「重力波発見」の裏話──(1)「狂騒」曲の始まり

2つの巨大ブラックホールが放出する重力波のイメージ(国立天文台提供)

「重力波発見」の裏話──(1)「狂騒」曲の始まり

おそらく十数億年前のこと、二つの巨大なブラックホールが近づき、お互いのまわりを周回し始めました。数億年の間は、こうしてまるでダンスをしているような状態が続いていましたが、二つのブラックホールは徐々に接近して行きました。今から13億年ほど前になった頃、互いの距離が数百kmまで達すると、そのスピードは光の速さの半分くらいになり、激しい振動を伴いながらエネルギーが重力波として解放されていきました。時空の歪みも激しくなり、とうとう二つは衝突して更に巨大な一つのブラックホールが形成されました。衝突は20ミリ秒ほどのアッという間に起こりました。新たに形成されたブラックホールの質量は太陽の62倍!大きさは北海道よりちょっと大きいくらい。放たれたパワーは、この宇宙のあらゆる星が放つパワーを合わせたよりも50倍も大きなものと推定されます。やがて「ゲップ」のような震えが最後のエネルギーを吐き出して時空は落ち着きました。

13億年前、2つのブラックホールが合体しつつ、重力波が放出された(NASA GSFC提供)
13億年前、2つのブラックホールが合体しつつ、重力波が放出された(NASA GSFC提供)

あらゆる方向に放たれた重力の波は、宇宙空間をはるかな旅に出ました。13億年前と言えば、地球では「超大陸」と呼ばれる大陸ができては離れ、またできるという劇的で壮大な「大陸移動」を繰り返している時代です。その重力波が果てしない旅路を地球に向けて急いでいる間に、この小さな星には多細胞生物が出現し、やがてカンブリア紀の爆発的な多様化を経て、4億年ちょっと前には生物が上陸します。2億5000万年前、恐竜が出現、我が世の春を謳歌した後、6500万年前に絶滅。頭角を現した哺乳類の中から、数百万年前に現在「人類」と呼ばれる生き物が姿を現します。重力波の旅は続きます。その人類の中から現生人類の直系と思われる種族が、ネアンデルタールと呼ばれる種族に取って代わって君臨を開始した5万年前頃、重力波がこの銀河系に進入してきました。

その後人類という生き物は自らを取り巻く巨大な自然と宇宙に関心を持つようになり、「科学」という独特の方法を創り上げて行きました。その中から約100年前、アルベルト・アインシュタインという稀有な「人類の一人」が、重力の波を(その波の一つが迫りつつあるとは知らず)予言しました。彼の理論はいろんな意味で正しいと信じられていたのでその波を捉えようと、数十年間にわたる実らぬ努力が続けられました。20年ほど前、アメリカとヨーロッパに、LIGO、Virgoという性能の優れた重力波検出施設が建設されて観測を開始し、日本にもKAGRAという施設が岐阜県飛騨市に作られてもうじき稼働開始する運びになっています。

アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)
アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)

そんな不断の努力をしている人類の元へ、絶妙のタイミングで、あの重力波が届いたのです。2015年9月14日午前11時ちょっと前、その波は13億年の長旅を終えて地球に到達しました。マルコ・ドラーゴ──その波の到来に気づいた最初のヒトの名前です。33歳のイタリア国籍の若者。大学院を出てしばらくのいわゆる「ポスドク」生。アメリカの装置LIGOは、これまでの観測がうまく行かず、性能を挙げた設備のテストにかかっていました。その検出器はルイジアナ州とワシントン州にありますが、全世界の共同研究者とコンピューターでつながっています。マルコはドイツ・ハノーファーにあるマックス・プランク研究所のコンピューターの画面で、LIGOから送られて来るデータに見入っていました。

突然彼のコンピューターに、明らかに通常とは異なるデータが現れました。時々テストでそのようなデータが使われることもあるので、最初はそれだと思いましたが、念のためそばの同僚に話して、アメリカ・ルイジアナ州リヴィングストンのLIGOオペレーションルームに電話しました。そして数ヵ月の大騒ぎの末に出た結論──「それは遥か彼方からやってきた、待ちに待った重力波の便りそのものだった」のです。それは1兆分の1 cmよりもわずかな振動だったはずですが、そのかすかな「声」を、低い声から高い声まで捉えるようチューニングされた世界一敏感な「耳」は聞き逃さなかったのです。

カリフォルニアに住むLIGOチームのリーダー、デイヴィッド・ライツィー教授は、このマルコが歴史的データを目にしたあの2015年の9月の日、娘さんを学校に送って行き、その足で研究室に入った途端、洪水のようなメッセージの襲撃を受けました。仰天したライツィー教授を起点に、プロジェクトに関係している全世界の数千人の科学者たちの間に、凄まじい勢いで情報と議論が飛び交い始めました。

「狂騒」曲は、このように幕を開けたのでした。(つづく)