・ふだん、ふつうの人は、
どれくらいの人に好かれていて、
どれくらいの人に嫌われていて、
どれくらいの人になんとも思われてないか、
なんてことを知らないままで生きている。
ときどき、あの人やあの人に嫌われてるかな、とか、
あの人には好かれてるんじゃないか、とかね、
思い当たることもあるかもしれないが、
ほとんどの人とは無難な関係でいられると思っている。
本人に向って「おまえが嫌いだ」というようなことを、
わざわざ言いに来る人もいないだろうから、
そういうことについて対処する必要もないし、
考えておくこともしなくてよかった。
見ず知らずのだれかが、じぶんのことを「嫌い」だとか、
「いけ好かないやつ」だとか思っているなんて、
ほんとうはあり得ないことなんだと思う。
知らない人に嫌われるって、おかしいですよね、
だって、知らない人って、知らない人なんだから。
でも、テレビなどのメディアに出るようになったり、
名前がおおぜいの人に知られるようになると、
見ず知らずの人が、じぶんのことを「好き」と感じたり、
「大嫌い」だと思っていることがあるんだ、と知る。
でも、「嫌い」という手紙を出すのは面倒なことなので、
嫌ってる人も、わざわざ本人に伝えたりもしない。
ここまでが、インターネット以前の時代の常識である。
インターネット以後は、特別に有名な人でなくても、
「見ず知らずの人が、じぶんに悪意を抱いている」
ということを知ってしまうようになった。
離れたところで暮らしている会ったこともない人が、
じぶんに対して敵意や悪意を持っていると知るのは、
けっこうつらいことだと思う。
それは、安心して歩き、安心して息をしている日常の、
どこかしらに、「悪意」を抱いて、
こっちを見ている人がいる、と知ることだから。
もともと、すべての人たちの好意のなかに
わたしたちはいるのではなかったはずだ。
こういう時代なりの健康なこころの持ち方を、
あらたに勉強する必要が、ふつうの人にもありそうだな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
『嫌われる勇気』という本の題名は、シンボリックだよね。
どれくらいの人に好かれていて、
どれくらいの人に嫌われていて、
どれくらいの人になんとも思われてないか、
なんてことを知らないままで生きている。
ときどき、あの人やあの人に嫌われてるかな、とか、
あの人には好かれてるんじゃないか、とかね、
思い当たることもあるかもしれないが、
ほとんどの人とは無難な関係でいられると思っている。
本人に向って「おまえが嫌いだ」というようなことを、
わざわざ言いに来る人もいないだろうから、
そういうことについて対処する必要もないし、
考えておくこともしなくてよかった。
見ず知らずのだれかが、じぶんのことを「嫌い」だとか、
「いけ好かないやつ」だとか思っているなんて、
ほんとうはあり得ないことなんだと思う。
知らない人に嫌われるって、おかしいですよね、
だって、知らない人って、知らない人なんだから。
でも、テレビなどのメディアに出るようになったり、
名前がおおぜいの人に知られるようになると、
見ず知らずの人が、じぶんのことを「好き」と感じたり、
「大嫌い」だと思っていることがあるんだ、と知る。
でも、「嫌い」という手紙を出すのは面倒なことなので、
嫌ってる人も、わざわざ本人に伝えたりもしない。
ここまでが、インターネット以前の時代の常識である。
インターネット以後は、特別に有名な人でなくても、
「見ず知らずの人が、じぶんに悪意を抱いている」
ということを知ってしまうようになった。
離れたところで暮らしている会ったこともない人が、
じぶんに対して敵意や悪意を持っていると知るのは、
けっこうつらいことだと思う。
それは、安心して歩き、安心して息をしている日常の、
どこかしらに、「悪意」を抱いて、
こっちを見ている人がいる、と知ることだから。
もともと、すべての人たちの好意のなかに
わたしたちはいるのではなかったはずだ。
こういう時代なりの健康なこころの持ち方を、
あらたに勉強する必要が、ふつうの人にもありそうだな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
『嫌われる勇気』という本の題名は、シンボリックだよね。
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