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【社説】

週のはじめに考える 経綸のともしび遥か

 週明け国会は新年度予算の本格審議です。この予算も先送りの「財政再建」を、私たちはいつまで放置するのでしょう。いつか行き詰まると知りながら。

 「財政」と聞けば思い当たる記事がありました。一昨年四月八日の社会面。大筋はこうでした。

 幕末の一八六七年秋に坂本龍馬が土佐藩重臣、後藤象二郎あてに書いた手紙の草稿がみつかった。中身は、直近まで福井藩を訪ねていた龍馬が、知己の三岡八郎と会談したことなどの報告です。

 三岡といえば、福井藩で藩札の発行により藩財政を再建した立役者。その回想録などによれば龍馬との会談は深夜に及びました。世は大政奉還の直後です。新政府づくりを相談する龍馬に、三岡は財政の重要性を説きます。

◆二兎を追う新機軸

 二人はこの夜、新政府の体制方針について、龍馬の有名な「船中八策」の話もしたはずです。後に三岡が書く「五箇条の御誓文(ごせいもん)」の草案にそんな節も残るからです。

 龍馬はこの会談後、半月のうちに京都で暗殺されますが、後藤あての手紙で、新政府の財政を任すのは「この人をおいて他にない」と三岡を推挙しました。

 龍馬の“遺言”通り、すぐに新政府の財政担当者に抜てきされた三岡は、藩札の経験を生かし「太政官札(だじょうかんさつ)」という特殊な紙幣の発行にのりだします。紙幣を民間起業者への融資や公共事業に充てて経済を回す。「民が富めば国も豊かになる」。建国の気概にもえ、経済と財政のいわば二兎(にと)を追う新機軸でした。

 後世からも、これが維新の成功を支え、今に至る財政の礎を築いたとの評価が大勢でしょう。

 ただ、当時はまだなじみのない紙幣を通用させる上で、三岡が不可欠と考えた要点は「国民の国家に対する信用」です。国民から信用を得るためにこそ、国家の大義として「五箇条の御誓文」を提案もし、起草したのでした。

◆将来の国民に無責任

 その「御誓文」第二条には「上下心を一にして盛んに経綸(けいりん)を行うべし」。三岡は藩で学んだ「経綸」という言葉をよく使いました。もとは天下国家を治める方策の意味ですが、三岡のそれは「国の信用」に根差す財政でしょうか。

 「三岡経綸」の意義については経済危機のたび、明治維新と比べ論じられてきました。終戦直後、バブル崩壊後、そして今日の財政危機にもそれは通じます。

 週明けから国会で二〇一六年度予算案の審議が本格化します。

 安倍内閣は昨年十一月に閣議決定した予算編成方針の冒頭「目指すのは経済再生と財政健全化の二兎を得る道」と明記しました。三岡経綸と同じ、あの二兎です。

 けれども、久々の高水準を見込む税収増は円安などが要因で、有効な経済再生策は打ち出せないまま。増えた税収も防衛費などの歳出増に吸い込まれ、借金減らしには回らない。追っているはずの二兎の姿はまだ遥(はる)か遠く。それがこの予算の実態でしょう。

 結果、国と地方の借金残高は千数十兆円。年々「国の信用」が薄らぎ高利の借金が膨らむ一方で、返済を負担する将来の納税者人口は減る一方です。

 なのに、そんな財政危機にあえて目をつむり、借金も歳出も減らさない。あとは増税頼みが現下の政策とするならば、それは将来の国民に対して、無責任な先送り策でしかありません。

 いま私たちがなすべきは、少なくとも危機の現実に目をつむらないことでしょう。

 この国会が終われば十八歳選挙権の初選挙です。だからこそ本当は、国会を起点に若者をも引き込む財政論議を深めたい。本気で再建に挑むなら、危機感の国民的共有こそが何より重要だからです。それも「国の信用」失墜が“手遅れ”になる前にいち早く。

 さて話は飛んで再来年。二〇一八年は明治維新百五十年です。

 安倍晋三首相は昨夏、山口県で「何とか頑張って一八年までいけば…」と首相続投へ意欲を口にしました。明治維新五十年は寺内正毅、百年は佐藤栄作。山口県出身の両首相に続き、県人首相として次の節目も狙った発言です。

◆山口と福井が狙う年

 一方、福井県。西川一誠知事は昨夏、県議会で、一八年のNHK大河ドラマの主人公を、三岡八郎こと後の東京府知事「由利公正」で狙うと表明しました。今、県を挙げて誘致活動のさなかです。

 二年後、安倍氏がまだ首相にいて、由利のドラマが実現したら。身近なテレビを通じ、財政の今昔に人々の関心や話題が広がる場面を想像してみます。

 楽観的かもしれません。それでもせめて、皆が危機感を共有する糸口になればと期待して。さらにはその時、まだ“手遅れ”になっていないことを祈りつつ。

 

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