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【ビジネス解読】中国の経済政策は日本の“パクリ”だった? アベノミクスならぬ「シー(習)コノミクス」の驚きの中身とは…

【ビジネス解読】中国の経済政策は日本の“パクリ”だった? アベノミクスならぬ「シー(習)コノミクス」の驚きの中身とは…

カイロのアラブ連盟本部で演説する中国の習近平国家主席(新華社=共同)

 世界的な金融市場の動揺の震源となっている中国。2015年の成長率が25年ぶりの低水準に減速した経済を政府は今後どうかじ取りするのか。その方向性を占う1つのヒントが「シー(習)コノミクス」だ。安倍晋三政権の「アベノミクス」をまねたかのような「シーコノミクス」の中身とは…

 「習近平指導部の政策立案担当は確実に日本を深く研究している」。こう話すのは、日本の大学で勤務経験のある日本語に堪能な中国人の大学教授だ。

 教授は「3つの符号」を指摘した。まず、習指導部が打ち出した16年の経済政策でキーワードとなる「供給側(サプライサイド)を重視する構造改革」だ。過剰な生産能力や過剰な在庫など、需要を無視した計画経済的な供給側の一方的な暴走を食い止める狙いがある。

 教授が注目したのは「側」という字の使い方。「中国語にもこの『側』の字はあるが、日本語にある供給側、右側、左側のような意味はなく、サプライサイドの用法なら完全に日本語からの転用」とみる。「製造業や不動産開発など供給側の構造改革の必要性を、戦後日本の市場経済のしくみの成功例から学ぼうとしている」と強調した。

 習指導部が「供給側の構造改革」を打ち出したのは、昨年11月の党中央財経指導小組での会議。16年をスタートとする20年までの「第13次5カ年計画」の柱のひとつにすえるという。

 教授がそれ以前にも「日本の影響」と感じていたのは、習主導部が誕生した12年11月の共産党大会で打ち出した公約の「20年までに10年実績比で国内総生産(GDP)と国民所得を倍増させる」と「偉大な中華民族の復興をめざす『中国夢』」という政治スローガンの2点だ。

 教授は1960(昭和35)年に池田勇人内閣が10年で国民所得を2倍にすると宣言した「所得倍増計画」を思い出した。結果、日本は高度経済成長を背景に、国民1人当たり消費支出が10年で2倍以上に拡大して経済大国に躍り出た経緯がある。

 製造業の輸出拡大でドルをかせぎ「世界の工場」と呼ばれた中国だが、次なる経済成長にはどうしても先進国型の個人消費拡大が必要。「世界の市場」が花開かなければ、先進国になる前に経済が停滞する「中所得国のワナ」に陥る懸念がある。

 もうひとつの「中国夢」について、似て非なる、とも思ったが、教授は「2006年に第1次安倍晋三内閣が発足にあたって掲げた『美しい国へ』がベースにあるのではないか」と考えている。「美しい国へ」は安倍首相が官房長官などとして関わった小泉純一郎内閣が「聖域なき構造改革」に向け、経済財政諮問会議で決議した経済政策の基本「骨太の方針」が伏線。

 国家が目指す理念や夢を指し示し、具体的な数値目標としての所得倍増、さらにその実現に痛みの伴う構造改革が必要だとの3段階の政権の基本を、日本の経験から借用したという。

 むろん国家の成長段階にあって基本的な流れであり、必ずしも日本だけが手本とはいえないだろうが、教授は以前から感じていた2つの符号に加え、昨年11月に「側」の使用法をみつけて確信を深めたようだった。

 教授は指摘しなかったが、もう一点、日本との符号らしきものもある。最近登場した「シーコノミクス」だ。中国のメディアでは「習近平経済学」として登場する。習氏の名前の中国語の読み方「シー・ジンピン」から姓の「シー」を取った。「アベノミクス」からの転用だ。

 習指導部の発足当初は、経済政策のトップだった李克強首相の名から「リコノミクス」と呼ばれたが、その後、経済政策も含め習氏への権限集中が進んだ結果、そのキーマンが「李」から「習」に移行したためだ。

 19日に発表された昨年の中国のGDP成長率は実質で6.9%だったが、教授の「シーコノミクス」への見方はこうだ。

 いわば計画経済時代に逆戻りするかのような管理型で、「第13次5カ年計画の成長率目標を6.5%以上と設定した上、例えば16年は昨年と同じ6.9%に、17年以降、ソフトランディング(軟着陸)するため0.1%ずつ小刻みに成長スピードを下げて、最終年の20年に6.5%成長を達成すればシーコノミクスは成功」とみるという。

 習指導部誕生以前にも、1980年代に本格化した改革開放の時代には、日本の経済政策や産業政策、製造業の技術や販売と貿易のノウハウ、そしてプラザ合意の後の急激な円高によるバブル経済とその崩壊の失敗劇や、失われた20年などについても、中国の政策担当者は詳細に事例研究をしていたはずだ。

 習指導部のメンバーがどこまで「日本」を意識したか確かめるすべはないが、いよいよ「世界の工場」からの脱却と、次なる成長エンジンをフルスロットルで回転させるべき時期にきていることは確か。不思議な符号ではあるが、好き嫌いは別として日本の成功例は学び、失敗例では同じ轍を踏まない政策立案は中国にとっても現実的だ。(上海 河崎真澄)

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