新元素の発見 日本の科学力を示した
毎日新聞
理化学研究所の研究チームが、原子番号113番の新元素発見者と国際学会から認定された。
新元素の発見はアジア初の快挙だ。発見者には命名権も与えられるため、教科書でおなじみの元素周期表に日本発の新元素名が掲載される。日本の科学技術力の高さを示すものとして、喜びたい。
原子番号92番のウランより重い元素は自然界には存在せず、人工合成することにより生み出されてきた。これまで、新元素の命名権獲得は欧米勢に限られており、113番元素をめぐっても、理研と米露の共同研究チームが獲得を争っていた。
理研の実験は2003年9月から始まった。加速器で亜鉛(原子番号30番)の原子核を重金属ビスマス(原子番号83番)の原子核に衝突させて融合する実験を繰り返し、04年9月から12年8月までに計3個の113番元素の合成に成功した。
米露の研究チームは理研より7カ月早く113番元素の発見を報告していた。にもかかわらず、国際学会が理研を発見者と認めたのは、理研の実験の質が高かったからだ。
理研の研究チームは113番元素そのものを作り出し、それが既知の元素へと崩壊する過程を詳細に捉えていた。研究チームは、他の元素から113番元素だけをより分ける装置を事前に開発してもいた。
一方、米露の研究チームは115番元素を人工合成し、その崩壊の過程で113番元素を確認したと主張したが、不十分だと判定された。
113番元素そのものを作り出すという理研の研究チームの戦略と、検出装置の開発を含めた精密な観測技術が理研に朗報をもたらした。
日本人研究者が新元素発見に迫ったことは過去にもあった。1908年、東北帝国大総長を務めた小川正孝博士が43番元素を発見したと発表したが、誤りだった。後に、実際に見つけたのは75番元素だったことが判明する。理研の仁科芳雄博士も40年に加速器で93番元素を作り出す実験をしたが、最終確認にはいたらなかった。新元素発見は日本の科学界の100年来の悲願だった。
理研の実験期間は約9年、亜鉛の原子核の速度を光速の10%に高める加速器の電気代は約3億円に上る。
新元素発見は私たちの暮らしに直接役立つものではない。こうした基礎研究にどれだけ投資すべきかは、議論が分かれるところだろう。だが、人類に新たな「知」をもたらすことは自然科学の大きな使命だ。基礎科学の充実は、人材育成や新たな技術開発にもつながる。
理研の研究チームは今後も新元素探索に挑むという。新たな快挙に期待したい。