12年前にあのような非常識な行動を取ったのは、運動圏(左翼系の学生運動グループ)出身者の慣性が働いたからかもしれない。米国の北朝鮮に対する圧迫政策の結果、北朝鮮が今のような状況に陥り、その過程で北朝鮮の人権弾圧が横行したという内在的な観点がまずあるだろう。またあるときは、優れた理論としてあがめられた「植民地半封建社会論」に立脚した運動圏の論理を掲げた。そのため、政治のような公的な領域に入り込んだ運動圏出身者たちは、過去とどう決別したのか、説明する必要がある。このような要求に対し、「思想の検証」と主張したり、色論(色合い論=相手の思想が疑わしいと食ってかかる)を持ち出したりする政治家ほど、人事聴聞会では閣僚候補者の家のスプーンの数まで問題にする状況をたびたび見てきた。
最大野党「共に民主党」の人材受け入れ委員会に、大法院(日本の最高裁判所に相当)が2009年に利敵団体に指定した団体の元幹部が入った。この人物に対し、今は考えが変わったのかと尋ねた。「私は文学を愛した。金泳三(キム・ヨンサム)政権はまだ権威主義の残滓(ざんし)が残っていて、当時も活動方式について意見の違いがあり…」と彼は答えた。彼が利敵団体の幹部として活動した時期は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下のことだった。このような脈絡のない話を30分近く聞いても、結局どう考えが変わったのかを知ることはできなかった。
北朝鮮人権法案が可決されれば、「金王朝」による人権じゅうりんは法律に基づき記録されることになる。大部分の記録を保管するというのは、刑事訴追まで念頭に置いているという意味だ。それだけではない。ソウル・光化門の米国大使館に押し掛け、北朝鮮人権法に反対した人たちの記録が現在も残っている。(北朝鮮が主張する)連邦制での統一を主張しながら、いつの間にか最大野党のメンバーになっていた人たちの行動も、今後は記録されることになる。記録してこそ、恐れることになるからだ。