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ガリ元国連事務総長 死去2月17日 3時35分
国連で第6代の事務総長を務め、ソマリアやルワンダの紛争などの対応にあたったエジプト人のブトロス・ガリ元事務総長が15日、93歳で死去しました。
国連は15日、ブトロス・ガリ元国連事務総長が入院していたエジプトの首都カイロ近郊の病院で死亡したと発表しました。死因については明らかにしていません。
ガリ元事務総長は国際法の専門家で、カイロ大学で教べんをとったほか、エジプトのサダト政権とムバラク政権で外務担当の国務相を務めました。1992年に第6代の国連事務総長に就任すると、「平和への課題」という提言を行い、紛争に、より積極的に関わるため国連が軍事力を行使することも辞さない姿勢を打ち出しました。
しかし、こうした考えに基づいたソマリアのPKO=平和維持活動では、PKO部隊と地元の武装勢力との間で頻繁に戦闘が起き、多くの犠牲者が出たため、撤退を余儀なくされました。さらに旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナの民族紛争やルワンダの大虐殺など、困難な問題の対応に追われました。
ガリ元事務総長は、2期目を目指すにあたって、事務総長を事実上選出する国連の安全保障理事会で、アメリカが拒否権を行使したことから、異例の1期・5年での退任を余儀なくされました。ガリ元事務総長は、中東の民主化運動「アラブの春」で異なる宗教や宗派間の対立が深まっていると懸念を示すなど、積極的な発言を続けていました。
ガリ元事務総長は国際法の専門家で、カイロ大学で教べんをとったほか、エジプトのサダト政権とムバラク政権で外務担当の国務相を務めました。1992年に第6代の国連事務総長に就任すると、「平和への課題」という提言を行い、紛争に、より積極的に関わるため国連が軍事力を行使することも辞さない姿勢を打ち出しました。
しかし、こうした考えに基づいたソマリアのPKO=平和維持活動では、PKO部隊と地元の武装勢力との間で頻繁に戦闘が起き、多くの犠牲者が出たため、撤退を余儀なくされました。さらに旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナの民族紛争やルワンダの大虐殺など、困難な問題の対応に追われました。
ガリ元事務総長は、2期目を目指すにあたって、事務総長を事実上選出する国連の安全保障理事会で、アメリカが拒否権を行使したことから、異例の1期・5年での退任を余儀なくされました。ガリ元事務総長は、中東の民主化運動「アラブの春」で異なる宗教や宗派間の対立が深まっていると懸念を示すなど、積極的な発言を続けていました。
エジプト大統領「大きな貢献をした人物を失った」
国連のガリ元事務総長が亡くなったことについて、エジプトのシシ大統領は国営テレビを通じて声明を出し「長い国際政治のキャリアを通じて、国際法や人権の分野で大きな貢献をした人物をエジプトと世界は失った」と哀悼の意を示しました。そのうえで「すべてのエジプト人に対して模範を示し、祖国に尽くしてくれた」として改めてその功績をたたえました。
国連本部では追悼の動き
国連のガリ元事務総長が死去したことを受けて、16日、ニューヨークの国連本部では追悼の動きが相次ぎました。
このうちパン・ギムン(潘基文)事務総長は声明を発表し、「ガリ元事務総長は、国連のPKO活動を飛躍的に拡大させ、冷戦終結後に世界がさまざまな問題の解決を国連に求めていた時代に、国連を率いた。すべての加盟国と勇敢に向き合い、国連の事務局の独立を守り、使命の達成にまい進した。その足跡は消えることはないだろう」と述べ、功績をたたえました。
また、安全保障理事会でも会合の冒頭、議長国のベネズエラの呼びかけで日本を含む各国の代表が起立して1分間の黙とうをささげました。
このうちパン・ギムン(潘基文)事務総長は声明を発表し、「ガリ元事務総長は、国連のPKO活動を飛躍的に拡大させ、冷戦終結後に世界がさまざまな問題の解決を国連に求めていた時代に、国連を率いた。すべての加盟国と勇敢に向き合い、国連の事務局の独立を守り、使命の達成にまい進した。その足跡は消えることはないだろう」と述べ、功績をたたえました。
また、安全保障理事会でも会合の冒頭、議長国のベネズエラの呼びかけで日本を含む各国の代表が起立して1分間の黙とうをささげました。