日本酒の「注ぎこぼし」を不潔だし、繊細な日本酒にかわいそうだからやめませんか?という提案を聞いた件。
獺祭の話題の続きです。2/26の獺祭飲みまくりイベントでは、全ての獺祭がワイングラスの形状のガラスの専用グラスで供されました。先日のブログでも簡単に触れたのですが、気になったので、追跡調査を。
なぜワイングラスがよいかと、といえば、一つは味覚の問題。これは、先のブログで触れたように、舌先で味わいを感じられるから。で、もう一つの問題は衛生面。
この衛生面が気になりましたので、今日は衛生面からの続報です。
まず、いくつかのブログを発見。獺祭(旭酒造)の桜井社長が「注ぎこぼし」反対!と訴え、グラスを提案している、といった内容。
注ぎここぼしとは、一合升の中にグラスを入れて日本酒を注ぎ、グラスから溢れさせるような方法。一合升を使わず、小皿にグラスを置いて溢れさせるとか、もうなんだかわからない器にサイズ不明のグラスや茶碗を置いて溢れさせるとか、とにかく、「豪放磊落」な感じはありますが、あれをやめませんか?という話です。
以下、ブログから引用させていただきます。
【やまもとようこさんのブログから】リンクはコチラ。
なにがイヤかといいますと、枡が不潔! 使い捨てならわかりますが、四隅がきれいに洗われていません。しかもその枡が安い漆塗り風の枡だったりすると、すでに周囲がべたついていることもあります。そして皿が汚い。いろんな匂いがついています。専用に洗うわけがありません。そんな皿にこぼされた酒がどうして飲めましょう。
皿や枡に入ったグラスの底が信頼ならない。そのグラス、机や棚に今まで置いてなかった? 汚い底にくっついた酒を飲ませるの?
<途中略>
これじゃあ、丁寧につくられた繊細なお酒は浮かばれません。
だいたいがケチくさい発想から始まった妙なスタイル。その発想、味を大切にするワインの世界じゃありえません。
こぼし酒(怒)撲滅運動!推進中!
旭酒造の営業部長も同じような話をなさっていたのですが、こうやって文章で読むと迫力あります。
考えてみたら、升にグラスを入れているのは、お店の人で、そのグラスをお店の人は触っていて、その触られた部分に日本酒が流れているわけですし、升の四隅は綺麗じゃないと言われたら、「そーいわれいたらそうだ」としか言いようがない。
溢れさせて「たっぷり飲ませてくれる」という印象を与えるかも知れないけれど、清潔ではないだけでなく、「丁寧に作られた繊細なお酒は浮かばれ」ないとは、本当にそうですね。
ワインでこんなことしませんよね。ワインをグラスから溢れさせたら、「おおお、なんてことしてくれるんだ!」と田崎さんがまっさきに飛んで来そうです。(デイリーワインだとしても溢れさせる飲み方はしない。文化の違いもありますが)
獺祭二割三分なんて、もうワインみたいなんですよ(という表現はちと獺祭に失礼かもしれません、ワインじゃなくて、日本酒なので)。お米を磨きまくっての二割三分。かけつけ一杯で呑んだら、すーっと口の中に胃の中に流れて行って、一瞬、「ワイン?」などと隣同士で語ってしまったほど。
そんな繊細なお酒をグラスから溢れさせ、清潔かどうかもわからない升に入れて飲むなんて・・・。確かに、確かに!
もう一つのブログでも、この「注ぎこぼし」について。
【蔵元日記(旭酒造のブログかな、これ)】リンクはコチラ。
「あのグラスからこぼれるところが良いんだよ。儲かった気がして。あれぞ、男のロマン」なんて返事。 何が「男のロマン」だ。第一、大の男が酒を注いでくれるお店の人の手元を睨みながら、少しでもたくさん注げと念じている姿なんて、いじましいだけ。
そう、あれ、実は一合ないこともあるみたいですね。計測してませんしね。
男のロマンも大事だけれど、清潔に、そして、美しく楽しく飲むというのも大切ですねぇ。
この件、「逆さ箸は駄目」について報告したワタクシとしては、「清潔物件」としての第二弾です。
旭酒造のマワシモノではありません。が、深く深く感じ入ることがあったので、再び詳説致した次第でございます。
【90mlの位置に★マークがついている獺祭の日本酒グラス】
「逆さ箸」と「注ぎこぼし(こぼし酒)」。両方とも今後の動向を見守りたい物件です。
なお、お店のやり方でそうするとしても、客が「溢れさせないでください」と言えばよいんですね。確かにね。
コメント
あとり
注ぎこぼしについては、コップ酒前提のルールですからそもそも上品さとか繊細な味が云々という世界のものではないような気がしますけども。
お酒のランクによって対応変えましょうというような感じではないでしょうか。
ワインだって、テーブルワインと銘柄のワインが同じ扱いではないでしょう。
でもなんでそこでワイングラスなんでしょう。
日本の酒器をすすめて欲しい気がしますが、ぐい飲みを使うにも「お銚子が洗い難いので汚い」になるんでしょうかね。
hiro
確かにおっしゃる通りだと思います。
でもお店だと、あふれさせる前提のグラスの大きさ(小さい!)だったりするので、「溢れさせないで下さい」と頼むとだいぶ損してしまいそうですね。。
だったら「溢れないグラスに変えて下さい」といえるような雰囲気の店に行け、と(not安居酒屋)
やまりょ
あまり気にしたことはありませんでしたが、衛生面で不潔と考える人もいるのですね。
