昨夜のキャスにて。現在、『ポジ熊の人生記』について若干の方針転換を行っていることを示し、それについての助言を乞う。ブロガーからアフィリエイターまで幅広く知識のあるリスナーが集うので、活用させていただいている。
低品質記事の選定
no indexという手法をご存知だろうか。(検索エンジン的に)低品質と判断した記事に対して特定のタグを埋め込み、検索エンジンに対して評価の対象から外すようお知らせするものである。実は、今の段階からぼちぼち行っているのだ。
選定方法はアナリティクスの解析結果に基づいて行っている。具体的には
具体的期間(開設~現在)を指定→行動→サイトコンテンツ→すべてのページ→プライマルデョメンションをページタイトルに切り替え→ページビュー数の少ない順にソート
これで一発で洗い出しが可能。ブログ開設時から現在までずっとサイトの解析を行っていたからこそ成せる業である。これで何が判明するかというと、いわずもがな「ページビュー(PV)」である。少ないものでは20から存在する。20ってw公開時に定期購読者は読んでくれたが、その後検索エンジンからはなしのつぶてであったことが想像できる。しかも公開から3~4か月経過しているにも関わらず、だ。このような記事に対してno indexタグを埋め込んでやる。これによってサイト全体で低品質記事がひとつ消えた扱いになり、全体の評価を相対的に上げることができるのだそうだ(実感はまだしたことがない)。
ロングテールな記事の扱いについて
ロングテールとは、公開時にレスポンスがなくともその後じわじわと評価され続け、長期的に見れば検索流入を数多く獲得していくことで、それを生んでくれるのがロングテール記事という。どうも、自分の書いている雑記の類はロングテールなものが多いのではないか、との指摘を受けた。しかも検索エンジンからの評価というのは、同じドメインで継続して更新を続けていたら急に上がるものだよ、という助言もあり。
ここで先述no indexのことを思い出して頂きたい。僕は現段階ですでにPV数の少ない記事に完全に見切りをつけようとしている。例えば開設して1か月以内に書いたアクセスのない記事、つまり「SNSにも検索エンジンにも好まれなかった」と判断したものに、である。これに対しては容赦なくno indexを振っていたのだ。だが、件の理論を考えれば、ドメイン年齢が未だ3か月である現時点で、その記事が本当に埋もれてしまうかどうかを判断するには早計ではないのか?1年後にそれを判断しても遅くはないのだろうか?
no indexはドメインが育ってない段階では早計か
それについての回答は以下の通り。
- 何とも言えない
- 記事にno indexを付すのは早計
- あとから件の記事たちが上がってくることも否めない
と。総評は「今はno indexは早計じゃない?」ということで落ち着く。であれば、現在行っている改革については、手を一時休める必要がある。あまりにも低品質だと判断できるページ(極端な例では100文字だとか)や、情報性の低すぎるページについては、現段階で見切りをつけることは可能だろう。しかし、その他の雑記(ある程度の文字数で自分なりに良いと感じるものなど)は今後、ドメインパワーが付いてくるにしたがって思わぬ浮上、日の目を浴びる時がくるかもしれない。もし、現段階でそれらにno indexを付していると、その可能性を摘むことになるだろう。
サイト全体を良くしたいことへのジレンマは当然あろうかと思う(あとがき)
平成28年2月17日をもって、かれこれ100記事近くを更新してきた「何の日シリーズ」の更新を止めた。これはTwitterでも告知している。理由は簡単で、あまりにも「読まれないから」。あとは記事の内容が刹那すぎること。というのも、極端な話をすると1年で1/365しかその記事は脚光を浴びない。それだけのために364日、サイトの片隅でうずくまっていなければいけないのかと思うと不憫にも思う。同時にサイト全体の低品質化を誘発するのではないかとも考える。現実の話、PVが異常に低い記事にこの何の日シリーズは数多く存在する。これでは駄目だろう。なお、現時点で同シリーズすべてにno indexを付す作業を終了している。
サイト全体を良くするためのno indexだが、ロングテールな記事の可能性を摘んでしまうという危険性もあり、これはジレンマ以外のなにものでもない。いっそ、SearchConsoleか何かで「その記事は将来性がほとんどありませんよ」なんて機能が実装され、ズバリ言ってもらったほうがどれほど楽かわからない。だって、何の悩みもせずにそれはリライトやno indexもしくは削除を実施することができるのだから。
かつて書いた記事たちにただならぬ感情(損得抜きで)があることは否めない。しかし、それに対して情で物事を判断していては、次のステップに進むことができないのではないか。ならば心を鬼にして、全体のために舵を切ることも必要なのではないかということ。これを最近では強く感じるようになったのだ。
記事数が少ないサイトでも結果を出している人は多数いる。多更新がなんでも成功に繋がるわけじゃないことを証明していると言わざるを得ない。僕は今まで、余りにも多更新で消耗し過ぎたように思う。現在はそれへの反動により、サイト全体の底上げを図るという視点に、どうしてもシフトチェンジしてしまうのかもしれない。
1000記事達成後の目標は、未だ定まっていない。だが、目指すべき方向はなんとなく見えている。そのためには今回のような思い切ったサイト改革というのは、どうしても必要なのかなと思う。
終わり