情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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16-02-14 22:55

[][]ビッグコミックスペリオールの「チェイサー」に漫画サンデーの事が出て来たんで1967年当時とその少し後について解説する ビッグコミックスペリオールの「チェイサー」に漫画サンデーの事が出て来たんで1967年当時とその少し後について解説するを含むブックマーク ビッグコミックスペリオールの「チェイサー」に漫画サンデーの事が出て来たんで1967年当時とその少し後について解説するのブックマークコメント




 ビッグコミックスペリオールで連載中の、チェイサー@コージィ城倉、面白いですねー。

 手塚治虫の影を追う漫画家を主人公に、当時の世情、漫画、アニメ状況やなんかも描かれています。

 チェイサー 1 (ビッグコミックス) チェイサー 3 (ビッグコミックス)



 で、金曜日に出たスペリオールに掲載された22話は1967年の話。手塚治虫が漫画サンデー(マンサン)に描いている、というのが出て来ます。

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 海徳は、「文春が出した「漫画読本」でおとな漫画をチラッと描いとった」

 と言ってますが、実は漫画サンデーでは1963年頃から散発的に手塚作品が掲載されていました。

 それらは読切や短期作品だったので、本格的な連載を持ったのが「人間ども集まれ!」だったんですね。


 漫画集団は、戦前・戦中世代の作家がメインで、手塚も当時は大正生まれと称していたあたりから、仲間とみなされていたのもあったのかなあと。

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 ちなみに「人間ども集まれ!」は、単行本化時に大幅な修正が行われたため、1999年に出た「完全版」で雑誌掲載バージョンが再録されるまではある意味違った作品でもありました。

 f:id:soorce:20160214224953j:image 人間ども集まれ!



 「おとな漫画のタッチ」と言われているのは、シンプルな線、トーンやベタをほぼ使わない、コマノンブルがある、といったあたりでしょうか。

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 また、フキダシ内の文字が写植を使わない、手描きであるというのも大きな特徴です。



 マンサンでの手塚作品はこんな感じですね。

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 この1967年当時のマンサン掲載作品はこんなん。

 小説の梶山季之、海外漫画のアイ・シゴー以外は全員漫画集団のメンバーです。



痴漢の愛鈴木義司
おそくなってゴメンネ馬場のぼる
かわいそうなオマ江やなせたかし
人間ども集まれ!手塚治虫
日本のかあちゃん小島功
忍術武士道荻原賢次
CC女史横山泰三
おミスさん西川辰美
すましちゃいられない岡部冬彦
まっかな泥棒馬場のぼる
ポンコツおやじ富永一朗
ペエペエのペエスケ鈴木義司
ギャートルズ園山俊二
ドボン氏福地泡介
グラマーのロラアイ・シゴー
一匹狼の唄(小説)梶山季之
図解 淑女の見本杉浦幸雄・岡部冬彦


 小島功、杉浦幸雄、富永一朗など、現在ではあまり認識されていない大人漫画家がメインだったんですね。

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 そして、おとな漫画にストーリーを持ち込んだ、というのは確かで、漫画サンデーの場合もう少し後の1969年頃から「長編」*1作品(藤子不二雄A「黒いせえるすまん」、赤塚不二夫天才バカボンのおやじ」、水木しげる「コカケキイキイ」)が増えはじめます。

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 その後マンサンは1971年に大きく「劇画」方向に変更。「革命家シリーズとして下記作品が掲載されました。(「マホメット」のみ未単行本化)

 劇画毛沢東伝 20世紀の狂気 ヒットラー 他 (水木しげる漫画大全集) f:id:soorce:20160214224309j:image f:id:soorce:20160214224308p:image f:id:soorce:20160214224302j:image



 団塊世代の台頭もあったのは確かでしょうが、おとな漫画雑誌の読者に、ストーリー漫画を読ませるようになった流れは、やはり手塚治虫の影響だったと言えると思うのですよね。

 それを考えると、この1967年の状況は、後に繋がる様々が見え始めていたのかな、とも。


 といったところで今回はここまで。



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*1:といいつつ16Pとかなんだけど

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