清原容疑者逮捕 桑田氏「関わらないでくれと言われ3年になる」
02/04 17:55
かつて甲子園を沸かせた「KKコンビ」。何が、清原和博容疑者(48)を変えてしまったのか。盟友だけが知る2人の秘密が明らかになった。
4日午前、野球評論家・桑田真澄氏は「スポーツマンである以上、僕はやはり暴力とドラッグっていうのは、一番遠い存在であるべきだと思う。非常に残念な思いはありますね」と話した。
かつての盟友、清原和博容疑者への無念の思いを語ったのは、PL学園時代「KKコンビ」として、共に甲子園を沸かせた桑田真澄氏。
2人の関係は3年前、清原容疑者をめぐる「あるうわさ」によって、大きく変化していた。
野球評論家・桑田真澄氏は「本当の清原和博という男を知っている1人として、心痛いうわさをよく聞いたので。聞くとすぐ電話して、『こんなうわさ流れているぞ』、『どうなってるんだ』と、(清原容疑者に)言っていたので。小言を言うので、嫌気が差したんでしょうね。『もう一切関わらないでくれ』と言われて、3年くらいになりますかね」と話した。
現役の引退後、野球界の将来についても語り合っていた2人だが、清原容疑者から突然の絶縁宣言が告げられたという。
かつての戦友を突き放した、清原容疑者。
その清原容疑者は4日、身柄を東京地検へと送られた。
衝撃の逮捕から2日。
かつて清原容疑者と同じチームでプレーした、野球解説者・デーブ大久保氏は「(清原容疑者に異変は?)全くなかったね。しゃべっていても、普通にバッティングの話。選手に教えてくれるときも全くそういう様子はなく。ただ番長になっちゃって、どうしてもこう寂しい思いをしたと思うんですよね」と話した。
何が清原容疑者を変えたのか。
その変化が見てとれるのが2015年11月、清原容疑者のブログの開設とともに投稿された動画。
動画で、清原容疑者は「皆さん、こんにちは。清原和博です。自分自身のブログで、さまざまな僕のプライベートを皆さんにご紹介していきたいなと思っております」と話していた。
2015年11月25日の清原容疑者のブログには「あえて初心に帰りたいと思います」と書かれていた。
こうして始まったブログだが、その内容からは清原容疑者の複雑な心境がにじみ出していた。
2015年11月30日のブログには「昨日は、久しぶりに息子と3人でご飯食べた。その後、ひとしきり泣いた。息子が使ってたグラブを見て、今日も1日生きよう」と書かれていた。
2015年12月5日のブログには「今年中に、もう1回だけでも3人でキャッチボールがしたい」と書かれていた。
2015年12月6日のブログには「試合前、息子のスパイクとバット磨いた。唯一、父親としてできること」と書かれていた。
ブログには離れて暮らすことになった息子たちへの思いが数多くつづられていた。
2015年12月7日のブログには「次の土曜日まで少年野球が見れないない(涙)。さみしい。今日はひざも痛い。はれている。痛み止めを飲んだ」と書かれていた。
また、地元・大阪の介護施設にいる認知症の母親については「お母さんが、会いに来てくれたんか、ありがとうと言って、手をにぎった。そして、あんたわたしの子か? 涙が出た」と書かれていた。
自身を取り巻く環境の変化に、孤独を感じていたのか。
清原容疑者が通っていた飲食店従業員は「たばこのように結構ヘビーユーザーだったというのは聞いています」と話した。
逮捕前に清原容疑者が通っていた六本木のクラブで働くホステスから、新たな証言を得ることができた。
清原容疑者が通っていた飲食店従業員は「(バッグは肌身離さず?)預けないでいました。(普通の客はカバンをどうする?)普通は預けて、番号札でって感じです。(清原容疑者は?)必ずクラッチバッグは席に持っていってました」と話した。
さらに女性は、清原容疑者と親しい従業員から覚せい剤の使用についての話も聞いたといいう。
清原容疑者が通っていた飲食店従業員は「(覚せい剤を持っていると聞いたのは)1年くらい前。バッグの中に持ってるって断言してました。(どこに持っている?)カバンの中に入ってて...。(それは常に?)たばこのように、結構ヘビーユーザーなのは聞いています」と話した。
普段から薬物をバッグに忍ばせていたのか。
