマって、PC2台を駆使して2キャラで無双してたなぁ。懐かしい。そんな中で、自然とブログにも熱が入る。好きなゲームだからこそ、それに付帯する形だったのかな。現在のようなテキストメインでがっつりといった感じではなく、画像を加工してお笑いのノリでキャッキャキャッキャやってた記憶が。

ある日、ゲーム内で「○○さんですよね?日記見てます、FANです!」って言われて、人生初の電撃が走る。「ブログの・・・FAN!?」僕が書いたブログを確実に誰かが見て、そのレスポンスが返ってきた瞬間だった。「うわ、これはヤベえな」この時点でブログを書くことによるレスポンスの承認欲求を満たす麻薬的な快感を覚えてしまったのかもしれない。なにこのえもしれぬ喜びは。こんなことは体験したことがない。素晴らしすぎるだろ・・・

日記を絶やすことはなくなった。プレイした日の夜には、必ず活動を記事にすることにした。「誰かが見ている。FANがいるんだ」こんなことを考えながら。いやはや、楽しかったなぁ。この頃はまだ、ブログとお金はまったく結びついていなかった。

 

ゲームレビューサイトの立ち上げ

実はこの頃(3~4年前かな)にはてなブログと出会っている。そしてアカウントを作っているのだ。職場の同僚がアフィリエイトで月に3万円を稼いでいるという話を耳にした僕は、根掘り葉掘りその話を聞く。もともと懇意だったその同僚は惜しげもなくその情報を僕に話してくれた。「まずはやりたいことを定めると良い」なんて言ってたけど、今になってそれ、やっとわかりますからwwwその当時に理解しろなんて言われても無理ですからwwwなんて思う。いやはや懐かしい。

ともあれ、「はてなブログは検索に強いぞ。SEO的にも絶対におすすめ。はてな一択だ」とはてなブログのごり推しが凄くって。ブログサービスの知識なんて無かった僕は、それを信じてはてなブログでアカウントを作成した。どんなサイトにしたかったかの目安はおおよそついてた。ズバリ「iOSのフリーゲームをレビューして記事にする」というものだった。当時はスマホでよくポチポチとゲームに興じていたものだ。んで、同僚曰く「好きなジャンルじゃないと続かないよ」っていうものだから「じゃぁ、スマホゲーでもレビューしてみるかな」ってな具合で気軽に始めたのさ。

書いた記事は同僚をはじめ、ごくわずかな知人が閲覧していた。そんでもって「君の文章は引き込まれる魅力がある」って、恐縮だけどそのような評価をもらった。実のところ、ライティングに関してはそれなりにセンスがあったのかもわかんないwその当時からねwだけど、ゲームレビューサイトだからさ。どうしても画像のキャプチャーとともに攻略法を示すにとどまる記事内容になっちゃう。こんなにオリジナルテキストで何千文字も書くことがないものだから、そのタレントは洗練されることなく過ぎていった。肝心のサイトについてはどうなのかというと、半年を過ぎたあたりから検索流入が急激に増え始め、デイリーで1万PVに達する日もちらほらと出てきたのだ。これは凄い快挙だと思う。今でこそ3千PV/日だから、実に3倍のアクセスはあったことになる。

だが、それは終焉を迎えた。開始半年あたりで欲が出たのか。「2chまとめ」を並行して始めたのだ。そうしたらコピーコンテンツの楽さに完全に毒され、メインであるレビューサイトにまで「2chまとめ情報」を載せ始める始末。せっかくオリジナルコンテンツでドメインパワーを伸ばしてきた功績に泥を塗るような行為を、よくもまあしてたものだなって思う。アプリゲー自体をプレイしなくなったことも相まってか、僕はゲームレビューサイトから半ば離れる形となる。まだドメインは息をしていたけどね。

 

2chまとめサイト時代

正確には『おーぷん2ちゃんねる』からスレッドをまとめて記事にするもの。きっかけは情報商材を買ったことから。ツール名は『まとめサイトビルダー」だったかな。色々な胡散臭い商材が並ぶなか、今考えるとそれは「それなり」にまともなツールだったんじゃないかな。2~3か月は地道に更新していれば元は取れる感じ。

