韓国・中国間の高句麗史論争にも同じことがいえる。金教授は、高句麗史論争の争点を(1)高句麗人の起源(2)高句麗の領域(3)朝貢・冊封関係(4)高句麗と隋・唐戦争の性格(5)高句麗遺民(6)高麗と高句麗の関係-と要約した。
中国と韓国はいずれも、ワイ貊(ワイはく。ワイはさんずいに歳)が高句麗人の中心だったという点では意見の一致を見ている。しかし、中国側は中国の古民族、韓国側は韓民族の二大根源の一つと見なしている。金教授によると、遼東に位置していたワイ貊は、中国の歴史共同体に属したことがなく、一方で韓半島の「韓人」とも区別される歴史共同体だった。
中国王朝と高句麗の冊封・朝貢関係をめぐっても、中国側は政治的隷属を、韓国側は文化的・経済的意味を強調する。金教授は、伝統的な東アジアにおける宗藩(宗主国と諸侯国)体制は不平等だが独立的な関係で、政治的性格があるとはいえ、国家内の統治体制とは区別されるものとみている。
高句麗と隋・唐の戦争は、中国の内戦でも、中国と韓国の国際戦争でもなく「中国国家と遼東国家の戦争」と金教授は語る。また、高句麗遺民の去就や歴史的継承意識が重要なのに、こうした部分について数値を使って主張を立証しようとする学界の努力が、中国にくらべ韓国では不足しているとみている。
金翰奎教授は「こうした史実的アプローチが、東北工程による高句麗史論争を、論理的かつ生産的な方向へと誘導するのに寄与すると期待している」と語った。