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【国際】

「強制収容」NYでミュージカル 日系俳優 ルーツに思い

 【ニューヨーク=北島忠輔】米映画「スタートレック」で知られる日系米国人俳優のジョージ・タケイさん(78)が、自らの強制収容体験を描いたミュージカル作品に託して「歴史から学ぶ」というメッセージを発信している。テロの恐怖を背景とするイスラム排斥の動きが広がっていることに強い危機感を持つタケイさんは、日本でも作品を上演、思いを伝える夢を膨らませる。

 ニューヨーク・ブロードウェーで十四日、最終日を迎える「アレジャンス(忠誠)」は、第二次大戦中の日系人収容所が舞台。強制収容に反対する姉と米軍に加わる決意をした弟を通し、引き裂かれる家族を描いた。

 タケイさんは今の日本の姿について「戦争放棄を定めた日本国憲法第九条を改めることは、戦前の考え方に逆戻りすることのように思える」と指摘。「民主主義は間違いも犯すが、ただす力もある。それは国民が自由や平等、平和などの理想を大切にできるかどうかだ」と訴える。

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 日本と米国が戦争中だった一九四二年五月、日本人の父と祖父母を持つ少年が家族とともにロサンゼルスを後にした。行き先は、日系人の強制収容所。寝食も不自由な暮らしが待っていた。

 その日早朝、当時五歳のタケイ少年は突然、父親に起こされた。「長い休みに出かけるぞ」。外には銃を持った米兵が二人。妹を抱いた母は反対の手にかばんを持ち、ほほには涙が流れていた。

 開戦から五カ月が過ぎ、米国は西部に住む日系人約十二万人を「敵性外国人」として全米各地の収容所に送り込んだ。タケイさんは一家が送られたアーカンソー州ローワー収容所の風景をはっきりと覚えている。

 「収容所は有刺鉄線に囲まれ、部屋は馬小屋のようだった。銃を持った米兵が見張り、夜中にトイレに行く時も照明が追い掛けてきた。臭い食事、集団でのシャワー。そんな毎日が私たちの日常だった」

 翌四三年、米政府は質問書を配った。「米軍に入って戦地に赴くか」「天皇への忠誠を捨て、米国に忠誠を誓うか」という問いに両親は「ノー」と答えた。政府は一家を「不忠誠組」としてカリフォルニア州トゥーリーレーク収容所に隔離し、監視した。

 戦争が終わると、一家はロスに戻り、貧困街で無一文から暮らし始める。

 「差別は続いた。学校では『チビのジャップ』とののしられた。授業中に手を挙げても、教員は『ほかに誰かいないの』とあからさまに無視した」

 なぜ差別を受けるのか。タケイさんの疑問は、米国が掲げる理想への関心に転じた。「すべての国民は自由、平等で、幸福を追求する権利がある」。中高生のころ、毎晩のように話した父は「民主主義には素晴らしい可能性があるが、間違いも犯す」と説いた。

 米政府は八八年、日系米国人に謝罪した。だが、タケイさんは今、危機感を持っている。「メキシコ人は女性暴行犯」「イスラム教徒はテロリスト」と移民排斥を訴え、共和党から秋の大統領選出馬を目指すトランプ氏が支持を得ているからだ。

 「米国の危ない側面が顔を出している。テロへの不安などを理由に、特定の民族グループを攻撃する過ちを繰り返さないためには、歴史を知ることだ。経験者の私たちには伝える使命がある」 (ニューヨーク・北島忠輔)

<ジョージ・タケイ> 1937年、ロサンゼルス生まれ。5歳だった42年から約3年間、家族とともにアーカンソー州やカリフォルニア州の日系人強制収容所で暮らした。大学で演劇を学んで俳優となり、米人気SFドラマ「スタートレック」でヒカル・スールー(日本放映時はカトー)役を演じて人気を博した。2005年には同性愛者であることを公表し、差別撤廃の活動にも取り組んでいる。

 

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