本書は去年、日本経済新聞社が買収した英国の経済紙、フィナンシャル・タイムズ(略してFT)を紹介する本です。
日本では、金融関係者でもない限り、FTの存在を知らない人が殆どだと思います。だから、まず「FTって、一体、どんな新聞?」ということを説明する必要があります。
その点、本書はFTのユニークさをいろいろな角度から紹介していて、本のタイトルが約束している「知りたいこと」をじゅうぶん提供しています。
経済ニュース・メディアの役割は、次の三つに集約できると僕は考えています。
1) To break news.
2) To provide context.
3) To keep companies and governments honest.
新聞である以上、特ダネを報じることを読者は期待します。また記事を読むことで、背景が理解でき、読者のあたまの中が整理されることが望ましいです。さらに会社や政府が間違った方向へ行っているなら、それを暴き、正すことは一流のメディアの仕事です。
しかし……
この1)から3)は、すべてのニュース・メディアが等しくこなせるということではなくて、おのずと得意・不得意が出てきます。
FTの場合、2)と3)を重視しています。日経の場合、1)に偏重した取材態勢になっており、M&Aの報道などでは、正直言って「おてつき」の回数もウンザリするほど多いです。
FTの場合、少々速報性を犠牲にしても正確であることを最優先する編集方針を取っており、そのことは『フィナンシャル・タイムズの実力』でも元日経新聞の辣腕記者、牧野洋氏のコメントなどを引用しながら、ていねいに説明されています。
また会社や政府が間違ったコトをやっているならば、それを暴き、正す使命があるという点に関して、『フィナンシャル・タイムズの実力』は金融関係者なら誰もが知っているBCCI事件の事例を紹介し、報道機関が晒される、スクープと権力の監視の間のビミョーなバランスについて、良く解説できていると感じました。
インターネットなどのテクノロジーによって、1)から3)のメディアの役割も、おのずと影響を受けます。
ただ速報するだけなら、FTのような新聞のアドバンテージはどんどん薄れてくるし、それがマーケットに関するニュースであれば、ブルームバーグのような、そもそも情報端末にニュース・サービスがエンベッド(一体化)されているメディアの方が有利です。
そこでFTとしては、おのずと2)と3)に重点をおかざるを得ません。2)に関しては、FTの記事は全ての経済ニュース・メディアの中で最も注意深く、端正に編集されているので、FTの解釈、記述は、ある種のfinalityを帯びているとさえ言えます。つまり「FTにこう書かれたら、それで評価が決まってしまう」という重みを持っているのです。
しかもFTは比較的言葉少なに、含蓄を持たせてそれをやりとげます。たしか昔、春山昇華さんが「FTはスルメをかじるように読めば読むほど味わいが出る」という意味のことを言っていたと思うけど、それはFTのDNAを的確に表現していると思いました。
ただ2)に関してFTがダメな面というもの、実はあります。
それはFTは「ページブレイクなし」の紙面構成だという事に起因します。「ページブレイク」とは、第1面の記事を読んでいたら、(ここから先は6ページにつづく……)というように尻切れトンボで記事が切れてしまい、新聞のあちこちを繰りながら記事を読み続けなければいけない紙面構成を指します。
アメリカの新聞で言えば、ニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナルは「ページブレイクあり」主義です。これに対して日経新聞やFTは「ページブレイクなし」主義です。
なぜこのようなことを問題にするか? と言えば、新聞の第1面を飾るのは普通、その日の最重要ニュースであり、そんな大事な出来事の背景は、読者としてはシッカリ説明して欲しいわけです。
ところがFTには「ページブレイクなし」という編集上の制約があるせいで、ほとんど全ての重要ニュースが説明不足で喰い足りない記事になってしまっているのです。
読者によっては、それを(FTは、記事が浅い)と誤解する向きすらあります。その点、ニューヨーク・タイムズは最もぜいたくに紙数、文字数を割いているので、(もうちょっとだけ、余計に知りたい)のニーズは、いちばん満たしている気がします。
『フィナンシャル・タイムズの実力』ではFTアルファヴィルという、ヘッジファンドを想定読者としたブログについても言及されています。
アルファヴィルは、とてもエキサイティングな試みだったと思います。
その理由は、たぶん「ページブレイクなし」主義や二重三重の編集プロセスによりクウォリティーを確保する……などの、がんじがらめの制約が、多くのFTの記者にとってフラストレーションのタネとなっていたからでしょう。
自分の取材力や、面白い小ネタを、思う存分、披露できなくしていたという状況が先ずあり、アルファヴィルという、自由にやれる場を与えられて、サーカスの檻からトラが飛び出したみたいな、機知に富み、hard-hittingな記事が、続々登場したというわけです。
その後、オリジナルのアルファヴィルのチームは続々他社へ転職してしまったので、記事がつまらなくなり、僕もいつの日からか読むのをやめてしまいましたが。
この「ページブレイク」のある・なしの問題は、ネットへの移行で近年、どうでも良くなりつつあるとはいえ、それぞれの新聞社のDNAに関わる、大事な問題なので、『フィナンシャル・タイムズの実力』にその言及が無かったことは、大きな見落としのように思います。