日光街道・幸手宿(4) 旧仲町と愛の妻路地
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【埼玉県幸手市 東武日光線・幸手駅】
幸手宿の散策編、今回は幸手宿に存在した旧仲町界隈をご案内します。
幸手宿は既に多くの人達がブログ等で紹介しておりますが、当方は旧宿場町の隅々まで歩いた様子をご紹介しています。
旧仲町
ここからは藩政時代は仲町という町域でしたが近年までは仲町と東町という町が存在していた模様 ※現在は全て幸手市中町
四ヶ町から構成されていた江戸時代の幸手宿
現在の幸手宿
日光街道・幸手宿 旧久喜町と旧仲町の町境付近(中央商店会~仲町商店会) 昔の宿場町街を北へと歩を進めます
ここには「愛の妻路地」という名前の路地道があります。
昔は路地の両側に切妻屋根が並んでおり、路地に迫り出した両隣の切妻屋根が合わさる姿から
愛の妻路地という名前が付けられたそうです。 合わさる妻→合いの妻路地→愛の妻路地
愛の妻路地は料理店などが固まる一画へと続いています
更地も多くなっていますが路地の先には料理店や夜の店などが集まる 大人が遊べる場所だから愛の妻?路地かと思っていました。
付近には立派な門扉が備わる旧家があります。 詳しい事は解りませんが塀垣には銅板が用いられるなど格式の高さを感じます。
トタンの回廊・愛の妻路地
両隣から切妻屋根が迫り出す景観は失われてしまっている。
そして愛の妻路地の対岸には「関宿道」という路地道があります。
関宿道の路地
これは千葉県の関宿へ続く古い道筋と考え間違えは無さそうです。
路地に並ぶ建物を裏手から見てみる 中央建物、座敷のような造りの二階部分が気になります。
関宿道の路地風景 道幅は大昔から変わっていないと思われる。
路地を抜け出た先は更地となっていました。
昔はここに回廊のような景観が存在していたはずです・・・今更どうにも出来ませんが建物の残る姿を一度見ておきたかったものです。
路地の先には街道と並行する幸手宿の裏通りが通っています。 また、この道筋は宿場町を囲っていた掘割り跡かと思います。
関宿道は利根川の関宿へと続く
関連記事⇒ 千葉県の最北端 消えた城下町「関宿」の現在
さて引き続き日光街道の仲町付近を見ていきましょう
肥料を扱う高浜商事の商家建築 貫禄のこの建物は昭和9年(1934)に建てられた物とのことです。
側面から見てみる 建物の規模は説明不要、旧時の隆盛ぶりが伝わってきますね
角田屋(関家)の見世は幸手では珍しい白漆喰の塗り込め 面被りが残念ですが明治13年(1880)頃の建築とのこと
表通りに立ち並ぶ商店群は間口こそ狭いですが奥行きはご覧の通りです。
街道の東側に小さな路地がありますので少し歩いて見ましょう
路地には仕出し屋さんや小料理店などの飲食店などが並ぶ
路地を潜り抜けると先程歩いた裏通りに出ます ここだけ道はR形状となっていますね、昔はここに池のような物があったのでしょうか
幸手市のガイドマップを見ると江戸時代に幸手宿一の豪商と謳われた長島屋(青木家)は、当時この付近にあったと記されています。
長島屋は幸手宿の経済を動かす程の力を持った大商家でしたが、明治時代に何らかの理由で破綻する羽目に陥り消滅しています。
当時何が起こったのか興味があります。 長島屋に関する詳しい事をご存知の方おりましたら教えてください。
※長島屋は本店の他に分店を構えていたそうです。 詳しい資料が乏しいので所在地の件で間違いがありましたら申し訳ありません。
日光街道・幸手宿(5)へ続く