先日、仕事で取引先の人と雑談していて、とても興味深い話を聞いた。
彼の勤める会社は外資系で、本社はアメリカにある。年に何度かミーティングなどで本社に赴くそうだ。
ある日、彼はアメリカ本社のマネージャーと、午前10時に打ち合わせのアポイントメントが入っていた。遅れないように少し早めに行き、マネージャーのオフィス(個室)に9時55分くらいに到着した。開けっ放しのドアからマネージャーを覗き見ると、コーヒーを飲みながら新聞を読んで暇そうにしている。「5分ぐらい早いけどまあいいか」と思いながら、オフィスに入ると、マネージャーは突然怒りだした。
「まだ約束の時間まで5分あるじゃないか!そこで座って待っておけ!」
彼は面を喰らって、5分間オフィスのソファでマネージャーが新聞を読み終わるのを待っていたということだ。
■アメリカ人的な時間の守り方における感覚
彼の話によると、この逸話だけではなく、アメリカのビジネスマンは、異常に時間に厳しいということだった。
例えば、アメリカの営業マンは、取引先とのアポイントメントがあれば、30分以上前には相手先のオフィスの周辺に到着し、約束の時間までカフェなどで仕事をしながら時間を潰す。そして、約束の時間ほぼぴったりに取引先の受付へ向かうらしい。
(もっとも、対社外の場合は、時間より早めに着いても会議室などで待たせておけばいいので、それほど敏感にはなる必要は無い気もするが)
私は、冒頭のマネージャーの話を聞いた時に、面を喰らうというよりは、とてもその感覚が正当で合理的であるように感じた。マネージャーは、「5分間を奪われる」ということに対して、多大な注意を払ってたに違いない。どんなに暇そうに見えても、打ち合わせは10時からであり、それまでの5分間はマネージャーが自分で決めて過ごす時間である。それを、相手が早めに来たからといって5分間を奪われるのは御免だ、ということだろう。そのマネージャーは、おそらく自分が誰かのところに行くときも、その5分間を尊重して時間ピッタリに着くのだと思う。
■日本人的な時間の守り方における感覚
対して、日本人はどうだろうか。
まず、冒頭の話であれば、5分前に伺うのは十分許容範囲のように思える。5分早く着いたからと言って、怒り出す上司は稀だろう。社内の会議などでも、出席者が全員揃えば、「ちょっと早いですがそろそろはじめましょうか」などといった光景もよく見られる。むしろ、ちょっと早めに着くことが、相手に対する礼儀であると思っている人さえいる(個人的経験より)。
別に、どちらがいいとか悪いとかの話ではない。日本人とアメリカ人の権利意識の強さの違いが興味深いという話だ。アメリカ人は、日本人よりも「5分間の権利」に対する意識が強いのだろう。
■1分の価値は人によって全然違う
ここまで、アメリカ人と日本人、という対立軸で話を進めてきたが、当然のことながら日本人の中にも「アメリカ人的時間感覚」を持った人は多い。特に、社会的に重要なポストにいる人、代替が難しいポジションにいる人など、一般的に高価値を生み出す人ほど時間に対する感覚は鋭敏だ。
しかし、それは当たり前のことである。1日24時間という制約は、どんなにお金があっても変えることは出来ない。だからこそ、1分の価値は人によってまったく違う。1分でさえ貴重だと思う人と、1分くらいどうでも良い、という人までその価値観は幅広い。自分の時間に対する価値観のモノサシを、ところかまわず適用するのは非常に危険だ。
■遅刻をする人は「泥棒」である
時間の守り方でさえここまでデリケートな人に対して、遅刻などありえないだろう。この時間的感覚の話は「時間を守ること」を前提に進めているが、最後に遅刻をする人のことにも触れておきたい。
私は、遅刻をする人は「泥棒」だと思っている。他人の時間を奪う泥棒である。たまに、遅刻常習者で当然のように遅刻をしてくる人がいるが、私にはまったく理解できない。そういう人とはなるべく付き合わないようにしているし、待ち合わせる時もこちらが時間を有効に使えるような待ち合わせ場所を指定する。
特に、会議などたくさんの人が一堂に会する場面で遅刻する人というのは、どれほど罪の意識を感じているのだろうか。10人が集まる会議で10分遅刻をすれば、10人×10分で100分の泥棒だ。
もし、冒頭の話に出てきたマネージャーのオフィスに、彼が遅刻をしていったらどうなるだろうか。「もういい!」と言われ、門前払いを受けるような気がする。