ネット暦自体はそれなりに長くて、もう15年以上になる。
始めは他愛もないチャットから始まり、MMOを経て現在のブログに至るわけだが、その中で様々な人間関係があった。すごく仲良しな人もいれば、いまいち気の合わない人もいて、時には激しい喧嘩をしたこともある。
現在までお付き合いのある人がいるかといえば答えは「ノー」
人間関係リセットとか平気でやってた
自分をおおっぴらに出すこともしてこなかったし、オフ会と呼ばれるものもたった1人としか経験したことがない。それに、その世界を去るときは人間関係をリセットしてきたのも、現在まで誰一人として継続して繋がらなかった大きな要因。
自分にとってみれば都合の良い関係だったし、嫌ならフリメを捨てていつでも逃げればいい、それくらいにしか考えてなかった。所詮はインターネット、架空のお付き合いであり、リアルこそが至上である。そんな風に考えていたのだと思う。
インターネットの人間関係は虚構じゃない
今の意識はどうだろうか。
自分が絶望の淵に立たされた時に救ってくれたのがブログで、そこでの人間関係により従来以上の明るさを取り戻せた自分がいた。自然と身の上話(身バレしない程度に)はするようになったし、今までとは違った意味の、仲の良い人が増えてきたように思う。等身大の自分をさらけ出して、それを受け入れてくれる人たちとの付き合いである。
インターネット上での交流に対する価値観が見事に転換された。考え方が明らかに変わったのである。虚構なんかじゃない、これは現実の人間同士のコミュニケーションだ、魂のぶつかり合いだ。そう確信できた。
縁が切れる関係に思うことが変わった
最近、考えることがある。付き合いのあったブロガーと疎遠となることについて。かつては盛んにやり取りしていた時期があったにも関わらず、何のきっかけかはわからないが、交流がなくなっていくこと。少し前までは「寂しいな」と思うこともあった。また交流が再開すれば素敵だろうな、このように考えることも少なからず。
だけど、今はちょっと考え方がかわった。
「かつて盛んに交流していた頃のコミュニケーションも幻じゃないし、疎遠になることも、これは必定なのかもなぁ」と。縁が遠のくことを憂慮するのであれば、疎遠になる前に恐らく自らアクションをかけているはずである。それが、気づけば距離が開いていた、なんて。これは自分でも無意識のうちにその縁と距離をとっているのかもしれないなぁ、なんて思うのさ。
一期一会って素敵だよな
「一期一会」という言葉は、もう二度と会うことがない、それくらいの気持ちで現在の縁を大事にせよという意味合いがあるそうだ。これについては凄く納得ができる。
いつか切れる関係を避けて通るのであれば、誰もいない場所で暮らさざるを得ない。だって、どんなに近しい人とも必ず別れの時はくるのだから。どんなに人の少ない場所へ行っても、人との縁は本当の意味で断ち切ることなど不可能である。それはつまり「社会で生きていくこと」に他ならない。
いつか切れる縁であっても、今の縁を大切にしたいなって思えるようになった。
ネット上のコミュニケーションを虚構だと捉え、いつでも去る用意をしていたかつての僕はもういない。今、懇意にしている友人は大切な友人だし、過去に仲が良かった友人もその時は大切な友人だったのである。そこに嘘などない。
自分を出していけ(あとがき)
もし、過去の友人関係に未練を感じるのであれば、それは自分を偽ってきた付き合いだったのではないだろうか。自分らしく振る舞って、結果的に疎遠になってしまったのであれば、そこには恐らく後悔などは感じないと思うんだわ。
みんな、自分を偽って現在の人間関係を構築していないかい?積極的に嫌われる必要はないけど、好かれるために、誰かのために振る舞うことは不自由だし、縁が切れた時に後悔しちゃうよ。だからできる限り自分らしく振る舞っていこうよ。それで、今ある縁を大切にしよう。いつか切れるかもしれないけど、切れても後悔のないように、あけっぴろげに付き合っていこうじゃないの。なーんてな。
終わり