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「BLはAVと同じ」「BL好きはドスケベ」発言で炎上
http://yaraon-blog.com/archives/72930
最近話題になったこのニュース、どこの誰が何を言ったとか、何をどう思ったかという事を非難する気は無い。そもそも男性にこの趣向を理解してもらいたいという思いは無いし、感覚的に理解する可能性を感じない。
それほどにBLという趣向は屈折し歪み倒錯した物だと思う。女性も含め多くの人がこの趣向を勘違いする事は無理からぬ事だ。
ただ単に「BLはAVと同じ」「BL好きはドスケベ」これは見当はずれな考えだという事を確認しておきたい。
BL作品とは大半が男性の同士恋愛を描いた作品である。 なぜそうした男性同士の恋愛に、多くの女性が夢中になるのだろうか? 少し大きい本屋などではBLコーナーが設置され、多くの人に親しまれている。 その市場規模は近いジャンルと言える百合モノと比べると雲泥の差だ。 BL雑誌だけでも何十種類あるかわからない現状に対し、百合系の雑誌は確認できたのは一誌だけだった。
BL画像検索結果
百合画像検索結果
本来同質のジャンルと言えるBLと百合という存在に対して、なぜ多くの人は これほど違った態度をとってしまうのでしょうか?それは女性から見たBLと、 男性から見た百合と呼ばれる女性同士の恋愛モノが、違った視点で楽しまれているのではないかと思う。
おそらく男性が百合モノの作品を楽しむ時に最も強く求める要素は「エロ」であり、それこそ「ドスケベ」な感情が強いのではないだろうか?
百合という設定自体も単にエロを「表示」するための物語上の工程であったり、 舞台装置のようなモノでしかないように感じる。女性同士の恋愛という関係自体に注目し興味を抱いているようにあまり見えない。そのため同性愛作品全般を単なる性描写作品だと、感じてしまう人がいても仕方ないのかもしれない。
では女性が男性同士の同性愛作品、いわゆるBLを観る時の感性や要素とは どういった物かといえば結構屈折している、私なりの主観ですが。
「男性に対する強い憧れ」それから派生する男性への「妄想的な美化」 さらにその美化を際立たせるために自己を含んだ「女性への蔑視(べっし)」
そして「エロ」だと思います。
どのような感情構造かと簡単に説明すると・・
「美しく素晴らしい男性が好き」
↓
「そんな男性が恋愛する対象は同等の価値を持つ者でなければならない」
↓
「それは同じ男性であるほうが理想的だし美しい」
↓
「それに比べ女性(自己を含めた)という存在は弱く愚かだ、こんなモノと男性が恋愛をしても、素晴らしい男性の価値が下がる」
↓
「そんな究極的に美しく素晴らしい男性同士が愛し合う姿に、見惚れたい」
一部には女性が男性になりたいという欲求もあるだろう。
それほどまでに男性という者を美化・肯定し、女性である自己を蔑ろに扱う彼女らだからこそ「腐女子」という蔑称を受け入れられるのではないだろうか。
このような錯乱状態とも言える感性を孕んでいるからこそ、彼女たちはBL作品を楽しめるのだ。(ほかにも色々あると思うが)
今回の発言に対する強い反発は、そんな多様な感性を持つBL作品とそれを 愛好する彼女らを、単に性に対して旺盛な「ドスケベ」という狭っ苦しい 定義の単語に、押し込まれる事が我慢ならないのだ。
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他169件のコメントを表示
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「BLは百合やAVなんかと違ってエロ以外に複雑な感情の動きがあるんです!」って言ってる時点でAVや百合を「ドスケベ」という狭っ苦しい定義の単語に押しこんでますよね、って多くの人が指摘していると思うのですが。
もとの文脈は性行為のあるBLCDの話で、それがAVと同じようなポルノであるというのは極々自然な流れだと思いますよ。
これに反発するのは「AVと一緒にしないで!」という気持ちからでしょう?
元の文脈もBLはポルノの一種だと言ってるだけでBLだけを殊更貶めたいわけではないのに「AVや百合とBLは違う」と散々主張してきたじゃないですか。
BLとその他ポルノを線引きしようとしてるから反発されているだけなのに、「理解されない」「差別される」と感じるのはどうかと。
どうして百合やAVに多様な感性が含まれていると考えなかったのですか?
もとの文脈は性行為のあるBLCDの話で、それがAVと同じようなポルノであるというのは極々自然な流れだと思いますよ。
これに反発するのは「AVと一緒にしないで!」という気持ちからでしょう?
元の文脈もBLはポルノの一種だと言ってるだけでBLだけを殊更貶めたいわけではないのに「AVや百合とBLは違う」と散々主張してきたじゃないですか。
BLとその他ポルノを線引きしようとしてるから反発されているだけなのに、「理解されない」「差別される」と感じるのはどうかと。
どうして百合やAVに多様な感性が含まれていると考えなかったのですか?
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なんていうか、こう、現代だからこういう記事が出て来ても割と「何言ってんだこいつ」「馬鹿じゃねーの」「釣りだよ釣り」みたいな反応になってると思うんですけど、数年前だったら、こういう言説が結構本気でまかり通ってたと思うんですよね
当然そういう見方をされている事に反発して、その「汚名」をすすごうとする百合厨達が沢山いた
その結果として倉田嘘みたいな人間を生んでしまった…と言う風に歴史を認識しているのですが(倉田嘘みたいな人間というのがどんななのかは、まあ大体言いたいこと分かるでしょう?)
百合ジャンルの拡大によってそういう人間を客観的に見たときの「おかしさ」なんかも明るみに出て来たこの時代にわざわざ蒸し返すのやめて欲しい、的な
当然そういう見方をされている事に反発して、その「汚名」をすすごうとする百合厨達が沢山いた
その結果として倉田嘘みたいな人間を生んでしまった…と言う風に歴史を認識しているのですが(倉田嘘みたいな人間というのがどんななのかは、まあ大体言いたいこと分かるでしょう?)
百合ジャンルの拡大によってそういう人間を客観的に見たときの「おかしさ」なんかも明るみに出て来たこの時代にわざわざ蒸し返すのやめて欲しい、的な