昔から「まとめサイトの管理人は儲かる」っていう話を耳に挟んでて、いつか自分も参入してみたいなぁとは考えてた。メインのゲームレビューサイトも飽きてきたころだったのも相まってか、いつもなら流してしまう情報商材広告に目が止まった。そんで中を確認してみたら「おーぷん2ちゃんねるは、まだまだブルーオーシャン!今なら稼げるチャンス!」など美辞麗句が舞う。どうしてだろうなー、今なら鼻で笑っちゃうその文言も、8割は懐疑的だったけど残りの2割の気持ちで購入しちゃったんだよなーw

早速、ツールを開封する。基本的なシステムを把握する。ライブドアかFC2に紐づけして使うのが一般的なようで、システムもそのように組まれていた。しかし自分ははてなブログしかサービスを知らないし、ほかでやる気力もなかったから。そのままはてなで半ば強引に手動で動かしつつ、ツールを使い始めた。始めの1か月は鳴かず飛ばず。どれだけ更新しても駄目。それでもにほんブログ村やブログランキングなどに参加し、相互リンクを募りながら日々、更新を絶やさずに頑張った。始めは10記事くらいだったけど、そのうち20とか30を更新するようになり、全盛期は50記事更新を行った。今考えると、正気の沙汰ではなかったと思う。色々と調べたけど、相互RSSを組んでてもあまりにも酷い多更新はスパム扱いを受けるというのも目にして、胸に刺さったのが記憶に新しい。おや、これはどこあで記憶があるぞ。あぁそうだ、ついこのあいだ、1日20記事更新にチャレンジしてスパム認定されたときのアレだ。昔から似たようなことやってんだなぁ、僕は。

2か月~3か月目。徐々にアクセス数は伸びてくる。まとめサイトにはグレーと言われたアドセンスも貼りつけていた。それでも警告が来るようなことは「基本的に」なかった。1日数百円でも稼げるようになる、ツールの購入代金とPro代くらいはペイできるようになる。少しづつ気持ちが上向きになっていく。自分の記事をメインに取り上げてくれる新興のアンテナサイトなんかとも仲良くなって、閉鎖的ではあるけども若干の交友関係はあった。

この頃から、かなり無理をしていたように思う。数十記事を更新するためにPCに貼り付いていたこともそうなのだが、朝の4時に起きて時事系のまとめ記事を上げるのにかなり苦労していたのだ。なぜそんなことをしていたのかといえば、そのほうがアクセスが断然集まるからである。まとめサイトの管理人、一人でやっているような人は、朝はゆっくりと寝てはいられない。そんなことをしているとライバルサイトに旬の話題をかすめ取られるからだ。ブルーオーシャンなんてとんでもない。新鮮な時事などはピラニアの池に肉を放り投げるようなもの。あっという間にしゃぶられて骨も残らない。競争率が非常に高いのだ。だからほかのピラニアが眠る間に少しでも早くから活動して、新鮮な時事をいち早く記事にしたかった。いつのまにか「2chまとめサイト」を中心に生活が回るようになる。実に不健全である。

 

すべての既存サイトが消滅した

川崎市の凄惨な事件を取り上げてアドセンスから警告が来たり、紆余曲折を経ながらも半年間継続したまとめサイトは、1日に1000円を稼ぎ出すようになる。ドメインパワーが付いてきた証拠だろう。もちろんはてなブログとはPro契約していたし、独自ドメインでもあった。これからは収益が右肩上がり、ついに栄光への切符を手にしたのだ。当時は本気でそう思っていたし、成功を疑わなかった。

4月某日、悪夢は突如訪れる。アクセス数が1/10に激減。大変混乱したが、色々と調べてみるとGoogleの手動ペナルティというものらしかった。解除する方法などは一切不明。もちろん、Googleからそのような制裁を下した旨のメールなどは一切なし。半年間、毎日早起きしてひたすらに打ち込んだサイトは、時の栄華は見る影もなかった。早くから活動していた既存の大手まとめサイトは余裕で運営し、零細はこのような理不尽な制裁を突如として受ける。表現するのが難しい怒りを感じるも、これも定めとあきらめる。僕はまとめサイトを閉鎖した。復活の可能性は0じゃなかったのだけど、これはスッパリ切らないと次に進めそうもないくらい辛いことだったから。

