医療現場で軽視されがちな「臨終時体験」
臨終期にある人が見る、夢や光景ー
いわゆる「臨終時体験(deathbed phenomena)」は、何千年も前から人類学者、神学者、社会学者などの関心を集めてきました。
ルネサンス期の画家、ヒエロニムス・ボッシュの『Death and the Miser (守銭奴の死)』にも描かれていますし、シェイクスピアの『ハムレット』にも、ハムレットが海で一度は他界に旅立つシーンがあります。
ハリウッド映画『市民ケーン』にも、主人公ケーンは死の間際に「ローズバッド(“Rosebud”)!」と言い残してなくなります。
ヒエロニムス・ボッシュ『守銭奴の死』 アカデミア美術(ヴェネツィア)所蔵
臨終時体験は、死にかけの状態から集中治療室などで復活した人が体験し、後から思い出すことのできるようないわゆる「臨死体験」とは異なるもので、これまで多くの心理学者や社会福祉士、それに看護婦たちが臨終時体験に立ち会ってきました。
しかしながら、いくら彼らが個人的に、死にゆく人が見る光景や彼らの最期の言葉には深い意味があると思っていても、そこに込められた意味を真剣に研究するとなると、得てして嘲笑の的になることがあり、報告を避ける医者もいるとのこと。
ロチェスター大学医学部の緩和ケア専門家のティモシー・E・クイル博士も その一人で「それ(患者の最期の言葉など)が意味することは、実際にはわからない」として、そうした話には距離を置くと言います。
夢の記録の集積を、明文化する試み
ニューヨーク州のホスピス・バッファローは、これまでに介護施設や個人宅への訪問事業で、5,000人を超える人々の終末ケアに関わってきており、その成果を最近、The Journal of Palliative Medicineに発表しました。
59人の末期患者にインタビューを敢行。
医師や看護師や福祉師が患者に「どんな夢を見ましたか?その内容は思い出せますか?」と聞いたところ、ほぼ全ての患者が、夢を見たり何らかの光景を見たと答えました。
彼らの夢の大半は心が慰められるような内容でしたが、5人に1人は苦しめられるような夢を見ていました。
具体的には、すでに亡くなった人に会う内容。
例えば、”自分のやり残した仕事が完成するのを愛した人が待っている”といったようなものが多かったそうです。
そのうちでも、悩みが解決したり、許しを得られるといった内容と同じくらい、たとえ失恋であっても「愛」がテーマのものが多かったそう。
夢の中では、彼らは良き患者、子ども、親、社員です。
彼らはスーツケースに色々詰め込んで旅立つ準備をし、愛した人に導かれて旅立っていきます。
こういう夢だけは「普段、夢の内容などほとんど覚えていない」という患者であっても、必ず覚えていました。
- 76歳の男性患者の夢。
子供の頃死んだ母親が、彼女が常用していた香水の芳しい匂いと共に登場し、なだめるような声で「愛してるわ」と告げた。 - 高齢女性患者の夢。
彼女はベッドに寝ていて、手には目に見えない乳児が抱かれている(彼女の夫によると、この夫婦には昔、流産した子供がいた)。 - 54歳の女性の夢。
何十年も前に、ある事で彼女を悲しませた幼馴染みが出てきた。その人物はかなり前に死亡していたが、老人の姿で現れ「あの時はごめん。君はいい人だね」と言った。この夢を見た9日後、彼女は帰らぬ人となった。
記録の集積から、臨終時体験の特徴を明らかにし、明文化するというこの試みは、まだ始まったばかりです。
「研究の大きな目標の一つは、”死んでいく”という特別な体験のただ中にあっても、患者に普段通りに過ごさせたり、孤独感を感じなくさせるということなんです」とクイル博士。
我々も、その人が死ぬ間際に見る鮮明な夢や光景を特定できれば、彼らを助けやすくなります
長年の感情の表出としての、夢
夢は、ある人がずっと持ち続けてきた感情を表出する役割も担っています。
モントリオール大学の神経科学者ニールセン教授は、死期が迫るとその必要性はより強くなると言います。
否定的な夢には、有り余ったエネルギーを噴出させる役割がありますが、肯定的な夢にも同様の役割があります。
こういう夢を見るのは恐怖や不安感が原因です。夢想家は文字通り、厳しい状況から彼ら自身を救うために夢想しているのです
夢は現実化する、立ち向かうべき。
研究結果では、死の数日〜数週間前には、彼らが夢で見たことが高確率で現実化することも判明しましたので、研究者らは、夢は現実の前兆としての意味があるのではないかと見ています。
