ぼくは一昨年から昨年の1月にかけて渋谷区の政治家を目指していました。
しかし、それに対して選挙に出馬することにビビって逃げてしまったのです。
そして、今ブロガーとして情報発信を主軸に活動をしています。
あれからもう1年の月日が経ちました。
ぼくはずっと「社会を面白くしたい」、「人々がもっと生きてるのが楽しくなる社会」を実現したいということが心に宿っていました。
それの手段として友人の勧めもあって、政治家が適切だと思ったのです。
ぼくは政治家になることを志した時に「自分に何の知名度も無いこと」、「社会的名誉もないこと」を重々承知で挑み出しました。
知名度も名誉もないぼくがどうしたらいいのか?を考えた時に、ある人から「1000人の応援メッセージを集めて、それを選挙の際にも打ち出したらいいんじゃないのか。」というアドバイスを頂きまして、ぼくはそれに深く感動したのです。
ちょうど渋谷区の区議会議員選で当選するには1200、1300票程度を集めれば当選できます。
ぼくはすぐに「1000人の応援メッセージプロジェクト」を立ち上げて一昨年の6月より活動を開始しました。
そして月間に150人以上の人々に会い続けて初対面の方にも「自分が政治家になりたいという想い」を語り、どんどん応援メッセージを頂いていきました。
それが600人以上にも達した一昨年の12月末。
ぼくは自分が「政治家に向いていない」と自覚される出来事がありました。
ぼく自身は政治から社会をどんどん面白くできると考えていましたが、それがどうやら違うのではないかというようなことです。
ぼくはそれを自覚した時に、恐くなりました。
もし、「ぼくが政治家になれたとしても自分の描きたいビジョンが実現できないのではないか」。
というか、「ぼくはそもそも政治家を目指すべき人間ではないのではないか」。という確信に近い疑問符がぼくに押し寄せたのです。
それに気づいてからというモノ、ぼくは夜も眠れなくなり、生きた心地がしないような気分をずっと味わっていました。
それを隠し続けて活動を続けましたが、自分の中ではすでに答えが出ていました。
しかし、「その答えを出した瞬間」に今まで出会ってぼくを応援したいとメッセージをわざわざ書いてくださった方やぼくに様々な支援をしてくれた皆さんの気持ちを完全に裏切ることになります。
そのことを考えるともう自分がどうしていいか分からなくなり、はっきり言って自暴自棄になりました。
「自分がこの世から消えていなくなればいいのに」
ぼくはそう心から考えました。
そして、本当に自分の存在を消したいと思いました。ただそうは言っても両親には最後に会いたいと思うわけで、唐突にアポもなく石川県の実家に帰りました。
両親は急過ぎるぼくの帰郷に驚いていましたが、「ちょっと活動に疲れたから、休むために帰ってきた」と説明すると、快く迎い入れてくれました。
そして、実家で一泊してから、ぼくは福岡行きのバスのチケットを買いました。
ぼくはどうせ自分の存在を消すなら、最後に自分の大好きな人の故郷を見てみたいと思ったので福岡を選んだのです。
そして、両親には「東京に帰る」と嘘をつき、父に最寄駅まで送ってもらいました。
その時に、ぼくは父にある質問をしました。
それは「ぼくみたいな面倒臭い息子を産んで後悔してるだろ?」というモノでした。
ぼくはその時に父に「後悔してる」、「後悔してない」どちらで言われても納得出来る気持ちでいました。
後悔してると言われれば怒りで行動の材料になるし、後悔してないと言われても嬉しさで納得して事を運ぶことができます。
しかし、父がぼくに言ったのは予想外のモノでした。
父は「まだ分からない」と答えたのです。
後悔してるかも、後悔してないかも「まだ分からない。」
それは今後のぼくの行いによって改善する余地があるという「未来」に結びつける言葉です。
それを言われた時にぼくは動揺して「今、自分が死んではいけないのではないか。まだやり直せるのではないか。」という気持ちがよぎりました。
しかし、ぼくには「自分で存在を失くそうと決めたのだから、それではいけない。」というもう一人の自分もいて、もう気持ちがワケが分からなくなりました。
そして、気持ちがワケが分からなくなった時に、ぼくはフェイスブックに謎の書き込みを残したのです。
それが以下です。
「最悪の人間です。」
ワタシは最悪の人間です。
ワタシはみなさんの多大な想いを裏切ります。
もうみなさんの前に現れることもありません。
ワタシと出会った人々みなさんに伝えたいです。
こんなワタシを決して許さないでください。
ワタシは最悪な人間です。
数少ない親愛なる友人へ。
ワタシのことは忘れてください。
ぼくはこの書き込みを残した理由が今でもよく分かりません。
ただ、一つだけあるのは、ぼくはこの書き込みを残すことで「どれだけの人がぼくを必要としているのか」を感じたかったのかもしれません。
このどうしようもない書き込みを残した時に100件以上の連絡がフェイスブックのコメントやメッセージ、LINEなどで舞い込みました。
ぼくはそれを確認した瞬間に罪悪感で押しつぶされそうになりました。
「とんでもないことをしてしまった」
友人、知人のどの文章にも返信することができずにいる時に、ある有名炎上芸人の方から文章ではないモノが届いたのです。
それは音楽でした。
曲名はひょっこりひょうたん島の「ドンガバチョの未来を信じずる唄」。