その後はかなりフラフラした。メインのゲームサイトに戻って単発のアプリをレビューしてみたり、2chのツールを使ってコピペ情報をそのサイトに載せてみたり。アニメレビューサイトを立ち上げてリア友に見せ、それで自己満足に浸ったり。この頃は何も見えてなかった。特定の人間のニーズを満たす行為が、いかにミクロで空しいものかというのがはっきりとわかった。そんなもんはワールドワイドな場所でやるもんじゃないwこれをきっかけにリアル知人関係が自分のサイトの方向性に影響を及ぼすことはなくなった。嫌なら見ないで良い、というくらいにまで思えるようになる。

結局、どの活動が実を結ぶわけもなく、収益なども当然、雀の涙な時期が続く。うだつが上がらないままにリアルでもお酒の量が増えて素行がやや乱れ始める。そんでもってアクシデントに遭遇して現実世界が破滅の手前までいく。

絶望の淵に立たされた僕は、既存のアカウントやサイトを全てデリートした。僕にはもう、未来などないかもしれない。サイト運営など、やっている場合ではない、と。

 

『ポジ熊の人生記』

これは第2の人生の始まりだったのかもわからん。とにかくその頃は眼前が暗黒だった。もうどうしていいかわからん。既存の人間関係も崩壊した。借金も莫大である。色々な人に迷惑をかけた。社会的には半ば死んだようなもの。どうすればいいんだ。迷った。迷って迷って、とりあえず気持ちの整理が自分には必要なのだろうと感じた。「はてなブログ」なんだろう、不思議な縁。始めて本格的なサイトを立ち上げたのがはてなだったときのも大きな繋がりなのだろうけど、それ以上のなにか不思議な縁を感じざるを得ない。絶望の淵で掴んだそれは、「はてなブログ」というサービスで始めた心情吐露日記『ポジ熊の人生記』であった。

「今、僕は絶望しています。でも、前向きに頑張りたい」こんな走り出しだったように思う。それからはせきを切るかの如く記事を書きまくった。ゲームのレビューだとかコピペだとか、そのような記事ばかり書いてきた既存の自分の価値観に対するアンチテーゼだったのかもしれない。とにかくオリジナルのテキストに徹底的にこだわった。ブログを開始したばかりにも関わらず、1記事1000文字は必ず書く!という信条のもと、ただひたすらのいブログに打ち込んだ。リアルで逃げ場所なんかなかった。行きつく先は絶望しかない。ならば腹を決めて進んでやろうじゃないか。それにあいては、ふどこか吐き出す場所も必要だろう。そうじゃなければ、僕は潰れてしまう。そんな半動力もあったのかもしれない。気づけば1日5記事を更新していた。

ブログ暦を重ねるごとに交友の幅が増えた。読者もたくさん増えたし、SNSで記事が拡散される機会も増えた。インターネット上(特にはてなブログというコミュニケーション特化型の特殊なもの)の振舞いについてリテラシーの低さから、サイトが炎上する事件も起きた。それでも、今の今までずーっとブログを継続してきたんだ。

明らかに元気になった。ブログを始める1か月前なんてのは部屋の真ん中で膝を抱えて、夜になっても電気をつけずにうずくまっていたものだ。本当、鬱の手前までいってたと思う。だけど、ブログを始めてからは本当に元気になれたんだ。「どんな魔法を使ったんだ?」なんて本気で疑う人もいるくらい。それだけ、僕の状況というのは絶望的だったのだ。「俺がお前の立場なら精神崩壊してるわww」って何回か言われた。ちょっと面白かった。でもね、それにはわけがあるんだよ。それはブログを書いているからさ。

 

