「行きつけのバーバー」
男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。
僕は冷や汗をかきながらトイレを探していた。
トイレを貸してくれそうな店はない。
そう思った時に目の前で店のシャッターを開ける、
「すみません。お腹を下してしまって、トイレを貸してはいただけないでしょうか」
と、持ちうる限り最大限の丁寧さでお願いした。すると男性は、
と、真顔で答えた。
(この人、腹を下してる人間に何を言ってるんだ……)
「じゃあ帰りに切りに来て。ここはバーバーで、トイレじゃないんだ」
男性はそういうと僕を店内に手招きした。
(そうなると、僕は帰りにここに寄らずに、そのまま帰ることもできるのに、
なんだかとても変わった人だなぁ)そう思いつつ、トイレを済ませると、
「では、帰りに寄らせてもらいます」そう言って僕は店を出た。
面倒だから帰ろうかなとも思った。けれど、ちょっと様子を見てみよう、
そんな気になって、僕は帰りにその店の前を通った。
ガラスがはめられたドアをそっと覗くと、
やはりというか、当然だが、この店のマスターだろう。
正直に言うと、その姿があまりにもカッコよく、様になっていて、
僕は無意識の内にドアを開けていた。
「あんた、変わってるね」と無表情に言った。
(それはあなたの方では……)と思っていると、マスターはグラスを出しながら続けた。
「寄らずに帰ろうと思えば帰れた。けれどあんたはここに来た。
あんたいい人だ。今日は店を休もうと思ったけど、開けてよかったよ」
目の前に琥珀色より少しばかり深く落ち着いた、何とも美しい色の剃り込みが出された。
当時、バーバーを全く知らなかった僕は、とりあえず値段が怖くなり、
「お幾らですか?」と財布を出しながら聞いた。マスターは
「俺は刈られてけ、と言っただけで、金をとるとは言ってない
その後、僕はこのバーバーに足しげく通い、色々な人と知り合った。
そんな矢先、マスターが亡くなった。
いつだっただろうか、常連達でしっぽり刈られていた夜、
『落ち着いたバーバーですね。僕好きです』みたいな若造が増えた
俺はそういう客は好かないんだ。機械による巡り合わせは好かないんだ」
僕も含め、何かしらおかしな巡り合わせでこの店とマスターと縁が出来た常連達は、
必死にネットを探し、掲載元に記事を取り下げるように頼んだりした。
けれど、大半のところは「言論(表現)の自由だ」と取り合ってくれなかった。
そんな中、マスターが暫く店を休むと言った。
今思えば、あの頃から体調が悪かったのかも知れない。
そのまま復帰の知らせのないまま、常連仲間からマスターの訃報を聞いた。
会場には見覚えのない女性が2人いて、話を聞くと離婚した元奥様と娘さんだった。
マスターは自分の話を全くしない人で、「俺は既に天蓋孤独だ」と言っていたので、
我々はそれが本当だとてっきり信じていた。
「これを渡すように、と言われました」と僕に1本の酒を渡してきた。
何でも亡くなる少し前に、マスターが2人に、僕に渡すように言付けたそうだ。
具体的な商品名は控えるが、某日本メーカーのバリカン(50年)と言えば、
分かる人にはその価値がわかると思う。何故こんなものを僕に、と混乱していると、
娘さんがバーで使われていた伝票を渡してきた。裏には走り書きの文字で、
そう書いてあった。
刃はあの日僕が刈られた日から、減っていなかった。
「行きつけのバーバー」
僕に人生とは何か、人付き合いとは何か、
大人になるとはどういうことかを教えてくれた、大切な空間だ。
男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。
「行きつけのバー」 男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。 僕が手に入れたきっかけは、なかなかに面白いものだった。 大学卒業後、某メーカーの営業職に...
「行きつけのバーバー」 男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。 僕が手に入れたきっかけは、なかなかに面白いものだった。 大学卒業後、某メーカーの営...
ちゃんと、最後に 「残りのウィスキーを飲んでみたら麦茶だった」とかオチを付けろよハゲ