ワイングラスは、器として色や香りを確認しやすく試飲会などで利用するのは良い案だとは思いますが。
ただ、自分が使いたいかといえば全く思いません。
高級レストランに行って飲むならまだしも、居酒屋や仲間と家や祭りで飲むときにワイングラスみたいな持ちづらく壊れやすい器は使えません。
この記事における日本酒は、襟を正して、香を楽しみ、ワインと勘違いしながら飲むものをいっているのなら納得ですが。
TanakaJunko
あとりさん:お酒のランクや店の雰囲気などで変えましょう、なんだと思います。獺祭はこういう風に飲んでね、という提案だそうです(って、メーカーの者ではありませんけれどw)。
hiroさん:ちゃんと大きいグラスやカップでお願いします、と言ってみるというのもチャレンジですね。酔っぱらった勢いでなら言えるかも、です。(私の場合)
やまりょさん:グラスは獺祭の飲み方としての提案と理解しました。実際には、居酒屋などではグラスはステムがあるので、敬遠されやすいといったお話もなさっていました。これはこれでわかります。
urusitohinoki
漆も桧も抗菌効果があるとされていますが。
stoikheia
ワインもフランスの居酒屋では皿敷いて注ぎこぼしやるよ。
庶民の(貧乏臭い)飲み方。
日本酒の場合、そこそこお高い店でもやっている文化的背景が謎。
kart
注ぎ方としては自分も苦手です。濡れたグラスを持つことも苦手なことの一つですし、どうしても日本酒はべとつき気味ですし。自分はこぼさないでくださいと言えずに、お猪口で飲みたいので徳利に入れてくださいと、頼むことがあります。徳利には結構ぬる燗対応で慣れていたりするのかスムーズに対応してくれることが多いような気がします。コップで酒を飲むこと自体は持ちやすく気軽ですし適度なグラス開口具合で香りも楽しめて好きです。
TanakaJunko
urusitohinokiさん:抗菌作用があるものなんですね。なるほど。
stoikheiaさん: お店の格?や出すお酒のランクなどでサービスの仕方を変えていくというのはもちろん食文化のあり方だと思います。なんでもお箸でいただくわけでもないですし、手づかみ食だってあるわけですし。ありがとうございます。
kartさん:獺祭のワイングラス推奨は、大吟醸という商品の質に関係しているというお話でした。香りも楽しくためにあの口のグラスが向いていると、試行錯誤の末、といったことだったように記憶しています。
NIPPON
量については同意。
衛生面については、外で見ず知らずのものに給仕されることに対して、いまさら何を期待するのか?と。それを気にするなら、大気中では食事が出来ませんね。
よく知る造り酒屋さん(売り切れごめんでなかなか買えないが)は「好きに飲んでくれていいよ。売る側がしのごの言うもんじゃない。」という意見。こういうことを売る側が言うのは、ビジネスとしてビッグバジェットを求めてるのかもしれないが、非常にうさんくさい。黙ってても売れるもんを作れば、それでいいよ。
もっきりの文化は西日本にないのかヤシ。
東日本にはワイングラスに銘柄を彫り付けるセンスは欲しくないヤシ。
お銚子がカラになったからといって、外国人の前で横に倒すとケンカをふっかける合図だと承知の上でやるのも、バルの床がゴミだらけで不衛生にみえるのも承知ヤシ。
わこ
こういう意見が出てくるって事は日本酒を嗜む層が広がったって事で悪い事では無いと思います。
なんでこんな様式になったかと言えばおそらく元々日本酒が「衛生とか関係無いから!豪快なのは良し!」という感覚の男性が消費の主体だったからで、けど、もっと広くの層に日本酒を広めたい、と業界が考え、取り組み、成功したからこそ出て来た問題なのかも知れません。
そうなのなら、女性や繊細な人にも日本酒を好きになって欲しいと考えるのなら、真摯に取り組まないといけない課題ですし、しかし元々の「注ぎこぼし」を好む男性を無視するわけにもいかないので、上に出て来た「住み分け」というのが最良なのでしょうね。
TanakaJunko
NIPPONさん:コメントありがとうございます。外食は確かにそういうものではありますね。
あげひと知らずさん:コメントありがとうございます。
TanakaJunko
わこさん:いろいろな飲み方提案をすると、日本酒人口が増えるということはあるのかな、と。スミワケなんでしょうね。
telemok
獺祭はとてもおいしくて好きですが、一つの食文化を「いじましい」とまで貶める姿勢は好きになれませんね。
miho
お好きにどうぞ、という感じですが、
なんだかワインは高潔ですばらしい、という先入観から語っていらっしゃるように感じてしまいます。
獺祭は確かにいいお酒です。
華やか系の代表ともいえる(sorry これも先入観かもしれません)お酒ですね。
香りを楽しむお酒であれば、ワイングラスもあり、だと思います。
でも、日本酒って、そういうお酒だけではないです。
一升2000円のお酒でも、美味しいものはたくさんあります。
雑味が魅力になっているものも多いと思います。
楽しく飲んで、そして酔って、が、日本の酒飲み文化のように思います。
ご指摘の飲み方も、そんな中で培われてきたのではないでしょうか。
一概に片付けてしまうのは、どうも、腑に落ちません。
いかがですか?
