福島原発事故の賠償をめぐり、福島県浪江町の住民が国の紛争解決機関に行った増額の申し立ては、東京電力が和解案を拒んでいるため解決できない。東電は加害者として救済の原点に戻るべきだ。
浪江町の町民は東電から正当な理由を示されないまま、二年近くも解決を放置されている。
被害者である町民の側ではなく、加害者である東電の側に賠償の決定権があるかのような状況は、賠償のあり方として倒錯している。
原発に近い浪江町は五年前の原発事故で全町避難を強いられた。各地に離散して避難生活を送る町民の声を聴き、町は二〇一三年五月、町民一万五千人の代理人となり、国の「原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)」に対し、一人に月十万円が支払われる精神的慰謝料の増額を申し立てた。
放射能汚染で町の面積の大半が帰還困難区域とされた。弁護士らで構成するADRの仲介委員は現地調査も踏まえて翌年三月、「一律五万円の増額」を盛り込んだ和解案を示した。これを町は受諾したが、東電は「個別事情が反映されず、集団に対する一律増額には応じられない」と拒んでいる。
たしかに和解案には強制力がない。しかし、甚大な事故を招いた後も存続を許された東電は、その事業計画で「和解案の尊重」を約束した。この件で、ADRが「和解案受諾勧告書」を出したのは異例の対応といえる。東電に対して和解案の受諾を迫り、「拒否する合理的理由はない」と断じた。
申し立てに参加した浪江町民のうち、四百四十人以上が亡くなった。かつての公害裁判などもそうだが、人権救済を訴えた被害者が、解決の日を待たずに世を去ることが、どんなに無念なことか。
東電は一刻も早く和解案を受け入れ、賠償を果たすべきだ。賠償を認めないと、被害者は諦めるか、訴訟を起こすしかない。訴訟という時間も労力もかかることを、被害者に負わせてはならない。
原発ADRは、被害者が泣き寝入りしないように設けられた救済機関だ。飯舘村民の半数が参加する集団申し立てなど、他の自治体住民からも増額要求が相次ぐ。この第三者機関が機能しないと、被害者は頼れるものを失う。
復興の号令の下、国は一七年度で賠償を終える方針を打ち出したが、救済は終わっていない。賠償指針やADRなど、あらゆる仕組みが被害者本位なのか、原発事故から五年の節目に見直したい。
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