『希望の翼~あの時、ぼくらは13歳だった~』『チンチン電車と女学生』…。
広島市にある韓国総領事館の建物の壁に沿って、約250冊の日本語の本が整然と積み上げられている。1945年、原子爆弾が投下された当時の様子を描写したルポもあり、またギリシャの神話や、ヘレン・ケラーの伝記など、日本語に翻訳された西洋の物語、紀行文や歴史書もあった。
本が積み上げられるようになったのは今月初めのことだ。慶尚南道陜川郡の原爆被害者福祉会館を訪れた、中国新聞など日本の地方紙の記者たちが「高齢の入居者たちが読む日本の原書の寄贈を待っている」という記事を掲載したのがきっかけで、本が集まり始めたのだ。
陜川は「韓国のヒロシマ」とも呼ばれる。1945年、広島に原爆が投下されたとき、被爆した韓国人の多くが陜川の出身者、あるいはその2世だった。現在も、韓国で登録されている存命の被爆者2613人のうち、4分の1に当たる616人が陜川に住んでいる。そのうち105人が、1996年に建設された現在の原爆被害者福祉会館で余生を送っている。
このうち、80歳以上の高齢者たちは、幼いころに強制的に学ばされたことから、日本語が堪能だ。そのため「日本語の本でも読めたらいいと思う」という声が相次いでいた。福祉会館が少しずつ寄贈を受け、日本語の本91冊を揃えたが、それだけでは不十分だった。
キム・ドシクさん(80)は中国新聞に「もう読んだ本が多いので、新しい本が来るのを待っている」と語った。これに対し福祉会館は、駐広島韓国総領事館を通じ本の寄贈を呼び掛け、新聞記事の掲載とともに寄贈が相次ぐようになった。
総領事館には、問い合わせの電話が1日に平均3-4本かかってくる。その大部分が、広島に住む60-80代の人たちだ。新聞記事を読んで、居ても立ってもいられないとして、「このような本を送りたいと思うが、どうだろうか」「子どものころを思い出せる童話でいいだろうか」などと問い合わせた。総領事館の関係者は「寄贈者や、寄贈する意思を示した方は、大部分が1945年の原爆投下で直接・間接的に被害に遭った方々だ」と話した。現在のところ、個人単位での寄付がほとんどだが、来月初めには地域の市民団体が会議を開き、市民社会を挙げての寄贈キャンペーンを展開する案が話し合われる見通しだ。