とは言ってもネグレクトまではいかない。超手抜きの最低限の炊事、洗濯、掃除はしていた。
自分が幼稚園の頃から共働きで、両親ともに帰りは夜中。自分が家を出るまで、平日の夜は3つ上の兄と二人だけで過ごすのが普通。寝ろ、という大人がいないので、小さい時から24時くらいまで起きているのが普通。11PMとかよく見てた。
料理は超適当で、白飯、インスタント味噌汁(あさげとかそんな高級なやつではなく10個入り100円とかの不味いやつ)、何かを炒めたものに醤油をぶっかけたやつ、が定番。白飯の炊き方は昔ながらの、適当に米を入れて研いで手を置いて手首まで水を入れるやり方だったので、固かったりビショビショだったりでまともに炊けたことがほぼない。しかも1升くらい炊いて4、5日もたすから後半はご飯が黄色くさらに不味く臭くなってる。
食材の管理も適当だったので、何度も食中毒で救急病院に行った。その時に車の中で父親が苦悶する自分に対して「吐いて車汚すなよ」と言ったことは今でも良く覚えている。中3の時に体育の授業で骨折した時は心配するより先に「大事な時期に何やってるんだ!」とまず怒られた。子供の生育には興味のない親だったが、中学に上がってからは通知表の数字にだけは関心があったらしい。
部屋掃除は月に1度あるかないか。風呂、トイレ掃除は年に数回。洗濯は最終的に自分の分は自分でするようになった。
「風呂入れ」と言われるのが週に1回くらいだったので、風呂入っていいのは週1(それ以上は贅沢)と思っていた。普通毎日入ると知ったのは中学生になってからだ。だから下着も大抵1週間は替えなかった。
親は学校行事にはほぼ参加しない。運動会だけはさすがに来ないと世間体が悪いのか、一応11時くらいに来て、会場から遠く離れた誰もいないところに陣取る。当然見てなどいない。一応カメラは持ってくる。フィルムは入ってないけど。
どこかに遊びに連れて行ってもらったことはない。せいぜいあるのは祖父母の家だけで、しかも着いてから特に何のイベントもないので、とにかく暇だった記憶しかない。人生で最初の遊園地は、高校の修学旅行で行ったディズニーランドだ。
そんな家庭だったので、家には帰らず友達の家に入り浸っていた。おそらく友達の親も可哀想な家庭の子と思っていたのか、良くご飯をご馳走してくれた。悪い仲間もいたが、成績優秀なアニオタ仲間もいた。最終的に、アニオタ仲間といたほうが面白かったので、悪い仲間とは遊ばなくなりひどいグレ方をせずには済んだ。そのアニオタ仲間と同じ学校に行きたくて勉強を頑張り、高校、大学はアニオタ仲間と同じ進学校に進むことができた。
前向きに楽しく生きることを教えてくれたのは間違いなくそのアニオタ仲間だ。そいつらに会わなかったら、今自分はクソみたいな人生を送っていたか、とっくに自殺してたと思う。
自分が大学生だったある時、母親が電話で子育てに悩む友達の相談に乗っているらしき会話を聞いた。「子供はほっとくのが一番なのよ〜」と得意げに語っていた。さも、こうして私は子育てに成功したと言わんばかりに。
違う、それは違う、今の自分があるのはあなたの功績じゃない、あなたは何もわかっていない。
ひどく腹が立った。
高嶋ちさ子さんの子供たちも、子育てに関して得意げにツイートしたり新聞に寄稿したりしている自分の親に対して今そう思っているんじゃないかなと思い、自分の過去をなんか思い出したので記念カキコ。