朝日杯決勝は羽生が勝利して朝日杯三連覇を遂げた。
後手の羽生が急戦矢倉でやや古い形を採用したのだが、それについて感想戦において二人で次のような会話がかわしたそうである。
森内九段「羽生さんの本に書いてあったと思うんですけど、思い出せなかったですね」 羽生名人「よく覚えていません」
とても和やかな雰囲気だったようだが、素人なりに調べてみると羽生の恐ろしい勝負術が明らかになった。
急戦矢倉については、渡辺と羽生が永世竜王をかけた竜王で画期的な変化があった。
まず、第六局において、先手羽生後手渡辺で急戦矢倉になった際に、△5五歩▲同歩▲同角と進んだ場合に、朝日杯では▲2五歩としたわけだが、ここで▲7九角とするのも有力である。
そして、羽生の「変わりゆく現代将棋」でもこの順に触れられていて、その時点の羽生の研究では先手が指せるという結論になっている。
ところが、この▲7九角に対しては、竜王戦で渡辺がその後手順が進んでの△3一玉という新手を披露。そしてこの手がうまく行って後手が快勝したのである。つまり、羽生の本で急戦矢倉に対する結論とされていた▲7九角で先手良しというのを渡辺が当時覆したわけである。
それを受けての竜王戦第七局でも、先手羽生後手渡辺の急戦矢倉になり、羽生は▲7九角ではなく▲2五歩とした。
それに対して従来は羽生が朝日杯で指した△5四銀が定跡だったのを渡辺が△3三銀としたのが第二の新手で、以下伝説の激戦になったものの結果的には渡辺が制して永世竜王を獲得したわけである。
とにかく、この△3三銀新手が有効であることは認められて、その後も研究が重ねられている。急戦矢倉における最新のテーマでありつづけているはずだ。
ところが、羽生は朝日杯でその渡辺新手でなく従来の△5四銀をぶつけてきた。
そして、私が積ん読になって神棚に飾ってあるだけの「変わりゆく現代将棋」を調べてみると、この▲2五歩△5四銀、さらに進んで朝日杯で森内が▲5九飛としたところで普通に▲2五桂とする変化についても詳述されている。
結論だけ言うと、羽生の本では、様々な変化について「先手が好んで飛び込む変化とは思えない」などとして最後に「先手があまりうまくいかなかった」と書かれているのである!
この▲2五桂以外の変化についても、△5四銀が有力だと述べていて、だから羽生は▲2五歩では▲7九角とすべきで、それなら先手が指せるという本の構成結論になっているのである。
分かりにくいので再度まとめると、
1. △5五角の時に、▲7九角が最有力だったが、それが渡辺の△3一玉新手により後手も指せる事が分かった。
2. 従って、5五角の時に▲2五歩が見直されたが、それにも渡辺の△3三銀という新手が出て後手も指せる事が分かった。
3. その後研究は進んでいるが基本的には渡辺新手をめぐる究明が中心になっていた。
4. しかし、そもそも羽生自身は「変わりゆく現代将棋」で、▲2五歩に対しては△5四銀でも後手が指せるという研究認識をしていた。

つまり、最新研究だけしていると4の部分がエアポケットになるという事だ。
それを朝日杯というきわめて短時間の将棋で羽生は採用して、いきなり森内に対応を求めたわけである。
中継を見ていたら、羽生が△5三銀で急戦矢倉の意思表示をした際に、森内が手で顔を覆って「まいったな」という感じであるようにも見えた。
森内は事前の準備が徹底的なので、矢倉の先手についてもきちんと準備をしていたはずだ。しかし、多分急戦矢倉は想定していなかっただろう。
同じ朝日杯で去年も決勝で羽生が意表の先手中飛車にして、後手の渡辺が愕然とする様子が映し出されていた。羽生は恐ろしい勝負師なのである。
さて、冒頭の二人の会話はのどかめいているが、勝手読みすると実は恐ろしい。
森内は定跡の▲2五桂でなく▲5九飛とする際に、あの短時間の将棋では異例ともいってよい大長考をしている。
「羽生さんの本を思い出していました」は冗談めかしているが、ある程度本当で、▲2五桂に対しては羽生が後手で指せると書いていたのを森内は驚異的な記憶力で思い出してしまったのではないだろうか。そして、実際に読みをいれても▲2五桂ではなかなかうまくいかない事がわかった。そして、苦心した上で▲5九飛と変化した。だが、実戦ではあまりうまくいかなかったようである。
一歩、羽生が「よく覚えていません」というのは、さすがに自分の本についてはありえなくて、以上のような緻密な計算のもとに△5四銀をぶつけてきたのではないかと思う。
以上、全て素人の勝手な推論なので間違いの可能性の方が大きいような気もするが、少なくともこのようなバックグラウンドがあることだけは言えるのではないかと思うのだが。