前向きに書こうぜ

ただ書けば前向きになわけじゃないので、ここで補足しておこう。過去に何度か「ブログを書けば元気になるよ」っていうエントリーを書いた際に、ブコメで「1か月以上書き続けているけど元気になりません」ってコメントする人がいる。いあいや、そうじゃなくて。ブログを書けば無条件でみんなが幸せになるかといえば、そんなことはない。誰かの悪口を書いたり呪詛飛ばしてみたり、とになくネガティブなエントリばかり書いてるのなら、逆に書かないほうがマシ。じゃなくて、書くならそれで元気をもらえるような内容にしなさいよって思う。「これからも頑張ろう」だとか「こんな嫌なことがあった。書いてすっきりした」みたいな。愚痴ったとしても、それで気持ちの整理をつけれればOKなのさ。最後まで愚痴ってネガティブに終始するようなエントリばかり書いてっから、いつまでたっても気持ちが上向きにならないんだって。何のためにブログを書いているんだろうか。気持ちが暗くなるために、まさか書いているのではあるまいね?結局、書いた記事にどんな意味を付するのかは自分次第であると言える。だkらこそ、前向きにとらえようよ。ネチネチと暗い湿ったブログばっかり書いてないで、前向け前!

ちょっと説教臭くなったけど、僕がブログで元気になれたのはひとえに前を向くことができるようになったからだと思う。これが一番大きな要因かな。次に自分をしっかりと見つめることで本来あるがままの姿を見つけ、それをあけすけに晒すことで受け入れてくれる人と今までになかったお付き合いができるようになったこと。まあ「縁」ってやつだよね。いかにリアルの人間関係、そしてそこにおける思想というのがクローズドであったかというのを、インターネットのお付き合いで痛感するよ。狭い場所では、想像力も押さえつけられてキャパシティがなくなるんだね。あー恐い恐い。

 

ブログは人生を変えるよ、blogを始めてみない?世界は広いんだよ(あとがき)

要点をまとめるけど、僕の人生を救ってくれたのはブログだったってこと。そして、それを未だ出会ってない人へ勧めたい。

どうして僕はこんなに明るく元気になれたのか。それはブログを書くことで自分の気持ちを整理して前を向けるようになったと同時に、色々な縁に恵まれたから。それはリアルでは決して知り得ない広い世界で、既成の概念をものの見事に打ち砕くものだった。「こんな人がいて、こんな考え方があって、こんな職場があって、こんな世界があるんかい!!」井の中の蛙が大海を知るかの如く。

クローズドな世界で人間関係や自分の人生に限界を感じた時に、とりあえずインターネットにつないでみなよ。そこには危険もいっぱいあるけど、現実世界ではどうしても見つからなかった解決策が発見できるかもよ。「私みたいな悲惨な人間なんていないし、わかってくれる人もいない」そうやって鬱屈としているなら、ブログを書いてみなよ。どれほど辛いのか、あけすけに語ってごらん。そうしたら似た境遇の人が集まってきて、あなたにコンタクトをとってくるかもしれない。そこで自分だけが苦労しているわけではないことを知れると思う。それが今後の人生を照らす一筋の光明にもなり得ると思うのだよね。インターネットは弱者の希望。

現実世界では打開できないことも数多くある。しかし、世界は広い、マジで広い。現実世界で「普通はこうだよねwww」に辟易しているあなたは驚愕するだろう。それがいかに狭い世界の矮小な発想だったかということを。行き詰った現状を打開するヒントが、インターネットには確実にあるんだよ。そしてその近道となるプラットフォームが、他でもない「ブログ」なんだよ。

 

騙されたと思って始めてみなよ、凄くいいものだからさ。解らないことがあれば相談してきなよ、できる範囲で答えるからさ。

 

生きるのなんて、諦めなくてOK。とりあえず生きてれば君の勝ち。で、ちょっと贅沢に考えて「楽しく生きてみようかな?」ってエネルギーが湧いたら、まずはブログで日記でも書いてみよう。

 

 

以上、ポジ熊がブログとの半生を綴るとともにブログ推し論を展開しました。

 

 

 

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※この記事は約1時間半で制作、文字数勝負エントリー作品です。

文字数勝負のガチバトル!「BLOGWARS ~ episode1 キジヲカ・キマス ~」始まります。