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「日曜喫茶室」はかま満緒さん死去2月16日 23時18分
NHKのラジオ番組「日曜喫茶室」で40年近く司会を務め数々のバラエティ番組でも活躍した放送作家のはかま満緒さんが、16日、東京都内の自宅で倒れ、亡くなりました。78歳でした。
はかまさんは東京都出身で、慶應義塾大学を中退しラジオ局に勤めたあと、昭和34年にフリーの放送作家になりました。
落語家の初代、林家三平さんのギャグの台本を手がけたことで活躍の幅を広げ、一世をふうびした民放のバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」など数多くの番組で企画や構成を担当しました。
そのかたわら、若者が笑いを学ぶための「はかまお笑い塾」を開き、当時新人だった、コメディアンの萩本欽一さんや脚本家の市川森一さんらを自宅に寝泊りさせながら世に送り出してきました。
また、昭和52年からはNHKーFMのラジオ番組「日曜喫茶室」で司会となるマスター役を務め、現在まで40年近く続く長寿番組となっていました。関係者によりますと、はかまさんは、15日までラジオ番組の収録を行うなどふだんと変わらず仕事をしていましたが、16日昼前、東京都内の自宅で倒れているのを家族が見つけたということで、病院で死亡が確認されたということです。78歳でした。
落語家の初代、林家三平さんのギャグの台本を手がけたことで活躍の幅を広げ、一世をふうびした民放のバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」など数多くの番組で企画や構成を担当しました。
そのかたわら、若者が笑いを学ぶための「はかまお笑い塾」を開き、当時新人だった、コメディアンの萩本欽一さんや脚本家の市川森一さんらを自宅に寝泊りさせながら世に送り出してきました。
また、昭和52年からはNHKーFMのラジオ番組「日曜喫茶室」で司会となるマスター役を務め、現在まで40年近く続く長寿番組となっていました。関係者によりますと、はかまさんは、15日までラジオ番組の収録を行うなどふだんと変わらず仕事をしていましたが、16日昼前、東京都内の自宅で倒れているのを家族が見つけたということで、病院で死亡が確認されたということです。78歳でした。
萩本欽一さん「笑顔で支えてくれた」
新人時代に「はかまお笑い塾」で学んだコメディアンの萩本欽一さんは当時のはかまさんについて「先生は番組の台本を書いているときも、いつも冗談ばかり言っていたのが印象的で、テレビという新しい時代の笑いをつくるさまを目の前で見せてくれました。だめなコメディアンの私をなんとか一人前にしようと何度もテレビに出させてくれて、失敗してもいつも笑顔で支えてくれた人でした」と振り返りました。
そして「自分がテレビに出られるようになってからも『見たよ』、『あれよかったね』と連絡をくれて先生と弟子のような関係が今まで続いていました。最近、会ったときもすごくお元気で私が『いつか先生に恩返ししないとな』と言うと笑っていましたが、それが最後になってしまいました。突然のことで驚いていますが、生活の中にいつも笑いがある方だったので、『先生にとってはお亡くなりになったことすらも冗談の続きなんだよね』とお伝えしたいです」と話し、突然の別れを惜しんでいました。
そして「自分がテレビに出られるようになってからも『見たよ』、『あれよかったね』と連絡をくれて先生と弟子のような関係が今まで続いていました。最近、会ったときもすごくお元気で私が『いつか先生に恩返ししないとな』と言うと笑っていましたが、それが最後になってしまいました。突然のことで驚いていますが、生活の中にいつも笑いがある方だったので、『先生にとってはお亡くなりになったことすらも冗談の続きなんだよね』とお伝えしたいです」と話し、突然の別れを惜しんでいました。