ブログのタイトルは25文字以内だ?そんなもんしらん(笑)
人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた。地球の周りの巨大な人工都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。 宇宙世紀0079、地球に最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この一ヶ月あまりの戦いでジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。人々はみずからの行為に恐怖した
今調べてたら機動戦士ガンダムのいわゆる「1st」の冒頭で故・永井一郎さんがナレーションするあれっていくつもパターンが有るみたいですね。今回のタイトルの分は第二話から第四話の間に使われたものにしてみました。微妙ww
死期が近いのでしょうか、昔のことをやたら振り返りたくなります(笑)今日はお風呂に入りながら「生まれて初めてガンプラを買いに行った時のこと」を思い出していました。なのでそんな話を。
えっ?ネタ切れ?まさか。
ネタなんていくらでもありまぁす(小保方さん風)そりゃ下書きは常に空っぽだし日々「あ~今日何を書こうかなあ」という感じですが困ってません。まぁあれですよ、運動と瞑想と入浴と妄想さえあればなんとでもなるという感じです。あ、写真はただの無料素材で拾いました。ネタ帳ももちろん存在しません。
機動戦士ガンダムがテレビ放映したのは1979年から1980年。小学生の低学年のころで視聴率とかも全然興味がなかったけどほぼ毎回見ていた記憶がある(こらこらこら、ネズミの妖精は年をとらないので年齢を計算してはいけない)放映が終わってからしばらくしてからドーンときたガンプラブーム。
「ガンダムのプラモデルが大ブーム」という話は聞いていたけど、近所のおもちゃ屋さんではまったく入手できないと言われ、もうこれでいいやと買ったのがアニメージ。
バトルスーツソムロ。
関節なんてまったく動かず、完成した実物は箱絵のカッコよさの1/76だった。値段は安かったけど。そんな不遇な小学生にトンデモ情報が飛び込んでくる。
「高井戸のおもちゃ屋にガンプラが売っているらしい」
あの時ほど自転車の機動力の高さを肌で感じたことはない(そんなことはない)当時住んでいたのが東京の三鷹市井の頭。井の頭線三鷹台駅で乗れば久我山、富士見ヶ丘、高井戸。たった3つの駅だし小学生でも頑張れば行ける。
友達と遊びに行くふりをして大冒険をしました。線路を見ながら道を迷わないように進み、たどり着いたのはボロボロのおもちゃ屋。
ドアを開けると本当にボロボロの店内に昔ながらのおもちゃに混じってプラモデルとかも積んである。オーナーらしい店長のおじいさんに「ガンダムのプラモデルが欲しいんです」と声をかける。
「ガンダムのプラモデルの何が欲しいんだ?」
「ド、ドムとかガンダムとか・・」
「そんなのはないぞ!ホワイトベースかザクレロしかない」
「えっ・・・」
その時の打ちひしがれ感といったら。
当時はマスターグレード版ではないのでもっともっともっとセコいプラモデルですよ、それも当時なら3つくらい買えちゃう300円。ドムかっこいいよドム。シャア専用ザクとかガンダムとかゲルググとかいっぱいカッコいいプラモデルあるのに。
ホワイトベースって 木馬ですよ木馬。かっこ良くもなんともない。つまり欲しくない。
さらにザクレロ。ザクレロってザクレロですよ?
こんなもんいらん、こんなんガンプラじゃない。でも、おもちゃ屋のオーナーはそんなしょぼくれた小学生にこんなことを言うわけ。
「ホワイトベースをな、天井から糸で釣って空中モーターをつけるとクルクル回るんだぞ、どうだ」
だ、抱き合わせ販売だ・・・。
いや、確かにあったよマブチの空中モーターって。
300円だすのも必死なのにこんなもん買えるわけ無い。でも「じゃあいらない」ってお店を出るのも怖く、せっかくここまできて手ぶらで帰るのも辛い。
「・・・・ほ、ホワイトベースだけ下さい」
この声が俗にいう「消え入りそうな声」である。
買って帰ったホワイトベースは数分で出来上がってしまう程の簡単さで組みあがり、僕の机に数ヶ月はいたと思う。でもその後吉祥寺のおもちゃ屋で「上半身、コアファイター、下半身」をドッキングできるようなRX78ガンダムを手に入れた時、本当の意味でゴミと化したのであった。
あれから数十年。何度となくガンプラを作った。シャア専用ズゴック、ザク、ゲルググ、ドム、リックドム。ギミックは巧妙となり色はカラフルとなり難易度は上がった。数日かかってつくり上げるものも出たし、飾っておいたはずが子供の手に届きバラバラ殺プラモ事件になってしまったのもあった。
でもいまだにあのガンプラの箱を開ける瞬間のワクワクは変わらないのである。
(なんかいい終わり方したコレ)
つづかない。