TanakaJunko
mihoさん: コメントありがとうございます。コメントのほうで書いたので、この件もお伝えした気持ちになっていたのですが、言葉足らずで失礼しました。ケースバイケース、その時々、なのだろう、と思っています。
通りすがりの中年男
ワイングラスで飲んで欲しい人、飲みたい人は
そう言えば良いし
不衛生だと思う人はそれでも宜しいのでは?とも思います。が、
私自身は升から御酒呑んでも、手水の柄杓で口をゆすいでも
公衆厠の洋式を使っても、お祭り屋台で食べ物を頂いても
一度も病気になった事が無いので
今までに不潔、と思ったことはありませんでした。
「こぼれ酒」は文化だったり庶民の楽しみなのかなと考えていました。
入れ物によって飲食物の味が変わって感じる事は承知していましたが
不潔で貧乏臭いと感じる人もいらっしゃるのだと気付かせて頂き
他人への気遣いを改めて見直す上で、とても参考になりました。
私個人のもう一方の本音
海外へ発信するのに上品気取るのは商売上仕方ないかもしれねぇが
粋と人情を置き去りにしたら、そりゃ「日本酒」じゃねぇだろ?
てやんでぇ!どぶろくはワイングラスじゃ飲めねぇぜ!
って感じです(笑) …話が段々それてしまいましたね。
いまさらの書き込み&長文、失礼致しました。
通りすがり
メーカーが商品の一つの利用方法を一概に批判している様は
飲食店が客に喋るな!とか綺麗に食え!とか言っているのと同じように見えます
升が汚い店はグラスや徳利の扱いもどうかと思いますがいかがでしょうかね
食器をしっかり管理しているお店(お客様)としては迷惑な運動でしょうね
作り手としては優秀なのでしょうが
人間性としてはどうなんでしょうか?
飲み方を批判したりせず
提案にとどめておけば問題ないと思うのですが
驚いた
「もっきり」ですね。長州にこてんぱにやられた東北地方(特に南部)の文化だと思います。びんぼ~な東北地方ですから、「お金がないけどお酒は飲みたい。」「お酒を飲みたい人には飲ませてあげたい(といっても商売の範囲内で)。」の妙。もともとはお酒屋さんで日本酒を「もっきりで」販売して、そこでそのまま飲んじゃうという形だったときいたことがあります。一種の文化なので、「鯨を食べるなんて残酷」と言ってるような印象を受けますね、ちょっと獺祭さんに幻滅。私は東京出身で、今は東北在住ですが、日本酒を出す居酒屋さんでも、メニューに「もっきり」「グラス」等で選べる(お値段も違う)ところが多いかと思います。びんぼ~な人もお酒を楽しみたいのですよ。異文化交流と思ってお互い受け入れる懐の広さが必要かな。
ゆういち
既出ですが・・
他者をこきおろしては逆効果ではないでしょうか。
共感が得られないと思います。
匿名
結論を一言で言うと、視野狭窄です。
ワイングラスの件は、きちんとしたワイングラスはワインを味わうのに最適化された形状である。ボルドーやブルゴーニュ等で形状が違うのにも意味があるという内容の番組をNHKで見ました。
おそらく、自社の酒をより良く味わう為の創意工夫をそのレベルでされていらっしゃるのでしょう。
獺祭は美味しいです。そして、あの会社はマーケティングが上手いのです。経営層がしっかりしているのでしょう。
ワイングラスの提案も、自社のブランディングで、他社の”大衆向け醸造酒とは違う”のである。と住み分けをすすめているのだと思われます。
ただ、世の中の多くの方は、毎日の晩酌に純米大吟醸を飲まないでしょう。大衆向醸造酒です。
雪が降って寒かったら熱燗を一杯引っ掛けたり、会社帰りの一杯を獺祭をグラスで。ちょっとイメージできませんよね。
山口県は雪国ではないのでしょう。東北の日本酒は雪と密接な関係にあります。
そのように様々な背景があり、今まで育まれた文化を
不潔だし、日本酒は繊細だからかわいそう。という全くの主観的な理由で切り捨てるのは、ただただ視野狭窄です。
最期に、もっきりは文化の一面でもあります。
このケースだけに限りませんが、自分のスタイルにそぐわないという理由で、安易に"撲滅"という極論を出された引用元の方、その人間性は容易に見破れます。そうです原理主義ですね。そのような方を参考にされるのはおやめになられたほうが良いかと思います。