ぼくはこの短い歌の歌詞に感動してしまいました。
そして、思わず「イイ曲ですね」と返信を返したのです。
すると、その炎上芸人の方から「何があったの?( ^ ^ )」と満面の笑みで聞かれて電話することになりました。
そこで事の経緯をお話しすると、彼は「人には向き不向きがあるんだ。ぼくも違うと思った時があってその時は勇気を持ってその道から方向転換してきた。宮森くんの場合も今回はそれが政治家だったんじゃないかな。」とお話してくれました。
そして、「自分自身では何が向いているのかよく分からなかったりする。一回自分の信用する人の言葉を真に受けて信じてやってみたらいいんじゃないかな。自分が最初は『何それ?』と思ってもそれに突き進んでいって周囲から褒められると、意外とハマったりするものだよ。」というアドバイスを頂きました。
ぼくはもう自分には何も残されていないと思ったので、その言葉を信じようと思いました。
そして、福岡の先輩にも大変お世話になって、どうにか自分を取り戻し福岡から東京に帰りました。
そこからお世話になったみなさんに自分ができる目一杯の謝罪をして自分が政治家にならないことに対してのお詫びをしました。
そのお詫びの際に、ある起業家の方から「決して惨めになるな」、「ぼくたちのような存在は暗闇の中でもがくしかないないんだ」と言葉をかけてもらったことでぼくは救われた気持ちになりました。
謝罪をし終えたぼくは、炎上芸人の方のアドバイスに従い、信用できる友人の「ブロガーになったらいいんじゃない?」という言葉を真に受けて、本当にブロガーになりました。
東京では「もう居場所がない」と思って実家の石川県に帰り、引きこもってブログを書き続けました。
その間、両親とも激しい喧嘩したし、ブログで炎上もしたし、ネット上で彼女募集するとかワケのわからないことして結局、たくさん記事読まれたのに一人からも応募なかったり、ブロガーのコミュニティーを作ったり、孤独で何度も人生が嫌になって、それをアイドルのA子さんに救ってもらったり、突発的にテレビ出たいとブログで書いたら本当にテレビで取材されたり、と様々な経験をしました。
そして、ぼくは実家の田舎で引きこもっていることに刺激のなさを感じてそれが限界に達し、現在また性懲りもなく東京に戻り、大変お世話になってる社長さん宅に住まわせてもらいながらブログ活動を行っています。
この一年間はぼくにとって「罪悪感」でした。
自分がたくさんの方の期待を裏切って、それでもこうやって自分勝手に生きてしまっていることにどこか後ろめたさを感じながらも、それでも自分は生きていかねばならない。
それがぼくの創作意欲の源泉にあります。
だから、多くのブロガーは「ブログを開始して一年が経ったこと」を報告記事で書きますが、ぼくの場合は「政治家になることから逃げて1年」になってしまいます。
ぼくの人生は政治家から逃げた前、後で完全に違っています。
ブログを開始してからぼくには多くの出会いがあって、政治家になろうとしていた時と同様にたくさんの方からの支援を受けて生かさせてもらっています。
ブログを始めて1年で、本当に良くも悪くも興味深い経験をしました。
それはぼくにとってとても価値あるモノです。
ぼくは政治家から逃げましたが、自分の実現したいビジョンは全く変わっていません。
「社会を面白くしたい」、「人々がもっと生きてるのが楽しくなる社会」を築きたい。
そのためにぼくはメディア発信からできることをやっていきます。
ぼくは「ブログが向いているんじゃないか」ということをやっとこの一年を通して実感してきました。
ぼくは自分が今後どんな人間になるかも自分でもよく分かっていません。
ただ、こんな恥さらしのことを侵した自分だから、只じゃ終わりたくないのです。
ぼくは自分のできることで社会にたくさんの価値創出をしたいのです。
そして、ぼくのように何かあって死にたくなった人が、「意外と生きてれば、楽しいかも」と思えるような社会を実現したい。
ぼくは本当に自殺に関して、マジでやめてほしいとおもってます。
ぼくも一度自殺を真剣に考えた人間として、生きてれば自分次第で現実は変わるのです。
そして、そんな「負のオーラを持った人の方が実は可能性があるんじゃないか」とこの1年間で実感しています。
暗闇の中でもがいてる人間は普通じゃ想像できないようなパワーを発揮出来る人間がたくさんいるんじゃないかと。
ぼくは父親の一言で今、こうやって生かさせてもらってます。
父親はぼくを生んだことに対して、良かったかどうか「まだ分からない」と言いました。
できれば、それが「こんな息子でも産んで良かった」と思えるようにこれからもブログを主軸に活動していきます。
ぼくにどんなことができるのか自分でもよく分かってませんが、ある程度のメディア力がつけば面白いことができるんじゃないかと。
2016年はお陰さまで様々な媒体の皆さんから声をかけていただいているので自分の可能性を広げていく気配があります。
ここからぼくはもっともっと成長していくので、どうぞ見ていてください。
ぼくは自分が生かさせてもらってるという気しかしないので、社会のためにこの命をどんどん使っていきたいのです。
ぼくのように精神的にどん底に落ちてしまった人が救われるようにこのブログも発信していきますよ。
どうか見ていてください。
ぼくに力をくれたみなさん全員に感謝します。
今も2日に1回は死にたくなれるけれどぼくは生き続けます。全力で。
わっしょい!