63年前廃止、駅舎など奇跡的に現存
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1933年12月開業当時の寛永寺坂駅=京成電鉄提供
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地上には今でも当時の駅舎の一部が残る=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時24分、竹内紀臣撮影
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「寛永寺坂駅」廃止後、地上の元駅舎は倉庫会社が長年使用していた=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前11時21分、竹内紀臣撮影
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地上の元駅舎から地下へ続く階段=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時27分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地上に残る元駅舎には、当時の切符売り場(中央)や事務室(左奥)も残る=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時58分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地上に残る元駅舎内には、当時の事務室(左)と切符売り場(右)も残る=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前11時16分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地上に残る元駅舎内には、当時の事務室(左)と切符売り場(右)も残る=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前11時16分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「旧寛永寺坂駅」の元駅舎のそばに残る碑。表面には「國威宣揚」、側面には神武天皇即位紀元2600年を記念したものだと記され、後方には国旗を掲揚できるようになっていた=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前11時3分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「旧寛永寺坂駅」の元駅舎のそばに残る「國威宣揚」と書かれた碑。側面には神武天皇即位紀元2600年を記念したものだと記されている=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前11時4分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。元駅舎の地下にある連絡通路の壁に残された電気部品=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時44分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。元駅舎の地下にある連絡通路の天井に残された明かり取りの窓跡=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時47分、竹内紀臣撮影
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「旧寛永寺坂駅」の連絡通路につながる階段=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時半、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地上の元駅舎から地下へ続く階段(左)。右は物置だったと見られるスペース=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時55分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地下から地上に続く階段に残された曲がった滑り止めの金属=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時53分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地下から地上の元駅舎に続く階段=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時51分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地上の元駅舎から地下へ続く階段=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時27分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地上の元駅舎内の天井は、しっくいがはがれ、木材が見えていた=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前11時18分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地上の元駅舎内の床には、木製の柵の跡も残る=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時26分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地上の元駅舎内の切符売り場の柱には、多くの傷が残る=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前11時24分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地上の元駅舎内には当時の使われていた扉など、事務室の跡も残る=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時25分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。地上の元駅舎内には当時の切符売り場の跡も残る=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前10時59分、竹内紀臣撮影
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京成電鉄「寛永寺坂駅」跡。旧駅舎内の地下に続く階段(右奥)の手前には、木の柵の根本が残されていた=東京都台東区上野桜木で2016年2月2日午前11時14分、竹内紀臣撮影