私のグルメ記事を見て、非常にありがたいことに「また美味しそうなものを食べている」とブクマやTwitterでコメントしてくれる人がいる。
食べることが趣味…というか大好きで、「”うまい”こそ正義」だなんて思っている。
美味しいもの万歳!
さて今でこそ美味しいものを食べてはブログで食レポを書いている私だが、しかし一時期何を食べても美味しく感じられないことがあった。
それどころかその時期は食べることが辛いとさえ思っていた。
あのときの私は心にゆとりがなかった。
入社した会社で精神を消耗した
私は大学卒業後に入社した会社を2年半で辞めた。
辞めた理由は色々とあるのだが、最たる理由は「とにかく上司と合わなかったし、自分も合わせることができなかった」から。
下っ端だったからだろうか、何度も理不尽に怒鳴られたり圧迫された。
ミスをして怒られるのであれば怒鳴られても仕方ないのだが、そうでもないのに圧迫や理不尽を受けたのは流石に頭に来た。
そこで弱音を吐こうものなら精神論と根性論を聞かされた。
最初の方は「今に見てろよ」と思って耐えていたが、頻繁にあると流石に辛い。
そうやって精神を消耗し続けた。
異常発生
そしたらそのうち心身に異常を感じるようになってきた。
寝てもすぐ目が覚めるとか、物事を覚えられなくなるとか。
そして、食事も楽しめなくなっていた。
歯ぎしりで歯を痛めてしまい、噛む動作が辛くなった。
また、早食いになった。
歯が痛いせいで物を全然噛まない、それに加えて早食い…本当に最悪だった。
味わう余裕すらなくなってしまい、美味しいはずのものを美味しく食べられないようになってしまった。
転職して
そのあと心身の限界を感じて転職を決心。
10社ほど面接を受けてありがたいことに5社から内定をもらった。
その中から「ストレスが少なそうなところ」を選んで今の会社に務めているのだが、今務めている会社はみんな優しくて、それまでの職場と比べたら天と地の差だ。
仕事内容も性に合っている。
転職後、心にゆとりが生まれた。
心身の異常も感じなくなり、歯ぎしりもしなくなった。
そしたらまた美味しく楽しく食事できるようになった。
そのとき心に余裕がある状況こそが食事を最もおいしくしてくれるんじゃないかと思った。
運動して汗を流すことや空腹が最大のスパイスなんて言われたりするが、心にゆとりがなければそういった状態でも食べることに集中できない。
心にゆとりがあるからこそ食べることに集中でき食事を味わい楽しむことができることを、良くも悪くも知った。
心にゆとりを
過剰なストレスのせいで趣味すら楽しめないというのはリアルでもネットでもよく聞く話だ。
食事も一緒だ。
心が救われてなきゃ満足に楽しめない。
「適度なストレスがアイディアを生むから、ストレス自体は必要だなあ」と最近は考えているが、それもあくまで『適度』。
心にゆとりがなければ、ストレスから発想する余裕もない。
積もり積もったストレスは人を苦しめるだけだ。
心にゆとりある状況が人生を楽しくしてくれる。
そんなわけでみなさんも、心にゆとりを。
場面とか全く違うけど、この台詞がしっくりくる。
おしまい。