警視庁は、清原容疑者が常習的に覚せい剤を使用していた可能性があるとみて、さらに調べを進めている。
4日午前、野球評論家・桑田真澄氏は「スポーツマンである以上、僕はやはり暴力とドラッグっていうのは、一番遠い存在であるべきだと思う。非常に残念な思いはありますね」と話した。
かつての盟友、清原和博容疑者への無念の思いを語ったのは、PL学園時代「KKコンビ」として、共に甲子園を沸かせた桑田真澄氏。
2人の関係は3年前、清原容疑者をめぐる「あるうわさ」によって、大きく変化していた。
野球評論家・桑田真澄氏は「本当の清原和博という男を知っている1人として、心痛いうわさをよく聞いたので。聞くとすぐ電話して、『こんなうわさ流れているぞ』、『どうなってるんだ』と、(清原容疑者に)言っていたので。小言を言うので、嫌気が差したんでしょうね。『もう一切関わらないでくれ』と言われて、3年くらいになりますかね」と話した。
現役の引退後、野球界の将来についても語り合っていた2人だが、清原容疑者から突然の絶縁宣言が告げられたという。
かつての戦友を突き放した、清原容疑者。
その清原容疑者は4日、身柄を東京地検へと送られた。
衝撃の逮捕から2日。
かつて清原容疑者と同じチームでプレーした、野球解説者・デーブ大久保氏は「(清原容疑者に異変は?)全くなかったね。しゃべっていても、普通にバッティングの話。選手に教えてくれるときも全くそういう様子はなく。ただ番長になっちゃって、どうしてもこう寂しい思いをしたと思うんですよね」と話した。
何が清原容疑者を変えたのか。
その変化が見てとれるのが2015年11月、清原容疑者のブログの開設とともに投稿された動画。
動画で、清原容疑者は「皆さん、こんにちは。清原和博です。自分自身のブログで、さまざまな僕のプライベートを皆さんにご紹介していきたいなと思っております」と話していた。
2015年11月25日の清原容疑者のブログには「あえて初心に帰りたいと思います」と書かれていた。
こうして始まったブログだが、その内容からは清原容疑者の複雑な心境がにじみ出していた。
2015年11月30日のブログには「昨日は、久しぶりに息子と3人でご飯食べた。その後、ひとしきり泣いた。息子が使ってたグラブを見て、今日も1日生きよう」と書かれていた。
2015年12月5日のブログには「今年中に、もう1回だけでも3人でキャッチボールがしたい」と書かれていた。
2015年12月6日のブログには「試合前、息子のスパイクとバット磨いた。唯一、父親としてできること」と書かれていた。
ブログには離れて暮らすことになった息子たちへの思いが数多くつづられていた。
2015年12月7日のブログには「次の土曜日まで少年野球が見れないない(涙)。さみしい。今日はひざも痛い。はれている。痛み止めを飲んだ」と書かれていた。
また、地元・大阪の介護施設にいる認知症の母親については「お母さんが、会いに来てくれたんか、ありがとうと言って、手をにぎった。そして、あんたわたしの子か? 涙が出た」と書かれていた。
自身を取り巻く環境の変化に、孤独を感じていたのか。
清原容疑者が通っていた飲食店従業員は「たばこのように結構ヘビーユーザーだったというのは聞いています」と話した。
逮捕前に清原容疑者が通っていた六本木のクラブで働くホステスから、新たな証言を得ることができた。
清原容疑者が通っていた飲食店従業員は「(バッグは肌身離さず?)預けないでいました。(普通の客はカバンをどうする?)普通は預けて、番号札でって感じです。(清原容疑者は?)必ずクラッチバッグは席に持っていってました」と話した。
さらに女性は、清原容疑者と親しい従業員から覚せい剤の使用についての話も聞いたといいう。
清原容疑者が通っていた飲食店従業員は「(覚せい剤を持っていると聞いたのは)1年くらい前。バッグの中に持ってるって断言してました。(どこに持っている?)カバンの中に入ってて...。(それは常に?)たばこのように、結構ヘビーユーザーなのは聞いています」と話した。
普段から薬物をバッグに忍ばせていたのか。
警視庁は、清原容疑者が常習的に覚せい剤を使用していた可能性があるとみて、さらに調べを進めている。
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