ホスピス・バッファローのカー先生は「私たちにできることは他に何かないですか」と、患者に常に問い続ける積極的な医師で、彼はある患者にはさらなる水分補給が必要だと考え、何度も処置を施しました。
ですが、その患者の夢の内容をよく知る看護師は「無駄です。この人は死んだお母さんに会ったんですから」と先生に警告してきたそうです。
2日後、この患者は死去しました。
多くの終末患者とは、コミュニケーションが取れません。彼らが見る典型的な夢としては、冷蔵庫など重たいものを軽々と持ち上げる小人が出てきたり、アパートの隣人がいきなり訪ねてきて、ニワトリや猿をプレゼントされるというものがあります。
しかし残念なことには、彼らの多くは内容を覚えていないのです。
カー先生は、最近出演した講演で「患者の家族や友人から非難されることを恐れずに、医療関係者は患者に最近見た夢の一部始終を聞き出すべき」と提唱しました。
鎮静化させよう、なだめようとすると、患者自身を自らの死に立ち向かうプロセスから遠ざけることになります
終末医療:せん妄患者の願い
ホスピスなどの終末医療機関にいる患者の85%は、最終的にせん妄に苦しめられて亡くなっていきます。
連日の発熱、脳転移、ガンの最後のステージにあって衰弱していることなどが患者の認知機能に異常をきたし、結果として夢を見ているのか起きているのかの区別がつかなくなるのです。
せん妄状態に陥ると、他者と話し合ったり、一貫性のある体系的な言葉を発することが不可能になります。
彼らが記述できる幻覚は、自他共に精神的苦痛を与えるようなものであって慰めになるようなものではありえません。天井に浮かんだりしている死んだ親戚や友人の幻覚をよく見ます。
彼らは「自分はちゃんと覚醒している」と主張しますし、本当に見えるのだと言い張ります。
問題は、彼らが見る幻覚には意味があるのか、あるいは無秩序なものなのかです。
意味があるなら、説明されるべきなのでしょうか。それとも、そんな説明は悲惨な結果をもたらすだけでしょうか。
言えることは、患者は精神的に浄化されたいと願っており、その体験を他人と分かち合いたいと思っていることです。
トラウマの癒し
いわゆる”Dデー(第二次世界大戦中の1944年6月6日に連合軍によって行われたドイツ占領下の北西ヨーロッパへの侵攻作戦)”に参加した経験を持つ、あるリンパ腫の終末患者は、この体験によって心に受けた傷を人に話したことがありませんでしたが、死ぬ数週間前、Dデーの夢を見たこと話してくれました。
死体が転がる荒廃した風景の中、砲撃種である彼は奪われた拳銃を取り戻そうと頑張りますが、何をすることもできません。
すると、一人の既に死んでいる兵士が彼に言いました
来週、君は捕まるだろう
なんやかやとあって最終的に彼は任務を解かれ、非常に安心したそうです。
2日後、この患者は亡くなりました。この人のように、終末期に見る夢が気持ちを落ち着かせてくれることはよくあります。
20%の人は動揺します。トラウマを持つ人は、終末期に見る夢の中で、そのトラウマを追体験し、最終的に癒やしを得て死んでいくことができます。
ということで、ホスピスでは主に抗精神薬ではなく、抗不安薬を処方することで、精神的癒しを得て週末を迎えられる状態に患者を導くことを考えているそうです。
市民ケーン(1966年、オーソン・ウェルズ監督作品。映画の最初に臨終患者であるケーンが叫ぶ「ローズバッド!」にはどんな意味が込められていたのでしょうか。
視聴者は、物語が進むにつれて、それがケーンが幼い日に遊んだ”そり”の名前であり、そしてそれが母親の遺品として彼が長く離れていた場所にあったということを、そのそりが燃やされる映像を見て理解します(3:21)
【参照】
- A New Vision for Dreams of the Dying-nytimes.com
- End-of-Life Dreams and Visions:A Longitudinal Study of Hospice Patients’ Experiences-hospicebuffalo.com(PDFファイル、547バイト)
- 【臨死体験の科学】肉体的死後も3分間は意識が続いていることが判明! 本人の“意思次第”で死から戻れる可能性も?
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